僕らの文章教室

昔、文章を書くことが得意だと思っていた。

でも、段々と、その得意だと思っていた文章は「面白い文章」とは違うなと思い始めた。

世に言う「面白い文章」とは何なのか、それは私にもよく説明できないが、いわゆる読みやすく、読後、面白かった思える文章を書けていないなと思った。

いつもどこか固い文章で、やけに回りくどい。
人に理解してもらうにはそれくらい必要だと考えて書いているが、その辺のギャルが書いてるブログの方が圧倒的にわかりやすく面白いと思えるものだった。
何で、こんな頭の悪そうなギャルが書く文章の方が面白いんだろうと思うことが何度もあった。

よくよく考えてみてわかったことは、私の文章は学校で点数を取れる文章というだけで、それ以上何ものでもない文章だった。

思えば、いつの頃からか本が読めなくなった。頭にイメージを展開して、何百というページを読み進めることに疲れてしまった。エッセイは今でも好きで読むが、小説とはもう何年も縁がない。読もうと思っても10ページ程度で息切れする。
それに比べて、文章の面白いギャルは小説を読むのが好きなようだった。
私とギャルの差はこれだったのか。

いつしか、私は文章を書くことが苦手になっていった。

苦手意識を持ってから、文章を書くことがとても辛くなった。
何を書いても、どこかで見たことあるような文章。マネ。模倣。テンプレの流用。

それでも、演劇というものをやっているので、当然書かないといけない機会は多い。
うちの劇団の制作は厳しく(自劇団の主宰が面白くない文章を書くのだから当然と言えば当然だが)、ガンガンつまらないものにはつまらないという。信頼してるからこそ、またつまらない文章を書いてしまったのだと落胆は大きい。自分としてはとてもよく書けたなと思っても、批判されてしまうと、さらに書くのが嫌になっていった。

嫌になってもう何年も経つ。
チャットツールの登場で、テレワークの推進で、さらに文章を書かないといけない時代になった。

いつまでも嫌だなどとはいっていられなくなった。

ある日、友人がnoteを更新した。
高校の時の友達で、頭はとても良いが、文章は普通だった(普通とは言え、普通が一番いいじゃないですか)彼が、とても読みやすくエモい(ギャルのような気持ちの乗った)文章を書いていた。

すぐ友人に昔と文書が変わった気がすると言う感想を伝えた。
そうすると彼も、このテレワーク時代の文字だけのやり取りで、自分の文章力というものを磨かないとと思ったらしく、一冊の本を勧められた。
友人とは頭の出来が違いすぎるわたしだが(なんせ彼は母校の高校を首席で入ってきた)、あー読もうかなと思い、購入した。

その本がこちら。

高橋源一郎さんの「ぼくらの文章教室」

この本、文章教室と冠しておきながら一切文章を書く際のテクニックのようなものは登場しない。

登場するのは、こんな文章いいよねという紹介とその分析、文章を書くとき僕たちって背伸びするよね、そんな必要なんかないんじゃない?みたいなマインドだけ。

でも、この本を読んで文章を書くという苦手意識が少しだけ少なくなった。
みんな立派な文章を書こうとしているけど、そんな必要ないということを教えてもらった。
だから、この本は文章について苦手意識を持ってる人には勧めたい。
あなたの思う通り、書いていいんだよって本です。
なんだ、みんなそうで、僕の文章は僕の文章でいいじゃないかって気にさせられます。立派な文章なんか書く必要ないんだよね。

まぁ、一つ問題があるとすれば、僕は割と人様に楽しんでもらう為に文章を書いている人だということなんだけど。


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