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自分の知らない自分

自分と付き合って四十年余り、まだまだ自分のことが全然わからない。たまに付き合いのある会社の人間で、「あなたはこういう人間だよね」などと言ってくる人がいる。フッと鼻で笑って、「そうかもしれませんね」と適当に相槌を打ってやり過ごす。キャラなどと言って、自分のある側面を演じる人もいるのかもしれないが、キャラが強すぎると、キャラのために抑えたものがドロドロと仮面の下で渦巻いて、今にも仮面を壊して出てきそうになる。

未知の自分と出会い続ける。そんな豊かな人生を送りたいなと思えるようになってきた。常にキャラを壊し続けるようにして、自分は変容していく。私が一番変わったことってなんだろう?と問うてみると。「生きている安心感」に尽きる。精神の病の時を筆頭に、常に「不安」を抱えながら生きていた我が人生。今は生きていることそのものに「安心」している。こんな安心して平穏に暮らせる日々が来ようとは思ってもみなかった。

不安は減ったけれど、自分は未知のままだ。もっと面白い自分がいるんじゃないか?とワクワクするような心持ちで過ごしている。変化の兆しは偶然訪れる。そして温泉が湧き出るように、新しいことに没頭するような日々。そしてまた、新しい自分と出会うのだ。

昨年は母の死を経験した。死にゆく母を看取ったときに、母の変化を間近で観た。はじめは「死」を恐れていた。だんだんと弱っていく母は、ある時を境に、しっかりと自分の「死」を覚悟した。そこからの死にっぷりは、見事だった。深い根が張って安心した上で、死んでいった。

「死」という未知のものに体を委ねる母を間近で観て、「宇宙」と接続したような心持ちになった。そもそも自分が生きているということも、「未知」のものに身を委ねるようなことではなかろうか。

自分が身を委ねていると、面白いことが次から次へと起こる。そしてそれを楽しむ。そして自分の固まったものが、ほぐれて、どんどん楽になっていく。

楽にしていると、新しい自分が起こりやすくなる。

まだ知らない自分が無数に、無量に、無限にいるような気がする。まだ知らない自分に出逢い続けるようにして、豊かに生きていきたいものだ。


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