ある一日
還暦を迎える友人とは仕事の移動中によく電話をする。彼がサマージャンボ宝くじを思いつきで買ったという。宝くじはあまり買わないタイプだったけれど、電話を切った後、近くのチャンスセンターに赴き、サマージャンボを連番10、バラ10買ってみた。凝り固まった自分の癖から抜け出して、可能性の世界に身を乗り出すのは楽しい。昔の自分だったら、宝くじなんて馬鹿らしいと思っていた。
昼過ぎから仕事のクレーム処理に奔走し、上司に小さいミスで小言を言われて、ストレスモードになる。こんなとき気づく瞑想をやってみる。電話を切っても、小言を言ってきた上司が心の中にいて、私を攻撃している。でもそれは妄想にすぎない。クレーム処理であった嫌なこともグルグルと頭をもたげている。すべては反実仮想にすぎない。そうやってシミュレーションモードに入っている自分を気づいてみる。妄想と現実。ストレスの根源は妄想する自分なのか、、シミュレーションする自分を気づき続ける。
家に帰ってきて美味しい食事を食べて、子どもと話をしていると、少しずつほぐれてきた。日課になっている部屋の片付けをする。毎晩部屋をリセットするのが心地よい。部屋がきれいになっていくにつれて、ストレスモードも落ち着いてくる。追い焚きした熱い風呂に入ってゆっくりと息をする。もう大丈夫かもしれない。
極め付けは+Mさんのキャスだった。クソリプについての面白い話は痛快で楽しかった。
鏡リュウジさんの訳されたジェイムズ・ヒルマン著『魂のコード』(朝日新聞出版)を読み始める。ある話に引き込まれる。
ハーレム・オペラ・ハウスでのアマチュア・ナイトでのこと。やせっぽちのみすぼらしい十六歳の少女が、おずおずとステージにあがろうとしていた。アナウンスが流れる。「次の参加者は、エラ・フィッツジェラルドというお嬢さんです。・・・・フィッツジェラルド嬢が皆さんにダンスをご披露・・・・ちょっとお待ちください。・・・・どうしたんです、お嬢さん?・・・・皆様、訂正です。ダンスではなく、歌をご披露いたします・・・・」
エラ・フィッツジェラルドは、ここで三度もアンコールを求められ、優勝を勝ち取った。
しかし本当はフィッツジェラルドは「ダンスをするはずだった」のだ。
フッと魂の声が聞こえたときに、自分の自我によって抑えるのではなく、魂の声、第六感のようなものに身を委ねてみる。自分もまた結婚や転職など人生の転機にそのようにしてきた。不思議と今は、その選択は最良だったと思える。
今日の宝くじの一件も、そのような第六感のようなものに従った。そうしていくと、魂がイキイキとしてくるような気がする。宝くじに当たるかどうかなんて別にどうでもいい。偶然に開いていくことによって、抑えつけていた魂が息を吹き返すことの方が大切に思える。
人は変化していくもの、さまざまな可能性がある。魂の声に耳を傾けて、常に変化し続けていきたい。
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