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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第19回「果たせぬ凱旋」

2022年5月15日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第19回「果たせぬ凱旋」を視聴しました。

<始まる前に>

戦果を出せば出すほど頼朝に睨まれ、ドツボにハマるという悲劇的運命が待ち受ける義経です。
悲劇のヒーロー義経、どうやって運命と向き合うのか、見届けたいですね。

<NHKのあらすじ>

鎌倉入りを許されず京で悲嘆にくれる義経(菅田将暉)。
義時(小栗旬)は大江広元(栗原英雄)に知恵を借り、源頼朝(大泉洋)と義経との関係修復を模索するが、後白河法皇(西田敏行)はそれを許さない。
愚痴をもらす頼朝に対し苦言を呈す八重(新垣結衣)。
この状況を政子(小池栄子)が憂う中、京では義経をめぐって里(三浦透子)と静(石橋静河)が対立。
さらに源行家(杉本哲太)が義経に近づいて頼朝への疑心をあおり……

■プロローグ

義経は京に戻り、妻の里が鎌倉に戻りたいから静御前と一緒になればいいと言い始めました。
そこに、源行家が現れ、我々を身内と思っていないから、先に頼朝の首を取れと扇動しに来ました。

---曲---
エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

互いを認めつつ、信じられない兄弟がいる。
政治の頼朝、戦の義経。
二人の天才が手を取り合うことを後白河法皇は許さない。

■鎌倉殿

大江広元(栗原英雄)は、義経を鎌倉に戻すアイデアを出します。
受領になれば検非違使を兼任することができなくなる、京に留まる理由がなくなる、というものです。
いっそのこと伊予守に推挙すればいいのではと、頼朝も乗り気です。
義経、静御前、弁慶(佳久創)は、鎌倉へ帰れるとうれしそうです。

■法皇

検非違使の兼任は未曾有のことだ、と九条兼実(田中直樹)が意見します。
しかし、後白河法皇は、伊予守こそふさわしいが検非違使も兼任させることにしたい。
検非違使と受領、両方任じ、京の安寧を守れという指図です。

■鎌倉殿

頼朝は、自分より法皇をとるのかと、カンカンです。
頼朝が考えを聞きたいと八重に会いに来ました。
手を差し伸べてもそれを裏切った。
子どもたちからも、仲直りしたいけどどうしたら良いのかと悩みを打ち明けられます。
子どもたちは最後は仲直りします。信じられないなら子どもたちの方が利口だと説教口調で話します。
義高の話してしているときに大姫(落井実結子)が現れました。

■政子

政子(小池栄子)は、頼朝は義経が愛おしくてたまらないのだから、北条一家で仲を取り持ってもらいたいと懇願します。
実衣(宮澤エマ)と全成(新納慎也)が秘策を練ります。
10月義朝の菩提を弔うために供養が行われるのでそこに義経を呼ぶという案をだしました。

■三善康信鎌倉入り

三善康信(小林隆)は、問注所の執事となりました。
三好康信によれば、法皇は大きな力が生まれるとそれにあがらう力を作ろうとする人だと。

■文覚

「これこそが亡き義朝殿のシャレコウベにございます」(文覚)
文覚(市川猿之助)は、本当だという証はないといいますが、鎌倉殿が本物だといえば、それが本物になるのだと。
頼朝は、その髑髏を手に持ち、父上おかえりなさいませ、と頭を下げました。
この供養の話を義経に伝えることになりました。

■京の義経

里は、静御前に姿を消して縁を切れと迫りまし。
静御前はお腹には義経の子を宿していると拒絶します。
義時は、義経に供養のことを話します。
供養の後は鎌倉に残れると確約します。
しかし、行家は鎌倉に入れば殺されると説得します。
法皇に供養の話をし、行っても良いという許可が出ました。
話をしている最中、法皇は倒れてしまいます。
行かないで、と倒れた法皇が言っているので、義経は行くのを止めることになりました。
それは仮病でした。
平知康(矢柴俊博)と丹後局(鈴木京香)と法皇、三人の策略だったのです。

■静御前襲われる

このころ義経を見限ろうとしているものが現れ始めている(長澤まさみ)
土佐坊昌俊(村上和成)という僧兵あがりたちを里が使い、静御前を襲わせようとします。
事前に察した義経は、僧兵たちと一戦交えます。
行家が里の裏で糸を引いていたようです。
行家はそれを頼朝が送ってきた刺客だと話します。
院の御所にいき、頼朝追討の院宣を受けよう、と義経を誘導します。

■文治元年(1185年)11月18日

11月18日、頼朝追討の院宣を出し、22日早馬が鎌倉に伝えました。
頼朝のもとに院宣が届き、頼朝は京に攻め入ることを宣言します。
「この期に及んで挙兵という暴挙に出た。義はこちらにある」
御家人たちは、義経と戦うことに反対する意見が多いようです。
梶原景時(中村獅童)は、恐れるな、自分が総大将になれば必ず破ってみせると言ってみせます。
三浦義村(山本耕史)、畠山重忠(中川大志)も都に攻めようと、景時に同調しました。
義村は、戦にはならない、義経は戦わずして負けると読みます。
無謀な大将についていくとは思えないと話します。

■11月29日

頼朝は、軍勢を率いて自ら出陣します。

■奥州では

「早まったな、九郎」(藤原秀衡/田中泯)

■義経

義経軍は500しか集まりません。
行家は義経を信じたのが間違いだったと捨て台詞を残します。
頼朝軍は黄瀬川まで兵を進めたという情報が入ります。
京に攻め込まれたら義仲の二の舞い
行家を味方につけたものは必ず負けるという
首をはねられるのは少し後のこと

■静御前

里と一緒に行くのは人質として利用できるから、静御前とは別れることに。
静御前に義経との関わりを決して口にしないよう命じます。

■法皇

「つばぜり合いを望んだのに、なぜ義経は姿を消してしまったのか?」(後白河法皇)
頼朝に義経追討の宣旨を与えよと、命じます。
九条兼実は、何度も聞き返します。

■頼朝軍

頼朝軍は引き返します。
法皇の力を借りるため、時政に橋渡し役を命じます。

■京・院御所

時政が京都守護として軍勢を率いて法皇に面会します。
「若造に脅されて、無理やりやらされた、全部アイツのせいなんだ」(法皇)
「法皇様は日の本一の大天狗、お言葉を信じていいものなのか?」(義時)
「西国諸国を納めたく、米と兵を法皇様のために集めたい」(義時)
逃亡中の義経が、時政と義時の前に現れました。
時政は、九州に逃げ落ちたと聞いている、偽物であろう、と微笑みます。
法皇が義経追討の院宣を発したことを、義経は知らないようです。
「何が行けなかったのか?」(義経)
「人をお信じになりすぎる」(義時)
「策に長けたものはかえって騙されやすいのだ」(時政)
今後、奥州に入ればそこに戦の火種が生まれる、と義時は案じます。
「御台所の膝の暖かさは生涯忘れない」(義経)
「経験もないのに自信もなかったらなにもできない。自信をつけるには経験、まだまだこれからだ」(時政)
「平家を滅ばすためだけに生まれてきたようなお方だった」(時政)

----つづく----

次回は第20回「帰ってきた義経」5月22日放送です。

■感想

日本一の大天狗・後白河法皇が仮病を使って義経を篭絡する場面は、面白すぎます。
丹後局という方が歴史を動かしたとしたら悲惨です。
義経だまされた~。可哀想。
だけど、ここは、義経、鎌倉に戻らないとダメでしょう。
さすがにここで戻らないと反逆者ですよね。
やっぱり、頼朝に反抗したことは史実として間違いないんでしょう。

■勝手に解説

●義経挙兵
元暦二年(1185年)、頼朝は刺客・昌俊を放ち義経を暗殺しようとしますが、義経は、昌俊を捕らえこの暗殺が頼朝の命であることを聞き出すと、行家と共に京で後白河法皇に奏上して、頼朝追討の院宣を得て挙兵しました。
しかし、京都周辺の武士達も義経らに集まらず、さらに後、法皇が今度は義経追討の院宣を出したことから窮地に陥ります。
12月、頼朝は、側近・大江広元の提案で、義経らの追捕のためとして、「守護・地頭の設置」と兵糧米の徴収を朝廷に認めさせました(文治の勅許)。
義経は熊野から京都に入り、大寺院に匿われながら、やがて伊勢、美濃を経由し奥州へ入り、妻と子らを伴って藤原秀衡の居る平泉に身を寄せました。

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