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喧嘩しようよ【feat.ひこにゃん】



 初めて見るにも関わらず、初めてな気がしない。既視感。どこにも接点など無いはずのものが、深いところでリンクする。

 息を呑む。己が目がとらえたのは、そのらしくない、柔らかなインパクト。力に依らない、けれども行く先を明確に提示された打球は、高い弧を描いてアドサイド。ベースライン手前でバウンドする。多めの回転量はそのまま、相手をコートの外に追い出す。


 振り返ってみれば間があいたのは1ヶ月程度。しれっと同じコートに戻ってきたひこにゃんは、相変わらずパンパカ打っている。たぶんひこにゃんもソウさんと似たような目的でこの競技と向き合っていて、メインはストレス発散。成功率云々以上に10か0か。うまくいけば上機嫌、失敗が続けば簡単にふてにゃん。

 そんな俺様は、けれども男なりに思うところがあったのか、対人で変化が見られた。偶然ショートストロークでかち合うと、【逃げられない▼】コマンドを確認して、仕方なくボールを打ち出した。

 高めの弾道からの急降下、バウンド後伸びる。サービスライン内でバウンドさせるショートストロークであるにも関わらず、この打球に正規の打点を望むとかなり下がらされてしまう。下がりたくない私は、仕方なく高い打点からスライスで切りおろす。

 切りおろす。スライスはボールの勢いを殺す。ゆっくり飛び薄く跳ねる。私自身、もともとスライスは嫌いだった。スライスばかり打ってくる相手はコテンパンに叩き潰す主義だった。チェンジオブペースを目的とするならいい。けれどフラットやスピンに比べて能動的に仕留める能力を持たず、相手のミスを待つ、どちらかというと他力本願な性質の球種は、どこか逃げというイメージが強い。

 下がるのは嫌だった。でもやむを得ない。その後2歩下がってトップスピンでの返球に切り替える。さすがに重い。スライスであしらっている時には感じなかった負荷が肩に乗る。しっかり押さえ込まないと簡単に浮いてしまう。そうして3球ほど行き交った時、男は打球を突如スライスに切り替えた。こっちの打点が下がる。回転をかけやすくなる。

 驚く。この男は普段スライスを使わない。だって逃げないから。パンパカ打つことしか能がないと思ってたから。だから私も安心してパンパカ打てた。開いた左手でバランスをとってインパクト。それはまさか「はい、君の番」ではない。けれど。

 打球が安定する。ラリーになる。安定したのを確認して男がトップスピンに戻しても、リズムさえつかめればラリーの難易度は下がったまま。通常よりずっと狭い範囲の中で、きちんと回転をかけてつり合う。相手の力に依らず、互いに自己主張し合う。バランスを崩しかけたら調整をかける。修正する。自分の打ちたいように打てるように。相手もそうであるように。

 この日いつものコーチが休みで、初見の若めのコーチが担当した。サーブからのクロスラリー。ありがたいことに本気で打ってくれるコーチに、甘えるような形で久しぶりに能動的にラリーをした。最近はもっぱらきちんとコートに収まることに重きを置いていた。だからソウさんやひこにゃんのようにパンパカ打つのは久しぶりだった。打ってみて気づく。というか思い出す。

 ああそうか。

 前衛やったり成功率を優先したり。でも本来、力で仕留める生粋のストローカーだった。コーチの打球がサイドラインを割る。背筋が伸びる。私の本気はそれなりに通用する模様。だからさ。


 試合では対角線上の相手が最も打ち合う、直接の対戦相手と言っていい。サーブにひこにゃん。デュースサイド。久しぶりに対角線上で腰を落とす。

 来いや。

 強烈なサーブを高い打点で流す。前衛の頭上を越えてセンター、ベースラインでバウンド。ひこにゃんによる回り込んでのフォア。その返球は、まさかの逆サイドロブだった。ありえない選択肢に急いで逆サイドに駆け出す。いかに早く並行陣を組むかしか考えていなかった。センターかクロスへの強打しか想定していなかった。

 驚くべきはその柔らかなインパクト。合わせて、回転をかけて、押し出す。

 ロブを打てる男性は少ないという。ロブ自体、ラリーでもなかなか打つ機会はないだろうから、分からないでもない。「だからミックスダブルスにおいて中ロブを使える女性は重宝される」とテニスYouTuberのぬいさんが言っていた。高い弧を描いたボールはナイターの照明に照らされてキラキラ。何とかバックハンドでとらえて高く打ち返す。もう一本返球、今度はセンターにロブ。安心して見ていられる回転量。

 どうしたんだよらしくない。

 らしくない。あなた前衛でしょう。後衛やったり、成功率を優先させたり、そんなことより楽しめばいいじゃない。前に躍り出て、ハイボレー決めて、調子乗って楽しそうにしている姿を微笑ましく思う人もきっといるでしょう。何より、誰のためのテニスだよ。俺様で、身勝手で、自分のペースでコートを支配する、唯一の野郎だった自分の色を失わないで。あなたは人を巻き込むくらいが丁度いいんだから。あと、

 ロブで私に勝てると思わないで。



 少し前、久しぶりにシングルスをやらせてもらう機会があって、その時コートはこんなにも広かったと思い出した。ただひとりコートに立つことは、なんて無防備なのだろうと思った。

 思い返せば私自身、もともとシングルスプレーヤーだった。そんな時必要になるのは自分の武器。ラケットを見たとき、自分とこの子で何ができるか。そんな想像を巡らせたとき、背骨になるのは何よりストロークだった。付け焼刃でないもの。ただ一つずっとずっと研ぎ澄ませてきたのは、自分の右側に来たボールを、決まったエリアに打ち返すこと。馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返してきた。

 人間関係はバランスで成り立っている。大人になる程にギブアンドテイク、対等であることを望む。けれど、時々どうしようもなく甘えたくなることがある。この場における「甘える」とは、しなだれかかることではない。赦されることでもない。私にとっての甘えるは、全力で殴りかかることだ。そうして同じかそれ以上の力で殴り返してくる人を望む。これもまたギブアンドテイク。同じ感覚を共有することで温度差をなくす。甘えられるのは「実力のある人」あるいは「同じ性質を持つ人」

 パンパカ楽しそうに打つひこにゃんは、同じだよソウさんと。ソウさんに憧れて、その延長線上でうろうろしている私と。だから。

 つまらないテニスをしないで。せっかく上手なんだから。

 高い弾道のボールをベースラインから強打。ボディへのボールはひこにゃんに食い込む。それは何とか返球された結果、こっちの味方前衛に食われた。



 自分にとっての相手と相手にとっての自分。自分がこの競技に求めるものと、その人がこの競技に求めるもの。

 見上げる。ナイターの照明が目をついた。高い弾道はあそこを通る。目をつむる。残像。とてもキレイなロブ。その性質は排他。誰にも邪魔されず、完全に一対一のやり取り。

 ひよんな。らしくないと思う。ちゃんと打て、と。一方的に殴っても面白くないだろう、と。


 じゃあひこにゃんがこの競技に求めるものは何だろう。バランスの取れたショートストローク。無愛想な男が、人差し指の背で鼻の下を擦るようにして、

 どうしてあの時笑ったんだろう。それだけが何故か消えない。





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