そのグリップは白い(前編)【feat.ひここ】
真っ白な包帯が巻かれていく。それは人の身体の丸みをものともせず、元々あるべき道を通るかのようにスルスルと患部を覆っていく。保護、という目的にだけ焦点を当てればどうとでもいいものを、その美しさは、ある種その人の尊厳にまで影響するようで、その白は、その人自身をも丁重に扱うようにと音もなく主張する。
先日、ななコの中上級の前の時間に当たる中級に顔を出したのだが、終わった後、私のラケットバッグの近くにトラ色のラケットが置かれていた。全く同じモデルのものが2本。真っ白なグリップ、キレイなラケットだと思う。
何となく持ち主は想像できた。帰り道、帰路に着く人とこれからコートに向かう人、その中で上着のジッパーを上げながら歩いてくるななコとすれ違う。コートに向かう人の中で、男だけがラケットを持っていなかった。
最近、戸塚とのサービスゲームが熱い。お互いフォアサイドを請け負い、相手のバックハンドを狙うセンターサーブを使う。わざとセンターに張ったり、回り込んでフォアで受けたり、とにかくコイツにだけは自分のサービスゲームを取られまいとする(センターサーブのやりとりを聞いた旦那は「え、バカなの?」と言っていたが、負けられない戦いがここにはあるのだ)このこと自体結構なストレスで、悪態をつきながらも、どこか楽しんでいる節はある。戸塚は帰りがけ、いつもどこか申し訳なさそうに「お疲れ様です」と言う。ずみの目を気にしてか分からないが、男もまたこのバカみたいなやりとりを楽しんでいるといい。
そんな訳で、今日こそ相手のサービスゲームをとってやると意気込んで向かった先、久しぶりにひここと対峙する。思い返せば戸塚の目つきが変わる少し前、私が初めて中上級に顔を出した翌週くらいから、この男にも「その」予兆はあった。
どこかふわふわしていた足元が、足が地に着く。
それまで戸塚とセンターサーブのやりとりができたのは、互いの前衛が地蔵と化していたから。ダブルスのコートでシングルスじみたことをしていたから。けれども。
破裂音がした。
この音を出せる人種はそうはいない。
加えて、前を張って出せる人は、中級にはまずいない。
厚い当たりのスマッシュが戸塚のサーブを全肯定する。対戦相手である私からしたら、相手を押し下げるためのロブは(ベースライン付近からでない限り)弾道上にひここのラケットが届き、かといって完全に山なりのロブでは、ベースラインから高い打点で打ち込まれる。じゃあとショートクロスを狙うも、センターまで守備できるひここに守備範囲を限定された戸塚なら追いつく。
いつだったか勿体無いな、と思ったこと。〈「強力なサーブが打て」て、「容易にコース変更を許さないラリーができ」るプレイヤー〉さえいれば、ひここは真価を発揮する。
戸塚のサーブの精度の高さは身をもって知っている。フラットの打球。その重みが増したのも知っている。ひここは理想のパートナーを得た。
結果こちらとしてはドン詰まる。見かねたコーチが「前衛そんな隅にいていいの?」とこっちのペアに声をかけるが、迷惑をかけるくらいなら私に戦わせた方がいいと踏んだのだろう。それは「私の守備範囲がセンターからショートクロスまで」という過酷な条件だった。ただどんな形であれ、そう仕向けたのは私自身に違いない。完全に孤軍奮闘だった。不意に、リターン時ベースラインまで下がったななコを思い出す。
打ち込まれた打球。届くよ。とるよ。でも。
横に走らされた分、前への出力は削られる。どうしてもネットを越えるために高さが必要になる。そうなると必然、
ゆるん、と浮いた打球。
「その様」は、ああいつか大口を開けたバケモノみたいだと思った。
まるで鮫のようだ、と。
早い。守備範囲が広い。落下地点の予測。正確なインパクト。
ボールを潰す音。
地面に叩きつけられたボールは、コートを区切るネットを越えて隣のコートで2度目のバウンドをした。
分かれば早かった。力任せでなくても、コントロールで走らせれば勝手にご馳走になって返ってくる。クロスに引っ叩いたり、ストレートにぶつけたりして、単体でポイントを取ることはあっても、リスクの高さがまるで比じゃない。結果、叩いた倍の力で叩かれる。
勝ち残り。きちんと負けてベンチから見ていると、ふと気づくことがあった。
ひここのグリップが白い。戸塚もだ。隣のコートを見やる。玉ちゃんもだ。
白というのは、特に直接手が触れる部分というのは汚れやすい。だから私にとってメンテナンスに手間をかけられるという意味で、白いグリップの人はこの競技が日常の中で大きな割合を占めている人というイメージがある。
中上級に顔を出した週末、ひここに「他のクラスに顔を出すことはあるか」尋ねた。ひここは「ここだけ」と答えた。毎週来る訳ではない。だからこそがっかりした。上手いのに勿体無いと思った。けれど。
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