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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第40回「天下人家康」

2023年10月22日(日)20時『どうする家康』第40回「天下人家康」を視聴しました。

<始まる前に>
いよいよ家康と石田治部との戦いが描かれるようです。
ドラマでよくある悪人・石田治部、善人・家康として描くのでしょうか、それとも全く意外な対立を描くのか、楽しみです。
淀君派と家康派の対立とか。

<NHKのあらすじ>
秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。
家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。
秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。
家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治の中心を担うようになる。
そんな家康に野心ありとみた三成は警戒心を強め、二人は対立を深めていく。


■プロローグ

●豊臣秀吉 逝去
■ナレーション(寺島しのぶ)
「名もなき民の出でありながら天下人へのぼりつめた太閤秀吉はその波乱の人生をついに閉じたのであります」

●慶長3年(1598年)・秋
「泥沼と化した朝鮮出兵をほっぽり出して。今後の備えのため集まったのは、豊臣政権の実務を担う五人の奉行と大きな力を持つ五人の大名でございます」
五奉行は、長束正家、増田長盛、石田三成、浅野長政、徳善院玄以
五大老は、前田利家:83万石、毛利輝元:112万石、上杉景勝:120万石、宇喜多秀家:57万石
そして徳川家康:250万石
「秀吉亡き後、新たなまつりごとがはじまろうとしていました」

---曲---
稲本響

■伏見城での合意

石田三成は、遺言を実行するため、五奉行・五大老でまつりごとを進めることへの同意を求めました。
全員賛成、意見の一致を見ました。
しかし、石田三成に対し、家康には気をつけろというのは毛利輝元や上杉景勝です。
家康、本多正信(松山ケンイチ)は、戦の後始末をするのではなく、逃げられるなら逃げておいたほうが良いという意見です。


(感想)
五大老、100万石クラスに対し、家康250万石で、圧倒的勢力の違いがよくわかります。
石田三成が本当に現代の民主主義国家を目指していたなら、すごいことです。

(ナレ)「七年もの長きにわたり多くの死傷者をもたらした朝鮮出兵。11月豊臣軍の撤退が開始されました」

●筑前・博多
朝鮮から加藤清正(淵上泰史)、黒田長政(阿部進之介)が帰ってきましたが、秀吉が亡くなったかどうかも教えてもらえません。
戦のしくじりの責は負わせないという言葉に、清正等は怒りが爆発します。

■加藤清正・黒田長政帰国報告

戦のしくじりは不問という三成に対し、不満をぶつける加藤と黒田です。
どんな戦をしてきたのかわかっているのか、三成に迫ります。
戦がうまく行かないのは、藤堂高虎(網川 凛)、福島正則(深水元基)、蜂須賀家政(武田幸三)等は石田治部だと処断を要求します。
軽挙は許さぬと、前田利家がそこを抑えました。

●三成の力量
寧々(和久井映見)が詫びを入れたらというと、三成は間違ったことをしたのは奴らと真っ向反論します。
寧々は三成の真っ直ぐすぎる性格を憂慮します。
三成が無理なら、力あるものにやってもらう他ないと寧々は家康に語りかけました。

●家康
毛利にしろ、上杉にしろこの時を待ちわびていたと、再び世が乱れることを待ち望んでいるようです。
本多忠勝(山田裕貴)は、三成の手には負えない、家康がすべてを引き受けるべきと言います。
危なっかしい連中を裏で抑えるのが得策だと正信が意見します。


(感想)
冷静に情勢を分析する本多正信がいなければ、また戦乱の世に逆戻りしていたのか、なるほどなるほど。

■慶長4年(1599年)・大坂城

(ナレ)「年が明けた慶長4年、秀吉の遺言により豊臣秀頼は大坂城へ居を移しました」

秀頼を守ると三成は誓いますが、茶々は三成ではまとめられない、家康でなければまとめられないという噂を話します。
それに対し、三成は徳川は我らを支えると約束したのだと反論します。
茶々(北川景子)は家康は平気で嘘をつくと、三成の耳元でささやきました。
島左近(高橋 努)から三成は伊達、蜂須賀、福島、皆徳川との縁組が進んでいると知らせを受けました。

■加藤、福島、黒田の縁組

勝手に婚姻が進むのは禁じられていると報告されます。
上杉景勝や毛利輝元は家康に謀反の気があると警戒します。
石田三成は家康には謹慎してもらうと命じました。
糺問使に対し、家康はうっかりしていたと、血の気の多いものが一杯おり、手を焼いていると、戦もじさぬ考えを暗に示します。
大名等は和を乱すのは徳川だと息巻きますが、前田利家がこれらを仲介します。
三成は道理だけではまつりごとはできぬと答えました。
三成のもとに徳川から書状が届きました。
家康と三成が直接話し合うことになりました。

●直接対決
家康は三成の味方だが、不満を沈めるため、一時の間、政務は預かりたいと提案します。
しかし、三成は天下簒奪の野心有りと見て、話し合いは不成立となりました。


(感想)
家康目線だとこうなるでしょうね。
三成目線だと、家康の横暴許さぬとなります。

●前田利家
前田利家は病に倒れ、家康が見舞いに訪れます。
三成は怖いのだ、生まれたのは桶狭間、悠久の物語、家康は神代の昔の大蛇に似ていて、家康が怖いのだと。
利家は家康に腹をくくるしかないと後を託しました。
(ナレ)「この一月の後、前田利家がこの世を去ると、世が騒がしくなってゆくのでございます」


(感想)
前田利家、秀吉亡き後の最大の抵抗勢力でした。

■伏見城包囲

●伏見・徳川屋敷
加藤、黒田、福島、蜂須賀等が三成出てこいと怒鳴っている状況です。
家康のところへ加藤清正や福島正則らがやってきて話し合います。
正信は毛利、上杉等が駆けつければ立派な大戦、潮時かもしれない、立つべきかと話します。

●伏見城
一方の三成は家康に対し、自分のせいだとすべての政務から身を引き、近江佐和山に隠居すると話します。
間違ったことはしていない、秀吉の理念にだれよりも忠実だったと自負します。
結城秀康が三成を佐和山まで同行することになりました。
家康は佐和山を訪れてもいいかと問います。
また星の話をしたいといいますが、三成は遠慮する、違う星をみていたものだと拒絶してしまいました。
家康は、やるからには後戻りできない、悪いが修羅の道を征くことになると本多忠勝に語ります。
今川義元、織田信長、武田信玄、秀吉、酒井忠次らの言葉が蘇ります。
「天下を取りなされ」


(感想)
どうも今までの通説とは違う展開のようです。
加藤清正等に攻められて命からがら家康の屋敷に逃げ込んだというストーリーは古いのかな?
ここで合戦にならなかったのは、家康の戦略だったのでしょう。

■天下人へ

家康は大名の前で、秀頼様のために励まねば、太平を乱すものが居れば家康が許さないと命じました。
一方、幼い秀頼(作間龍斗)を立てた茶々はその知らせを聞き、ほくそ笑みます。

----つづく----

次回はどうする家康 第41回「逆襲の三成」10月29日放送です。

■感想

上杉景勝も毛利輝元もどちらかというと天下を狙うような考えをもっていないように思うので、筋が通ったことを言っただけという気がします。
家康の野心にだれも反抗できなくて、一気に関ヶ原合戦に向かうのでしょう。
関ヶ原合戦が一夜で終わったのも、戦う前にほぼ勝利は確定していたからではないでしょうか。
裏ボス淀君だけは戦で消すわけにもいかず、最後の最後まで残ってしまった。
堅牢な大坂城がそれを助けたということですかね。
いずれにしても、徳川政権が誕生してからの記録ですので、石田三成側の説明が不足しているのは確かです。


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