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斜陽クラリセイジ


 水面がキレイだ。橙の太陽が透けてキラキラ。
 下から見上げているはずなのに、息ができず、苦しいはずなのに、いつまでも、叶うならいつまでも眺めていたいと思う。
 
「クラリセイジです」と山田さんが言った。
 柑橘系、ウッド系に続いたのは、主に筋肉疲労に効果の高いアロマ。
 強制的にオフに切り替えてくれるベルガモットを精神的なものとした時、クラリセイジは肉体的にオフに切り替えてくれるイメージ。このアロマを手にした人にかける言葉。山田さんは「ご自愛ください」と眉を下げた。
 
 自分を大切にするということ。
 いつだったか「心と身体の求めるものが違った時、何が正しいのか」と思うことがあった。例えば身体は疲れているのに書く手が止まらないこと。例えば身体は疲れているのに気づいたらラケットを手にしていること。
 分かってはいるのだ。でも寸分でも迷った時、選ぶのは決まってる。いつだって「そっち」を選んできたつもりだ。まだ動くから。ギリ動けてしまうから。
 
 青空を思い出す。視界の麓には真っ白なゴールと一面の芝があって、サッカー部の合宿で三重に行った時、アップしているプレイヤー達を眺めながら、あまりの空の青さに、二度と来ない時間を過ごしているのを自覚した。当時は部員含めてSNSで通じており、そんなことをこんな感じでポエムのように綴ったら、いろんな形の「わかる」を各々返信してくれた。だからあの時見た空の青さは、そこにいた全員の脳裏にはっきり焼きついていると思う。
 
 こうして書き残しておいて良かったのは、後から見返した時、当時の記憶を鮮明に思い出せるから。本来時系列さえままならないあやふやな記憶が、前後関係正しく記録として残る。そうして今更不可逆の意味を痛感する。
 世間一般に若い内の方が価値があろうと、こと私自身において仕事だろうと何だろうと、特に30代になってからの伸びは凄まじく、自覚、圧倒的に今の私の方が価値がある。足元が整い、発展、探求にそこから潜る。通常出産、子育てに入るところを、そこにかかるはずだったエネルギー丸ごとぶち込むことで、たぶん別方向に伸びた。
 全く後悔していないといえばウソになる。今でも40歳で出産している人を見ると複雑な気持ちになる。まだいけるともういけないの境はいつだって曖昧。
 
 一緒に働いている人のお孫さんが、幼稚園でやるリレーのバトンパスがうまくできず、その練習の手伝いをするという。そんな「ばあば」は「だからこうやって手を前に出せばいいのに、ギリギリまで肘を曲げてるもんだから」と言うが、私から見れば結果なんてどうでも良く、ただ一生懸命精一杯動ける身体があること、それだけで奇跡と思わずにはいられない。丁度「ピンクモンスター」と呼ばれたニッキーミナージュが、子供が産まれて「この世の全てを愛おしく感じるようになった」と言っていたのを思い出したためかもしれない。
 
 誰かの目を通じて「何も変わらない」と言われたところで、静かに忍び寄る影。白石くんのスプリットステップを、やろうと思えばできると思っていたのだが、ようやくズレ始める。現実と理想の乖離が、ようやく目につき始める。
 無駄な労力はかけない。本当にかけたいところにぶち込むため、その他「一生懸命」を削っていく。例えばサーブ。もう腹筋なんて使わない。一度に500球を超える打数も必要ない。今は美味しいもの、必要なものが適量あればいい。そうして適応していく。ただ、
 
 走れない後衛になった時、その時初めて私の前に選択肢が生まれる。一つ、ボレー中心の試合展開を作っていくこと。一つ、潔くコートを去ること。
 愛さなければ良かった。恋なんてしなければ良かった。
 ただの友達に戻れるほど器用じゃない私は、あるいは己の愛し方が叶わないと満足できないかもしれない。ストローカーがストローカーとしての役割を果たせないとした時、適度な距離を取れるとは思えない。未練から時間をあけてコートに戻ったところで、もうあの頃のように無理はできない、そこまで行けないとはっきり思い知ることができれば、その熱量にまで持っていけないと分かれば、諦めもつくだろう。アスリートが引退と同時に全くその競技をしなくなるように、もうお腹一杯と言えたなら。
 それならまだキレイなままの私を残しておける。徐々に動けなくなって「あの頃は」と振り返り、若い世代を妬むこともなく、自分史上キレイなまま。
 
 それほどまでにやっと形を成してきた。あとちょっと。あとちょっとで手に入るものがある。そう思えてならない。けれど伸ばした手が空を切るように、駆ける足に不安があるのもまた事実。掴むのが先か、足を取られるのが先か、セルフ追いかけっこ。
 今この瞬間はもう二度と来ない。不可逆。今の私は10年前のように振り切って走れない。そうして音もなく失っていく。そのことに気づけたから。
 
 渡すことのできないバトン。せめて今を精一杯慈しむ。
 後悔していないと言えばウソになるけど、それでも構わないと思えるのは、納得して出した答えであり、一緒に背負ってくれる旦那が今も変わらず傍にいてくれるから。
 

〈ご自愛ください〉

 
 盛夏を超えて色は橙。憂いを帯びた、けれどもカーテンを引くにはまだ明るく、消せない光。
 
 ご自愛は私自身には難しい。だから頼る。
「任せてください」と胸を張る山田さんに。
 分かっていてできないこと。心と身体が乖離するジレンマに、呑まれてバキリと折れてしまわぬよう、
 力を貸してと、今はただ委ねて眠る。
 
 
 
 





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