速水健朗「アメリカの憧れについて」(過去に大学受験問題に使われた自分のエッセイ)2015年頃

かつてのアメリカらしい文化


 マクドナルドから見るアメリカへの憧れ。
 その一文を書いてみただけで我ながら驚いた。いまの「マック」と「アメリカへの憧れ」は、まったく結びつかない。だが、かつてはそうではなかった。まずはそこに遡ろう。
 40代前半の僕らの世代にとって、コークとハンバーガーがアメリカを象徴するアイテムだったということは、さすがにない。それがあったのは、僕の親世代がまだ若者だった時代のことだろう。マクドナルド1号店が銀座にオープンしたのは、1970年。まだ学生運動が盛んで、アメリカが日本の基地を経由してベトナムで戦争をしていた時代である。
 僕が小学生低学年だったころ、地域の夏休みのラジオ体操には、マクドナルドのキャラクターであるハンバーグラーやドナルド、ビックマックポリスといった着ぐるみたちが来ていた。ラジオ体操の後には、毎回、マックフライドポテトやマックシェイクの割引券が配られていた。何も疑問には思わなかった。
 当時のマックは今ほどありふれたものではない。大きな街の繁華街に行かなくては、店舗がなかった。街中にお出かけするときに、たまに連れて行ってもらえる。マックはそんな場所だった。
 クラスの友だちが、お誕生会をマックの店舗の前にある赤い2階建てのバスでバースデーパーティを開いたということが話題になった。マックパーティバスだ。これは、店舗の外に置かれたパーティ専用の個室空間だ。ここを貸し切ってパーティを開くことは、80年代の子どもたちにとっての憧れ以外の何ものでもなかった。
 憧れという意味では、マックでのバイトも憧れを伴うものだった。当時は、クラスで上位の可愛い女の子たちが、マックでバイトをしていたものだ。

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