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夢をみる(後編)【テニス】



2、先日おぐチャンネルで見た河野さんのダブルス講座が非常に興味深かった。このチャンネル、アタリハズレ多いからあんまオススメしないけど、基本白石くんと河野さんがそれぞれ単体でコラボしてるのはハズレない。ほんでこのダブルス講座、何がいいかって前衛目線で話してくれること。


←左が河野さん


 前衛である。
 以前も話に出したが、そもそもボレーヤーは絶対数が少ない。それは誰しもストロークから始めて、けれどもストロークが安定するまでも時間がかかり、それ以前に安定するなんてことないから、永遠ストロークから離れられない。加えて、サーブは必須だから嫌でも向き合うが、ボレーは何となく誤魔化しが効いてしまうから、突き詰めるまで至らない。

 結局数打つショットが得意になる。だから得意も苦手も似る。ボレーが不向きなのではない。ボレーを打つ機会がストロークに比べて圧倒的に少ないために、自信がつくまでに至らない。だから使わない。だからボレーを前提とした動きにまで思考が及ばない。
 イチイチ頭を使っているのでは飛んでくる打球に間に合わない。距離として単純にストロークの半分。そうして半分の時間での判断と処理を求められる。自信がなく、時間がなく、プレッシャーのかかる前衛は、同じ競技とはいえ、同じではない。男女と一緒で、もはや別ものとして括ったほうが理解しやすいのかもしれない。そう。
 理解されないのである。いないから。何故サーブで「ワイド」「センター」「ボディ」の情報が必要なのか。どこに打って欲しいのか。
 後衛は見える。見えるから合わせることができる。けれど前衛は。
 何を考えてるか分からない。何を考えたらいいのか分からない。
 そのヒントをくれるのが河野さんのダブルス講座だった。

 どうしても自分の手元に意識が行きがちになるのは仕方ない。けれどもっと後衛は前衛の動きやすさを意識するべきだ。とんでもない核兵器内蔵しながら負けたのなら、それは完全に後衛の責任。本来そこで組む相手を選べるのは前衛。ベース、能力を正しく理解されづらいからこそ、組んでいて動きやすい後衛を選ぶ権利がある。
 ただ、言っても10分の1にも満たない希少価値だからこそ、9に選ぶに値する後衛がいるとは限らない。逆にだからこそ競合が現れない限り、どうにも本人の成長速度は鈍りやすい。だから可能ならもう一人欲しい。理解者がいれば確実に見える世界は変わる。

 繰り返す。私に見えたのはたった2枚の絵。正直他何もできなくていい。ただ前を張れる。それだけでサーブストロークその他全部後衛が負えばいい。大丈夫。腐るほどいるから。最低20万人くらいいるから。この危機感が伝わるだろうか。
 可能なら学生の時前衛やってた人たちが再びコートに戻ってこない理由を突き詰めるべきだし、場合によっては新しく始める人たちが「人によってはストロークよりずっと簡単と言われる」ボレーから入ったらもっとバランスが取れるようになるんじゃないかと思う。ボレーボレーできるようになったらストローク、という風にとにかく入り口をつくるべきだと。そうすれば純製ストローカー4人による不毛なダブルスはなくなる。傷を舐め合うような無駄な容赦がなくなる。あるのにない。確実にあるのに線引きをする、それは他人事。輪郭が分かれば、自分事として落とし込むことができる。

 一方この場合、いないならつくればいいという「今」に特化した考えもあって、ちなみに私の現在地はというと、グリップチェンジから打球を安定させるまで行ったものの、強打ができなくなっていた問題からやっとこさ戻って来れたところ。緩急の習得にようやく至ったところである。
 だからこそ、今なら切り替えができそうな気がする。一旦バチボコストローカー捨てて戻って来れた分、もう一度バチボコストローカー置いて外出してもまた戻って来れるんじゃないかと。分かってる。そんな甘いものじゃない。どう考えても具現化系が放出系の技覚える案件。でもやってみる価値はある。以前サーブとバックハンドしか打っていない時があったように、ボレーに全振りすればそれなりの総数にはなる。自信がつくまで打ち続けること。まずはそこからだ。

 一見無謀にも思えるのにやってみようと思えるのはノッポさんの影響が大きい。少人数ベースのクラスは、たびたび意図せずプライベートレッスン化する。その度に自分のやりたいことに焦点を当てるのだが、ノッポさんは言語化が上手く、ふわふわしている足元を一つ一つしっかり築き上げていく感覚がある。正しいと分かった上での反復は最短ルート。とても私一人が受講するのではもったいない。特に左脳系に刺さると思う。


3、もう一つ、河野さんのダブルス講座で思ったのは、最終週終わって翌週一回「座学挟んでもいんじゃね?」ということ。オンタイムだと見えないものを、図にして外から見る。自分を客観視する。与えられるものではなく自ら考えることで能動的に身につけていく。例えば「この場合どう動くか」とか「どこに打つか」とか、問題を出したとして、私みたいに「実際にできてないけど、分かってはいる」パターンもあるかもしれない。分かっていることが明らかになれば、じゃあ何でできないのかを突き詰めていくだけだ。ここで他者の目はいい材料になる。
「今のは」
「分かってるんだけどね!」
 実際そんなやり取り自体なくとも、そういう焦りが必要なのだ。互いに監視しあう。指摘できるのはベースが揃っているから。そのためには机上も大事と言えないか。もちろん単に打てればいいという人もいるだろう。興味なければ振り替えればいい。ただ、サークルではなくスクールとして学びたい人がいるなら、需要ゼロとは思えない。

 基本的にこの競技は美しい。だからこそバランスが取れることでもっと魅力を増す。

 ファッション。色味としてのバランス。
 前後衛のバランス。
 頭と実技のバランス。

 そうしてもっともっと競技人口が増えて、テニス商品の売り上げが伸びて、それに比例して関連施設が増えて潤って、街中でラケットの形をしたイヤリングをしてる女性とすれ違うことが珍しくなくなるのが、私の夢です。














 後衛の私に見えたのは2枚の絵。
 1枚は右足を引いて完全に横向きの体勢をつくって逆クロ。1枚は左足重心で回内、手首を使って同じく逆クロ。ともにショート。落とすポイントはぴたりと重なる。
 内1枚はコーチによるものという事実こそが、何より由々しき事態。





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