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ずっと聞こえていただろう(種①)【feat.ななコ】


【罪状】
・中上級にてうさぎや鬼に鉢合わせたこと
 「その場所」での当たり前を大きく引き下げたこと
・メンタルコントロールができず、最低限の礼儀を欠き、振り替えの中級を荒らしたこと

【種】
1、 前衛のポジショニング
2、 音のないラリー
3、「遊び」
4、絶対の味方


1、 いきなり前衛やろうったって無理があって、すぐ様4拍子が3拍子にはなれない。でもよくよく見てみればその間があることに気づく。ずっとずっと、i野コーチが口を酸っぱくして言っていた平行陣。サービスライン上での攻防。あれはきっと3、5。前衛が苦手な人たちに前衛をやらせるための、それはワンクッションだった。じゃあ実際にそれをやろうとしているのは。
 外的刺激としての視力は機能している。けれど、見ようとしないければ見えないもの。
 外からではなく、ずっとずっと内側から聞こえていたはずの音。

 戸塚だ。

 一球一球の実状に縛られない、それはイメージ。
 それは痛み分け。それは共存。だからか。
 公式戦に出るような人たちは、女性でも平行陣を使う。だから多少なりともずみにもそのイメージはあって。
 どっちかが負うのではなく、どちらも負う。
 駆け引きの1か0かより、より確実に。安全性の高いその性質は、基礎値の高い戸塚にぴったりだった。

 少しだけ、自分が柔らかくなるのを感じる。
 例えば、
 ひここと組む時は後衛。前は完全に任せればいい。私はコースを絞って1stを入れる。
 ずみと組む時はポーチに出る。とにかくコートを狭くしてプレッシャーをかける。
 戸塚と組む時は、きっとフォアからの方が上がりやすい。私はアドサイドで待てばいい。

 実際やってみるとパンパカセンター抜かれるし、武器であるストロークを封印する分、リスクばかりが目立つんだけど、たぶんそれは「前に出るッ」と気負うからで、本当は一歩二歩中に入るところからなんだろうなと思う。言われたから仕方なくではなく、実戦を想定して「自分事」としてやってみなきゃ分からないことがあって、今までだったらすぐ元に戻っていた。でも今は、何とかそっちに抜け出したいと思う。
 OPPOはストレス値も測ってくれるんだけど、テニスをしている時の値が最も高い。分かってて何でそっちに向かうのか、私の方こそ聞きたい。

2、 何なんでしょうね。上手い人たちがするショートストロークって、何であんなに静かなんでしょうね。視界に入っても、その図体の大きさと発している音がまるで合わない。まるで呼吸するかのような、あまりに自然なやりとり。
 試しに音を立てないようにラリーをしてみた。うん。いい感じだ。いつだったか「リズムだ」と教えてくれたコーチがいたけれど、実際打っている最中音なんか気にしていられなくて、少しだけ余裕がある時に耳を引っ張るのだが、それでも意識を向けるのは難しくて。けれども、

自分の出す音を、コントロールする。

 音を立てないようにするラリーというのは強制的に耳を使える。このメリットは高次元での打点の調整が可能なこと。キャッチの感覚がクリアになること。応用すればドロップショットが打てるようになること。
 感覚として念で言う「絶」に近い。言葉だって何だって、始まりは無からだ。
 それは無から有を生み出すための一歩目。

3、少し前に「遊び」の話をした。
 好きという気持ちが強いと空回る。エネルギーの変換効率が悪いのだ。
 分かると思うが、大切に思う程に、貴重な機会と思う程に力んで失敗する。失敗しないためには慣れるしかない。1分の1ではなく10分の1にする。あと9打てるんだからいいじゃん、と価値の容量を圧縮する。まあ言ってすぐできたらすごいんだけど。

 ななコはコーチのくせによくアウトする(ナイスウォッチじゃねえよ)
 コーチのくせにスマッシュっぽく見せかけてドロップ打とうとしてファサアってネットにかける。2本くらいやってたんだけど、本当に格好悪くて、横で見ている私の方が恥ずかしかった。
 私自身、平時得意ではないショットに気負うことが多いのだけれど、ななコのテニスを見ていると、イチイチ気負っている自分がバカらしく思えた。ショットが軽い。何のことなしに打つ。ななコは色んな打ち方をする。フォアバックのフラットスライス。ボレーのフラットスライス。加えてコース、前後の揺さぶり。掛け算をすることで何通りにでもなる打球を、まるで手札から選ぶかの如く一枚一枚提示していく。

 変化させる、というのは主体性。次はコレ、次はコレとポイポイ出してくるものに、いつしかワクワクするようになる。無意識に自分でも色んな球を打つようになる。
 ななコのストロークは早いものの軽く、たぶんショット単体ではそこまでの力を持たない。けれどそれが幾通りの内の一だとすると見方は変わってきて、数ある手札の分だけ相手を揺さぶることができる。それはどこか余裕のあるテニス。ゆとり。ななコのテニスにはゆとりがある。うまく行かなくなっても立て直せる。

 中上級は比較的若い男性が集まる。ななコは受講生と、まるでツレのように話す。生徒の側も「ブラザー」という距離感で、もちろん打つときはちゃんと打つが、どこか気の置けない心地よさを感じる。深いところで許し合っているというか、ななコ自身、ベースが対等で、コーチだけどコーチじゃない。前も言った修行。本人も打ちながら学んでいる。
 色んな球種に出会って、都度自分を変化させていく。たぶんそれがこの男の「支配」の正体で、合わせて、自分を変化させていくことで主導権を握る。キャッチありき、理解ありきだから、打ち合う人は皆楽しそう。加えて、受けた影響から自らの球種の幅を広げ「遊び」をつくっていくから、驚くほどリラックスしている。
 キャッチ、マナー、遊び、リラックス。
 繋がっていく。それらはきっと、必死感の対極に位置するもので。
 自信がないと気負うんじゃない。混ぜていく。ポイントだけ押さえて、どんどん打っていく。使っていくから本番でも手札の一つとして機能する。自分で自分をどう調整するか。いかにリラックスするか。それは心技体の心を補強する要素に違いなかった。


 固ってえな。


 その様はさながら「ただだべりたい人たちが同じ高さで集った場所に、本気のディベートを望んでいる女子がやって来た」。必死で吠え立てる私は、なんと場違いだっただろう。


 違えよ。


 キバをむく生き物を、必死で吠え立てる生き物をどうして手なづけると思う。
 例えば笑わせること。ななコは踊る。ある時は3拍子、ある時は4拍子で、楽しそうに打つ。おどけて見せる。固ってえなオイ。楽しめよ、と。
 例えば自分の中に取り込むこと。身内にしてしまう。それが「ブラザー」
 平行陣を組んだ時の、センターのボールの処理。アドサイドにいるななコがフォアハンドになる以上、基本任せる。けれど迷うことはある。気を遣う。その性質が邪魔だったんだろう。だからポーチの練習でわざとストレートを打った。






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