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日本一小さな町のnote #04[匠]

日本一人口の少ない町・山梨県早川町の魅力をお伝えするnote、今回もカメラマンの鹿野がお送りいたします。

僕は“勝手に観光大使”とばかりにあちこちで早川町の話をしていますが、早川と聞いて硯(すずり)を思い浮かべる方がときどきいらっしゃいます。日本には硯の産地がいくつかありますが、早川町雨畑で作られる雨畑硯は美しさと質の高さで定評があります。山梨県の無形文化財にも指定され、亡き名工の作品は専門店やネットオークションで高値がつくそうです。

ここで雨畑硯の歴史を少々。日蓮聖人の高弟のひとりであり、七面山を開いた日朗上人が永仁5(1279)年、雨畑の川原で青みを帯びた石を拾いました。その石で硯に作ってほしいと住民に頼んだのが始祖とされています。

その石の正体は町により「硯匠庵雨畑真石」の登録商標もされている、雨畑特有の粘板岩。南アルプスは海底が隆起して生まれた山脈ですが、雨畑真石はその海底の柔らかい泥でした。長年の圧力で岩となり、含まれていた珪酸分が微細な白雲母の粒子に。この岩を磨いていくと、触った感触は滑らかだけど、微細な凹凸がある状態になります。その凹凸はいわばヤスリのようなもの。墨を磨ると微粒子が水に溶け、質のよい墨液となるのです。しかも雨畑真石は水分を吸収しにくいため、時間をおいても硯の上の墨液が乾きません。

江戸時代から雨畑硯の評判は高く、明治初期には偽物が出回ったそうです。そこで雨畑硯製造販売組合が結成され、最盛期には100人近い職人が従事していました。また明治7(1874)年には雨畑村と大島村が合併し、その名も硯島村が誕生しています。

硯島村は昭和31(1956)年、6村合併で現在の早川町となりました。その頃から硯の需要も減少。一方で安価な中国からの輸入品が増え、さらに職人の高齢化というトリプルパンチに見舞われます。伝統工芸を守るべく、2000年に制作から展示・販売まで行う硯匠庵(けんしょうあん)が設立されましたが……。平成の終わりには職人が望月玉泉(ぎょくせん)さんただ一人になってしまいました。玉泉さんが引退すれば、700年以上続いてきた雨畑硯の歴史は途絶えてしまいます。残念だけどこれも時代の宿命か、と僕も思っていました。

ところが後継者が現れたのです。しかも僕が知っている人でした。早川町のNPO法人・日本上流文化圏研究所(上流研)に勤めていた中川裕幾さん。県内の笛吹市出身で、上流研に就職して雨畑の古民家に住むようになりました。2021年からは硯の里キャンプ場の管理・運営を任されることになりましたが、ものづくりに興味があったこともあり、同時に硯匠庵で職人としての道を歩むことになりました。

写真の上が中川さん、下が玉泉さん。作業中は真ん中の写真のように、お互い黙々と石に向かっていますが、ひと段落するとあれこれ石や技法の話が。玉泉さんは職人らしく口数は決して多くないのですが、重要な点をとてもシンプルに中川さんへ伝えていました。そんな待望の弟子が生まれた感想を玉泉さんに尋ねると……

「いやぁ……。入院してしばらく休んで、戻ってきたら彼がいたんだよ」。

斜め上をいく答えに思わず笑ってしまいました。でも2人が作業している様子を見ていると、関係はとても良好。玉泉さんは硯に関することはもちろん、趣味のボウリングにも中川さんを連れていき、その技を伝授しているとか。硯作りとボウリング、どちらも指先を使いますからねぇ……と玉泉さんにいうと「あんまり関係ないよ(笑)」。

なんともゆるい雰囲気の師匠と弟子ですが、まさにそれが早川らしいなと。700年の伝統をたった2人で背負いつつも、そこには磨き上げられた硯の表面のように穏やかな時間が流れています。タイミングがよければそんな硯作りの様子を見学できますし、玉泉さんや中川さんのサポートを受けながら制作を体験することもできます。

さらに硯匠庵ではさまざまな資料や名作を展示するほか、販売も行っています。案内をしてくださるのは館長の天野元さん。ときには川の中を歩いて坑道へ向かい、玉泉さんや中川さんとともに原材料の石を掘り出します。

写真集『日本一小さな町の写真館』より
ランプの明かりを頼りに坑道の岩壁を削る天野さん。
この坑道は台風で埋まってしまい、今新しい坑道を掘る準備をしているそうです。

「硯匠庵雨畑真石」は強い遠赤外線を放射する性質があり、ネックレスやブレスレットなどに加工したものも販売しています。また町内の草塩温泉では、温浴効果アップのために浴槽へ入れています。ご家庭の風呂に入れられる石もあるので、ぜひお試しください。

早川観光の折はぜひ硯匠庵へ。できれば時間に余裕をもって、硯作りに挑戦してほしいです。事前に連絡をするとよいかもしれません。

■硯匠庵
山梨県南巨摩郡早川町雨畑709-1
TEL0556-45-2210
9~17時・火曜休館・入館料200円

早川町の観光に関するお問い合わせは、早川町観光協会(TEL0556-48-8633)までお気軽にどうぞ。県道37号沿いの南アルプスプラザには、スタッフが常駐する総合案内所もあります(9〜17時・年末年始以外無休)。


■写真・文=鹿野貴司
1974年東京都生まれ、多摩美術大学映像コース卒業。さまざまな職業を経て、フリーランスの写真家に。広告や雑誌の撮影を手掛けるかたわら、精力的にドキュメンタリーなどの作品を発表している。公益社団法人日本写真家協会会員。


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