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私と彼の事情(後編)【feat.ひここ】



 ただ自分のしたいようにしてきた。ただ目的のために己が武器を磨いてきた。
 試合が怖くて、サーブを打つのが嫌で、
 全ては見合うため。自分の望むラリーに集中するため。
 メガネくんと同じコートに立つため。第三者から見ても納得するような、相応の実力を身につけるため。でも。
 頑張ってサーブを磨いても、多少ボレーができるようになっても、バックハンドが思うような弾道を描けるようになっても、何も変わらなかった。それはそうだ。それら磨いてきたもの全て、元々メガネくんが持っているもの。同じ武器を揃えたところで、よりできる方がやればいいだけのこと。メガネくんは、それでもフォアサイドを譲ってくれた。私に合わせてくれていた。その虚しさ。
 だって分かっているのだ。メガネくんの方がストロークは安定している。メガネくんは強力なサーブが打てる。私がいなくても全て一人で完結できる。動揺したのは、そうして元に戻せなかったのは、「元々あるはずのない場所に戻ろうとした所で戻れないことに気づいた」ため。あの時一人、完璧に迷子になった。コートに立っていることが怖くてたまらなかった。


 浮き球を叩きつける音で目を覚ます。
 その身体が弾む。
 言わずとも分かる。

 もう一本。

 構える。ストレスフリーなのは、何よりテンポ。
 リスタートまでの間。バケモノクラスは一様に短い。
 明確に相手を追い込んでいく。

 リターン。私が前衛のターン。返球がコート中央を抜ける。思わず目で追った先、サービスラインとベースラインの間に立った男は、打球を見送りながら「アウトかな」と呟いた。
 目を見開く。その距離感。
 絶対、ではない。それは「I think so」
 伝える時の「自分はそう思った」は、相手に負荷をかけない。あくまで「その人」に完結するもの。結果が違おうと構わない。それは受け取る側の「そう思ったからこうしたんだ」という理解を助ける。
 実はこれ、共有する距離感が分からない私自身がやっていることでもあって、「私はそう思った」と伝えることで、実際のコミュニケーションは生まずとも「自分もそう思った」「自分はこっちだと思った」を引き出す。ミックスは誰とでも組むから、誰かだけ関わり方を変える訳にはいかないのだ。
 伝わるのは聞こうとする相手がいるから。
 男は声に出すことで得られるメリットを、そうすることで私の頭が整理されることに気づいた。

 形式練習。3人で半面を回す時、男は後ろで私の後衛の動きを見ていた。
 守備範囲。どこまでカバーして、陣形が崩された時どこに立つか。
 それはすなわち、私が前衛をやる時望む立ち位置だった。
 打って戻る。決定力不足。相当きちんと打たせてもらえないと、私のボレーは決まらない。体勢を崩されて慌てて振り返ると、男はベースライン一歩手前、センターに立っていた。

 来いや。

 聞こえるはずのない声が聞こえた。
 コート全域を守備する意識に切り替えた時、私はそこに立つ。
 ただ、意識自体は必ずしも守備ではなく、ナメた所に返って来ようものなら返り討ちに合わせるつもりで、低く、低く、腰を落とす。
 前衛だろうと後衛だろうと、私達がやっていることは変わらない。
 純粋な狩り。獲物さえ仕留められれば、安心して寝付ける。

 正直、男の足ではもう一歩サイドに張った方が良いとは思ったし、元々のポジショニングはそうだと思う。けれど代わりに得られたのは、自分を外から見るような、謎の安心感。それは脳みそを共有できているという一種の錯覚。
 互いの強みは全然違う。好むことも全然違う。
 けれど理解しようと思う。それだけで同じようなことをしていても、全く別物になるものなのかもしれない。
 ローテーションでコートを出る。足元に転がっている球を拾った時、イイ音がした。今更見ずとも分かる。漏れる悪態。

 だから何で私と組む時にそれ打たないんだよ。

 この競技の傍にいること10年弱、画面越しではなく実際に見ることのなかった、
「それ」に必要なのはタメ。「ここ」まで待てる技術。
「それ」は通常のボレーとは異なる縦回転を宿す、「それ」は

 ドライブボレー。
 有無を言わさぬ決定打。男は唯一それを使えた。






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