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なぜアメリカの黒人の寿命は短いのか?BLMから考える人種と健康の関係-Part2

前回の記事では、人種間には健康格差があり、それは社会経済的地位や生物学的な違いだけでは説明ができないことをお話ししました。今回の投稿では、ではいったいその違いはなぜ生じてしまうのかについて、ハーバードの公衆衛生大学院で私が学んだ、人種と健康についての社会疫学的視点について、お話をしたいと思います。

1. エコソーシャル理論とは

人種と健康の研究で有名なハーバード公衆衛生大学院のクリガー教授は、人種差別が健康格差に現れる現象をエコソーシャル理論(直訳すると生態社会理論になると思います)で説明しています。(1)

この理論によると、人は、生きた経験や社会的・生態学的な環境など、生きている世界をまさに生物学的に身体(からだ)に取り入れるとされています。

クリガーは、人々がこの「経験・環境」を「身体(からだ)」に取り込む経路を6つのパターンに分類しています。

すなわち、(1)経済的社会的な剥奪(2)有害物質、危険、病原体への過剰な曝露(3)差別や他の社会的外傷(4)有害な商品の標的マーケティング(5)不適切及び劣化した医療(6)エコシステムの劣化-です。

そう言われても、少しわかりにくいと思うので、これらの経路を具体例を用いて、簡単に説明したいと思います。

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(1) 経済的・社会的な剥奪

Economic and social deprivation 

例えば、全く同じ内容の履歴書でも、名前を白人っぽい名前 (例えば、マイノリティーであると推測されやすい Latisha, Aisha, Jamal などの名前ではなく、白人だと推測されやすい Alison, Emily, Brad, Greg など) に変えたり、マイノリティー人種(黒人やアジア人)であることを示唆する経験や経歴を削除した「ホワイトニング」(白人化)された履歴書の方がマイノリティーであるとわかる履歴書よりも2倍以上の確率で企業から面接の電話がかかってきやすいという研究があります。(2,3)

これらのバイアスは、同じ教育レベルでも、白人に比べ、黒人の収入が少なく、また同じ収入レベルでも資産は少なく、購買力が少ないことを裏付け、これらの差が健康格差にも現れると考えられます。つまり全ての条件が同じでも、黒人やマイノリティーであるというだけで社会的な機会が不平等に剥奪される事を指します。

他にも歴史的に「レッド・ライニング」(特別警戒地区指定)といって、マイノリティーの人種が多く住む地域は融資対象から除外したり、人種を理由に銀行や保険会社がローンを拒否したりすることによって、組織的に資源や富に地域差を生み、マイノリティーは資産を築きにくくされていたことも、この経路の例になります。

(2) 有害物質、危険、病原体への過剰な曝露

Excess exposure to toxins, hazards, and pathogens

アメリカでは、歴史的にも住む地域が人種によって隔離されてきた背景があり、例えば人種により、居住環境や環境汚染への曝露が異なります。有色人種はより危険の多い地域に住んでいる可能性が高く、またより危険や有害な曝露を伴う職業についている可能性も高いと考えられます。(1)
これらの有害な環境への曝露の違いによって、健康格差が現れると考えられます。

(3) 差別や他の形態の社会的外傷

Discrimination and other forms of socially inflicted trauma

これは直接的または間接的に経験する精神的・身体的・性的な外傷や、脅威的な言動から暴力までに至る外傷を介した経路です。

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アメリカの黒人は白人に比べ、生理学的に摩耗し、生物学的にも早い速度で加齢しており、これは心理的・社会的・身体的・化学的なストレッサー(ストレスの原因)が集積した結果だと考えられています。例えば、加齢の指標の一つとされている白血球のテロメア(染色体の端にあるDNAの配列)の長さが、黒人女性は白人女性に比べて、同じ年齢であっても、7.5年分短いという研究があります。そしてこの研究は、この差の27%を知覚されたストレスと貧困で説明できると示されています。(4)

黒人は、より強いレベルのストレッサーに曝露されやすく、またそのストレッサーはクラスタリングしており、持続や頻度も高いと考えられており、これは白人に比べ、黒人のアロスタティック負荷(ストレスによって生じる生理学的負荷)が高いことでも示されています。(5)

個人レベル・構造的レベルの差別自体が直接健康を害する経路になっているのです。

(4) 有害な商品の標的マーケティング

Targeted marketing of harmful commodities

例えば、メンソール・タバコのマーケティングは、黒人をターゲットとしてきたという歴史があります。黒人の文化に合わせたメッセージングやイメージを利用したり、黒人のコミュニティーにより多くの広告を出したり、黒人コミュニティーで割引をするなどした結果、(6) 見事に黒人のメンソール使用率は85.8%以上と白人の28.7%に比べて高くなったのです。(7)

メンソール・タバコは喫煙の開始や常用喫煙者への移行と深く関係しており、通常のタバコよりも依存性が高いとされています。(8)

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タバコの他にも、ジャンクフードや薬物などが特定の人種をターゲットにしてマーケティングされることがあり、この経路はそういったマーケティングを介したものなのです。

(5) 不適切及び劣化した医療

Inadequate medical care

これは人種によって、例え同じ様に医療保険があっても、医療を受けるタイミング(人種によって医療機関にかかるタイミングが違い、病気の発見時には進行度が違ったり)や、質に差があり、それが健康格差に繋がると言う経路です。

人種間で受ける医療の質や頻度には差があることが示されており、この差は、健康保険、社会経済的地位、病気のステージや重症度、併存疾患、医療施設の違いを考慮しても見られる差でした。(9)

また、例えば、黒人は白人に比べてうつ病の生涯有病率が低いにも関わらず、黒人は白人に比べて慢性的・持続的にうつ状態が続く可能性が高い上により重症な症状であることが多く、また治療を受けない可能性が高いのです。(10) 

(6) エコシステムの劣化

Degradation of ecosystems

これは、主に先住民等が組織的に土地や伝統から疎外されるなど、居住地を奪われたり、伝統的に続くエコシステムを破壊されることになどによる健康影響です。

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今回詳しくはお話ししませんが、このエコソーシャル理論には、さらに2つの構成概念があります。

それは、「ライフコース(胎児期から死に至るまでの経緯)を通して、曝露、 影響の受けやすさや耐性が累積しながら相互に作用する」と言う考え方と、「アカウンタビリティーとエージェンシー」という概念です。

後者は、観測される健康格差を生じさせた責任はどこにあるのか?(アカウンタビリティー)誰が(組織や個人)それに対して行動することができるのか?(エージェンシー) を考えることですが、クリガー教授はその重要性について強調しています。

以上がこのエコソーシャル理論の特徴ですが、この理論はハーバードの社会行動科学部門の博士進級試験でも詳しく問われる理論であり、他の様々な健康格差の社会的要因の理解にも用いられています。

内容を簡単にお話ししましたが、さらに興味のある方は、この授業の教科書としてクリガー教授が執筆された「Epidemiology and the people’s health」という本をご参照ください。

2. 他の国でも見られる人種間の健康格差

ここまではアメリカについて書いてきましたが、実は、アメリカ以外の国でも人種間に同様に健康格差は存在します。

オーストラリア、ブラジル、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、イギリス等の国でも、劣勢な人種(主に黒人や先住民などのマイノリティー)は優勢な人種(主に白人)に比べて健康状態が悪いということが知られています。(11–13)

グローバル化が進んできたことにより、世界中の多くの国に多様な人種が住んでいます。同じ国の中に住んでいても、人種によって健康に格差があることは、注目し、対処すべき問題だと思います。

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そしてこの人種の問題は、日本には関係のない話というわけではないのではないでしょうか。

人種差別は「黒人」と「白人」という枠に囚われがちですが、クリガー教授のエコソーシャル理論を紐解けば、肌の色だけではなく、差別があるところに健康格差が生じるという事は自明です。

日本にも様々な人々が暮らしています。たとえ、肌の色が同じであっても、民族の違い、名前や経歴などから様々な差別を受けている可能性が高く、その結果として前述したような健康格差が生じていてもおかしくありません。

肌の色の違いによる差別はもちろんのこと、肌の色が同じだからこそ顕在化しにくい更に複雑な差別とそれによる健康格差も存在し得るのではないでしょうか。

参考文献

1. Berkman LF, Kawachi I, Glymour MM. Social Epidemiology. Oxford University Press; 2014.
2. Kang SK, DeCelles KA, Tilcsik A, Jun S. Whitened Résumés: Race and Self-Presentation in the Labor Market. Adm Sci Q. 2016;61(3):469-502. doi:10.1177/0001839216639577
3. Bertrand M, Mullainathan S. Are Emily and Greg More Employable Than Lakisha and Jamal? A Field Experiment on Labor Market Discrimination. Am Econ Rev. 2004;94(4):991-1013. doi:10.1257/0002828042002561
4. Geronimus AT, Hicken MT, Pearson JA, Seashols SJ, Brown KL, Cruz TD. Do US Black Women Experience Stress-Related Accelerated Biological Aging? Hum Nat. 2010;21(1):19-38. doi:10.1007/s12110-010-9078-0
5. Geronimus AT, Hicken M, Keene D, Bound J. “Weathering” and Age Patterns of Allostatic Load Scores Among Blacks and Whites in the United States. Am J Public Health. 2006;96(5):826-833. doi:10.2105/AJPH.2004.060749
6. Gardiner PS. The African Americanization of menthol cigarette use in the United States. Nicotine Tob Res. 2004;6(Suppl_1):S55-S65. doi:10.1080/14622200310001649478
7. 2016 National Survey on Drug Use and Health: Detailed Tables. :2889.
8. Food and Drug Administration. Preliminary Scientific Evaluation of the Possible Public Health Effects of Menthol Versus Nonmenthol Cigarettes. :153.
9. Institute of Medicine (US) Committee on Understanding and Eliminating Racial and Ethnic Disparities in Health Care. Unequal Treatment: Confronting Racial and Ethnic Disparities in Health Care. (Smedley BD, Stith AY, Nelson AR, eds.). National Academies Press (US); 2003. Accessed June 13, 2020. http://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK220358/
10. Williams DR, González HM, Neighbors H, et al. Prevalence and Distribution of Major Depressive Disorder in African Americans, Caribbean Blacks, and Non-Hispanic Whites: Results From the National Survey of American Life. Arch Gen Psychiatry. 2007;64(3):305-315. doi:10.1001/archpsyc.64.3.305
11. Bramley D, Hebert P, Jackson R, Chassin M. Indigenous disparities in disease-specific mortality, a cross-country comparison: New Zealand, Australia, Canada, and the United States. N Z Med J Online. 2004;117(1207).
12. Hamilton CV, Huntley L, Guimaraes ASA, Alexander N. Beyond Racism: Race and Inequality in Brazil, South Africa, and the United States. Lynne Rienner Publishers; 2001.
13. Marmot M, Wilkinson R. Social Determinants of Health. OUP Oxford; 2005.


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