さくらの時空漂流記:ベルクソン、プルースト、そして日本の祭りの中に永遠を見る

こんにちは、哲学エッセイストのさくらです。

お盆の最中、実家の庭に揺れる提灯を眺めながら、ふとベルクソンの言葉を思い出しました。

「純粋持続とは、過去が絶えず現在の中に食い込んでくることによって膨張し続ける現在のことである」

この言葉を胸に、「一瞬に永遠が宿る」という考えについて、もう一度探求してみましょう。

## 1. ベルクソンの「持続」と日本の「ハレとケ」

ベルクソンは、時計で測られる均質な時間と、私たちが内的に体験する質的な時間を区別しました。後者を彼は「持続」と呼びました。

この「持続」の概念は、日本の民俗学者・柳田國男が提唱した「ハレとケ」の考え方と重なる部分があります。「ハレ」は晴れの日、祭りや儀式の特別な時間。「ケ」は日常の穏やかな時間です。

例えば、毎朝の通勤電車。一見すると典型的な「ケ」の時間です。しかし、ベルクソンの「持続」の視点で見ると、そこには過去の全ての朝が凝縮されています。昨日の疲れ、先週の出来事、去年のこの時期の記憶...。それらが全て「食い込んで」今この瞬間を形作っているのです。

そう考えると、日常の「ケ」の中にも、全ての時間が詰まった「ハレ」のような瞬間が存在することになります。

## 2. プルーストの「無意志的記憶」と折口信夫の「まれびと」

次に、プルーストの「無意志的記憶」について考えてみましょう。プルーストは『失われた時を求めて』の中で、こう書いています。

「味や香りは、はるか以前の別の空気の中にあったものを、忠実に保存している。そして、私たちが死んだと思っていた過去を、よみがえらせる力をもっているのだ」

これは、折口信夫の「まれびと」の概念と通じるものがあります。「まれびと」とは、異界からやってきて福をもたらす来訪神のこと。プルーストの言う「無意志的記憶」は、過去という異界からやってきて、現在に祝福をもたらす「まれびと」のようなものかもしれません。

例えば、久しぶりに食べた納豆の匂い。突如として、学生時代の下宿生活の記憶が蘇ってくる。その瞬間、過去と現在が溶け合い、時間が立体的な広がりを持つのを感じます。それは、日常の中に現れた「まれびと」であり、同時に「一瞬の永遠」の体験とも言えるでしょう。

## 3. エリアーデの「聖と俗」とベルクソンの「創造的進化」

エリアーデは人間の経験を「聖なるもの」と「俗なるもの」に分けました。一方、ベルクソンは『創造的進化』の中で、生命の本質は絶え間ない創造にあると主張しました。

この二つの視点を組み合わせると、日常(俗)の中に創造的な瞬間(聖)を見出すことができます。

例えば、子供の運動会。我が子が走る姿に人類の進化の歴史を見る。それは「俗」な出来事の中に「聖」なる創造の瞬間を感じる体験です。ベルクソンは言うでしょう。「その瞬間、あなたは生命の創造的な躍動を直接体験しているのです」と。

## 4. 一瞬の永遠性:全ての視点の融合

これらの視点を総合すると、「一瞬に永遠が宿る」という考えが、より鮮明に浮かび上がってきます。

ベルクソンの「持続」、プルーストの「無意志的記憶」、柳田の「ハレとケ」、折口の「まれびと」、エリアーデの「聖と俗」。これらは全て、時間の多層性、瞬間の中に広がる永遠を指し示しています。

例えば:

- 満員電車の中で、ふと目が合った見知らぬ人と交わす微笑み。その一瞬に、人類の長い歴史が凝縮されているような感覚。(ベルクソンの「持続」)

- 何気なく食べている味噌汁の味。祖母の作ってくれた味噌汁を思い出し、一瞬にして幼少期にタイムスリップ。(プルーストの「無意志的記憶」)

- 日常のオフィスで、突然閃いたアイデア。その瞬間、仕事が創造的な祭りのように感じられる。(「ケ」の中の「ハレ」)

- 満開の桜の下で、「今年も来年も、ずっとこうして桜は咲くんだな」と感じる瞬間。(エリアーデの「永遠回帰」)

これらの瞬間、私たちは時間の重層性、一瞬の中に宿る永遠を体験しているのです。

プルーストは言いました。「一瞬のうちに、芸術家は一つの永遠を捕らえた」と。私たちも、日々の生活の中で、この「永遠の瞬間」を捕らえる芸術家になれるのではないでしょうか。

さあ、今日からは意識的に、この「永遠の瞬間」を探してみましょう。
ベルクソンの言葉を借りれば、「持続を生きる」ことです。
そうすれば、あなたの日常に、無数の「永遠」が顔を覗かせるはずです。

それでは、また。
時間の芸術家のみなさん、素敵な「永遠の一瞬」を!

追伸:
このコラムを書き終えて、庭に出てみました。提灯の明かりが風に揺れる中、ふと線香の香りが鼻をくすぐります。「ああ、おばあちゃんの好きな香りだったな」。その瞬間、過去と現在が交差し、日常と非日常が溶け合う。プルーストの言う「無意志的記憶」が働き、ベルクソンの言う「純粋持続」を体験する。まさに、一瞬の中に永遠を感じる瞬間でした。

みなさんも、今日一日、日常の中の永遠を探してみてください。きっと、素敵な発見があるはずです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?