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見返りなんて求めてなかった【feat.元初級】(前編)



 見返りなんて求めてなかった。
 行き交う打球。なんのことなく繰り返されるやりとり。
 私はもう、充分幸せなんだよ。
 ふいに心がゆるんで溢れそうになる。「もう充分」の「もう」はいつからなんだろう。


 基本的に写真は撮らない。残したい瞬間には必ずと言っていいほど手を叩いているし、どうせスマホを替える時以外見返す機会もない。周りにとってどうだろうと、今の私は10年前の私より確実にキレイだし、それは努力によって保っている自負に依る。だから見返している時間こそ損失。

 勿論、だからと言って過去が全く必要ないという訳ではない。人生経験を積むほどに、大きな傷を負っても、いや、大きな傷にこそ履歴がある。「過去の自分はどう乗り越えたか」その記録は、真新しい傷に寄り添ってくれる。誰に何を言われても入らない時、過去の自分の言うことだけはすんなり入ってくる。輸血とか抗体に近しい。覚えのあるもの、味方。「それ」は絶対に拒絶反応の出ることのない、自身がドナー。


 角のめくれたリングノートを開く。2018年5月23日。最初の記録は5年前。練習メニュー、気をつけるポイント、ゲームスコア、一点一点の内容、及び何ができて何ができなかったか。
 毎回ではない。けれどなるべく毎回記録するようにしている。初期の単調なやりとり。「バック浅い」「ボレー浅い」「ダブルフォルト」短く添えられたメモで、どんな試合展開だったかが容易に想像できる。あの頃はミスしないように、責任をなすりつけるようにしてテニスをしていた。「逃げてる」と「もっと打てばよかった」と何度も何度も同じ筆跡で残っていた。

 ソウさんに憧れたのは、とった点数どうこうじゃない。何より打つ姿がキレイだったからだ。
 ビッグサーバーがいて、メガネくんがいて、加えて当時もう一人、バコ打ちトップスピナーがいたのだが、その中に入っても台風の目がごとく自分のスタイルを貫いていた。自身の打点を、自分のペースを失わない。むしろそこにだけ注力しているように思えたその人は、だから不動の「エース」だった。大元。そうだった。私はソウさんみたいになりたかった。何より気にするべきは「打つ姿がキレイか」。いや、元々全然キレイじゃないんですけど、あくまでイメージとして。

 他に「ビッグサーバーがキレキレ過ぎてヤベエ」とか「メガネくん前衛でのボディのボール処理うま過ぎワロタ」とか「ビッグサーバーノってる時のさつきちゃんのバフのかかり方えげつな」とか、好き勝手書き連ねたものも出てきて、懐かしさに思わず頬が緩んだ。
 それでも、メンバーは少しずつ変わっていた。
 最初のきっかけはバコ打ちトップスピナー。男は唯一ウインブルドンの話ができた。


「速水さんは打っても返ってくるから、ラリーができるからうれしい」


 テニスはボールを打ち合う競技だ。仕留めるだけでなく、ラリーを楽しむことだって、後は「その間」だってある。ギリギリの均衡。相手とやりとりができるだけの「高さ」があって、本気で打ったボールが返ってくるというのは、それだけでうれしいものだ。

 今でもいれば積極的に打ちたいと思える、そんな本来願ってもない声に、あの時私はなんと答えただろう。ご存知の通り、当時の私はというと、メガネくん依存症を爆裂発症していた。力量差をならすため、似た力を持つ野郎は同じサイドには入らない。メガネくんが私と逆のコートに入る以上、その人は私と同じサイドに入るしかなかった。男は私がメガネくんを呼ぶのを知っていた。そうして最後の最後まで私の望みを優先してくれた。


 コロナ禍。ソウさんが抜け、ビッグサーバーが抜け、さつきちゃんが抜けた。全部が全部記されてはいない。けれどこうして呼称のつく人の動向は大方記録されていて、例え自身の出来が思わしくなかろうと、「この人のこのプレイがすごかった」とか「この場面で勝負に行ったのすごいと思った」とかいう記録は残っている。ノート自体、ただ嫌なことだけを残すような、ネガティブな記録にしたくなかったというのもあるが、結果がどんなに酷かろうと、私はこの競技が好きだから続けている訳で、何より理想があった方が自分を持っていきやすい。

 そういう意味では、許されるなら積極的に上手い人と打っていくべきなのだろう。特に弾道は、マジで染まる。だからぐだぐだ言い訳する前にとっとと打った方がいいし、必要なら引け目を感じないだけの努力をすればいい。独りよがりで、傲慢で、その場の平和を害するような性質の人間による、同じく面の皮厚めの人向けのアドバイスにはなるが、参考までに。








 

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