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dear my クズ達

何だかたまに疲れる時があなたはあるかい?

⁡「あれ、こんなに人といるのって疲れたっけ?」
⁡楽しくて笑っているのに「早く帰りてぇなー」なんて思ったり。⁡
⁡⁡矛盾してるのは承知の上だけど取り敢えず家の猫撫でながら1人でスマホいじりたい。

そんな事が最近多々あるのはどうしてだろう。
わがままかな。
いやむしろただのわがままであってほしい。
自分の陰なところを認めたくない。

そんな人が世界には何億人居るのだろう。

そうだ、みんなの「独立記念日」を作ろう。

いつでもいい。
1年に6回、いや本当は毎月欲しいけど、
1人にならなきゃいけない日を作ろう。

作りたくない人は作りたい人のためだけに作ってくれ。
これは強制されなければ成り立たないからだ。

その日だけは家にいよう。そしたらずっとしてなかった掃除をしたり、好きな音楽を聴きながら部屋の片付けをして、ずっと未読無視をしていた人に連絡を返して、後回しにしていた未来の事を考えて、転職先を探してみたり。



なんて都合良くみんなできるわけが無い。
彼女ができたり、妻ができたり、子供ができたり。

そんなことができるのならとっくのとうにやっているだろう。
家すら憂鬱な、逃げ場のない人達が世の中にはどれほどいるのだろうか。

そんな人達の逃げ道は本当に「死」しかないのだろうか。

一度愛した妻も、責任を持って作った子供も、ローンを組んで建てた家も全部捨てて、「クズ」になってはいけないのだろうか。

なぜ彼らは死んだら「心の弱い優しかった人」になり、消えたら「無責任なクズ」になるのだろうか。

世の中の目に見えない常識が、死ぬ事は美しいと言っている。
その常識で年に何万人の人達が死んでいるのだろう。

私は思う。
死んだからと言ってやっていることは変わらない。
同じクズだ。

だがクズになったからなんだ。
愛する人より自分を優先したからなんだ。

この世は小説でできている訳では無い。
カメラが回っている訳では無い。

大抵のすれ違う人達はみんなクズだ。
あなたと変わらないクズだ。

本当に辛かったら「どうせ死ぬんだったら最後にやっておこう」のスタンスで今日を生きてみてほしい。
じゃなきゃ最後なのに勿体ない。

生きろなんて無責任なことは言えないが、クズになる事を恐れないでほしい。

心配しなくてもあなただけではない。
私達はみんなクズだ。


だからどうかもう少しだけ、一緒に生きてみてほしい。

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