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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第39回「太閤、くたばる」

2023年10月15日(日)20時『どうする家康』第39回「太閤、くたばる」を視聴しました。

<始まる前に>
いよいよ秀吉退場、家康天下取りフェーズへという展開ですね。
悪役として描かれ続けたムロ秀吉、最期はどのように演じるか、楽しみです。

<NHKのあらすじ>
茶々(北川景子)に拾(後の秀頼)が生まれた。
家康(松本潤)の説得により、明との和睦を決めた秀吉(ムロツヨシ)。
しかし、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘とわかると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言、秀吉の暴走が再び始まった。
都が思い空気に包まれる中、家康は息子の秀忠(森崎ウィン)を連れて、京に隠居していた忠次(大森南朋)を訪ねた。
忠次から最後の願いを託され、悩む家康に、秀吉が倒れたとの知らせが届く。


■プロローグ

●大坂城
秀吉に男の子・拾が生まれましたが、寧々、茶々に穢れたものを近づけるなと命じます。

■ナレーション(寺島しのぶ)
「太閤秀吉に再び子が生まれたのは、壮大な夢である唐入りを和議をもって集結すると決めた直後でございました」

●唐入り
七か条の合意をもって明国との和議としまするが、明国の王女を天皇の后とし朝鮮王子を人質、朝鮮の南半分の領地を取り上げるという内容でした。
石田三成は家康に、新たなまつりごとの仕組みを話します。
力ではなく知恵、合議でまつりごとを為す、皆が納得して事を進めていく、力で奪い合うこともなくなる、と家康に述べました。
阿茶局(松本若菜)は、その言葉を秀吉に申してはと提案します。
家康は夢を語っているだけでは夢で終わると三成に返答しました。

---曲---
稲本響

■文禄4年(1595年)・京

●酒井忠次
(ナレ)「神の君がお訪ねになったのは隠居して久しいこのお方の屋敷」
家康は酒井忠次と久しぶりに面会しました。
徳川秀忠、井伊直政(板垣李光人)も一緒です。
妻の富(鯉沼トキ)によると、目もほとんど見えて居ない状況です。
秀忠は茶々の妹・お江と祝言をあげていました。
秀忠が見たことがないということで、酒井忠次は最後のエビすくいの踊りを演じて見せました。
唐入りについて酒井忠次は、ここまでよく耐え忍んだ、と家康を抱き抱えながら徳川は生き延びられたと語ります。
忠次は一つだけ願いを言い残したいと言います。
「天下をお取りなされ、秀吉を見限って、おやりなされ」(酒井忠次)
陣触れが来たと言い甲冑を身に着けながら、忠次は、「参らねば」といい妻の富が手伝いながら息を引き取りました。


(感想)
酒井忠次は家康より15歳年上だとか。
享年70歳、徳川政権を見ること無く亡くなりました。

■文禄5年(1596年)・大坂城

(ナレ)「文禄5年9月1日、ついに明国皇帝の返事が秀吉の元にもたらされました」
「しかしこれは戦を終わらせるために小西等がでっちあげた偽物で」
秀吉は、戦じゃ、と叫びながら小西行長を切りつけようとしました。
家康は秀吉に小西行長は秀吉を慮ってのことであり、考え直すよう諭します。
これは賭け、勝てば良いと秀吉は、長久手の合戦で家康に負けた、勝てなくても利を得る術はあると言います。
秀吉は、わしにまかせておけばいいと言いながら三成に朝鮮攻めの用意をするよう命じました。
(ナレ)「かくして」

●慶長2年(1597年)・6月
(ナレ)「誰も望まぬ戦が再びはじまりましてございます」

■第二次朝鮮出兵開始

●伏見城
本多正信(松山ケンイチ)は、国の内も外もめちゃくちゃ、かつての乱世に戻ってしまったと嘆きます。
家康は、策は無限と秀吉は言った、それを信じるのみだと話します。

●豊臣秀頼
秀頼の目前で秀吉は倒れました。
それを冷酷な表情で見つめる茶々がいました。
秀吉は三成の顔が誰だか認識できていないようです。
遺言を作るため、三成が呼ばれました。
誰が天下人になるかと問われ、三成は天下人は無用と返答しました。
周囲を話し合いをもってまつりごとを決めるのが最も良きことかと
「よい、やってみい」と秀吉は答えました。
その旨を三成は家康や前田利家(宅麻伸)に話すと、三成は前田と徳川で力のある大名をまとめて五奉行を支えてほしいと願い出ました。


(感想)
茶々の陰謀説。
寧々がいなければ茶々と石田治部の天下が早く来ていたかもね。
石田治部が民主主義という近代政治理論を提唱するとはすごすぎる。

■太閤危篤

(ナレ)「しかし、太閤の容態は再び悪化していったのでございます」
家康は秀吉の寝室に呼ばれてやって来ました。
「秀頼を頼む、千姫とくっつけてくれ」という家康です。
「しかし、まだまだやっていただかなければいけない、この戦をどうなさるおつもりか、天下人の役目を全うせよ」(家康)
世の安寧などどうでもええ、秀頼の幸せだけはどうあっても守って欲しい」(秀吉)
秀吉は家康にもたれかかりながら、どうせ家康に天下は取られるんだろうと話しますが、家康は否定しました。
「知恵を持って話し合いで済む、そんな甘くない、豊臣の天下はわし一代で終わりだ」
「唐・朝鮮の怒りを買い、秀次を死に追いやり、こんなめちゃくちゃにして放り出すのか」
あとはお前がどうにかせえ、苦し紛れに笑いながら倒れ込みました。
この場でも猿芝居をする秀吉です。
「天下を引き継いだのはそなたである、見事であった、あとは任せよ」(家康)


(感想)
なんとなく有りそうな場面です。
最期は、自分の子が可愛くて、まつりごとなんてどうでも良くなっていてもおかしく有りません。
ただし、秀次を無き者にしたのは不思議ですが、茶々が絡んでいたのでしょうか。

■秀吉永眠

茶々は冷たい目で口から血を吐き秀吉が苦しむ姿を見つめています。
「秀頼はあなたの子だとお思い?」(茶々)
「秀頼はこの私の子、天下は渡さぬ。あとは私に任せよ、猿」(茶々)
秀吉、永眠
力ではなく知恵、合議でまつりごとを為す、天下人を力で奪い合うことも無くなる、夢でございますと石田三成。
「信長にも秀吉にもできなかったことが、私にできようか」(家康)
「殿だからできるのです、戦が嫌いな殿だからこそ、天下をとりなされ」(酒井忠次)

----つづく----

次回はどうする家康 第40回「天下人家康」10月22日放送です。

■感想

やはり、2回目の朝鮮出兵・慶長の役についてはあまり詳しく描かれませんでした。
唐入りの理由として、明国との通商というのがあります。
これが一番重要だったのかも知れませんね、秀吉にとっては。
特に2回目の和議では通商に重きをおいていたのではないでしょうか。
単なる推測ですが。
小西行長の偽の講和文書もなにかきな臭いと思うのは、小西がキリシタン大名だからかな。
このあたり突っ込んで調べてみたいところです。


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