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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第27回「安土城の決闘」

2023年7月16日(日)20時『どうする家康』第27回「安土城の決闘」を視聴しました。

<始まる前に>
本当に本能寺の変の首謀者は家康なのか?
おそらく違うというオチでしょう。

<NHKのあらすじ>
京の本能寺で信長(岡田准一)を討つ計画を家臣たちに明かした家康(松本潤)。
なみなみならぬ家康の決意に、家臣たちの意見は賛成と反対で真っ二つに割れるが、忠次(大森南朋)は、家康の決断を信じようと家臣団を諭す。
やがて家康たちは信長に招かれ、安土城へ。
だが酒宴の席で、家康は供された鯉が臭うと言いだした。
信長は激高し、接待役の明智(酒向芳)を打ちのめし、追放する。
その夜、信長と家康は2人きりで対じしーー。


■プロローグ

信長は自身が襲われる夢を見ています。

●天正10年(1582年)
■ナレーション(寺島しのぶ)
「ついに宿敵武田を滅し、織田信長公を富士遊覧でもてなした我らが神の君。その返礼に安土城での祝の宴に招かれる栄誉にあずかったのでございます。が・・・」
信長を殺す、家臣の前で決意を表明した家康は、敵への備えが手薄な京で実行する計画を話します。
服部半蔵が服部党と伊賀から逃れてきた伊賀者を集めてい潜ませていました。

●本能寺
茶屋四郎次郎の屋敷は本能寺のすぐ側、信長を本能寺で討つことを公表しました。
千載一遇の好機、唯一厄介なのは饗応役の明智光秀です。
従えぬものはこの場で斬る、誰の指図も受けない、大切なものを奪わせないという覚悟でした。


(感想)
愛する瀬名と信康を粛清した信長を討つというのが本能寺の変のきっかけというのは、面白い展開です。

---曲---
稲本響

■遠江・浜松城

家臣たちは信長を討つという策について議論しています。
酒井忠次は、最後は殿を守ろうと皆に決断を促します。
於愛(広瀬アリス)は家康に、狼より勝ち残ったうさぎの方がたくましいかもと話します。
瀬名の残したうさぎの彫り物を見て、家康はなにか思案しています。
(ナレ)「天正10年5月、かくして我らが神の君は、武田を滅ぼした祝の宴に招かれ安土城へ向かったのであります」


(感想)
もし首謀者が家康や明智光秀であるなら、その後のことを考えると計画が甘いように思います。
信長の家臣が黙って従うとは思いません。
誰か背後に絶大な人物がいたなら別ですが。

■安土城へ

明智光秀が信長に徳川家康の料理に入れることもできると毒を見せます。
饗応の宴が始まりました。
淀の鯉が出されます。
匂いを嗅ぐ家康に明智光秀はすこし狼狽えます。
その時、信長が食べるのを制止します。
すると信長が明智光秀を突然打ちのめします。
「上様の指図通り、何もしなかった」と明智光秀は語ります。
明智光秀は、三河のくそ田舎者がと言い遺し去っていきました。

●宴の後
家康は、一芝居うち、目論見通り明智光秀を消し去ったと語ります。
明智光秀が家康に謝りにやって来ました。


(感想)
明智光秀が信長に叱責されたのは家康の小芝居だったとは。
大変おもしろいストーリーです。
だけど、これだけで明智光秀を消し去ることは難しいかなあ。

■信長と家康

鳥居忠吉(イッセー尾形)の言葉が蘇ります。
信じなければ信じてもらえ、それで裏切られるならそれまでの器だったのだと。
一人では何もできず、周りの助けがあったからこの場がある。
「京で待ち伏せして俺を討つつもりか、お前には無理だ、止めておけ、白兎」(信長)
「謝って欲しいか、妻と子供を殺されて、謝らんぞ、くだらん」(信長)
言い争いになる二人。
信長は刀を抜きながら「俺は誰かに殺される。覚悟ができている、お前にはできん」
「わしのやり方で世を治める、弱きものでこそできることがある。弱きうさぎが狼を食らうのだ」(家康)
「僅かな手勢で京に向かう、本当に覚悟ができているのなら待っているやってみろ」(信長)


(感想)
多くのものを殺してきたから殺されるという恐怖が襲ってきたという信長の設定です。
おそらくそれを超越しているから天下統一ということが考えられるんでしょう。
神になろうとしたため、神を信じる皇族や異教徒に消されたということなんでしょうか。

■尾張・那古野城

信長12歳のとき
父・信秀(藤原弘、)から、誰よりも強く、賢くなれ、信じられるのは己一人、それがお主の道、と教わります。

■京・茶屋四郎次郎邸

服部半蔵(山田孝之)が500人の伊賀者と武器を集め準備完了と家康に報告。
家康は本能寺の見取り図を見ながら、思案しています。

●信長
森乱(大西利空)に京に向かうと命じます。

●備中・高松城
秀吉(ムロツヨシ)は秀長(佐藤隆太)にそろそろおらんくなってくれんかしゃ、安心しやあ、わしはやらんと話します。
引き返す用意はしておけと命じました。

●茶屋四郎次郎邸
信長は軍勢100ほどで向かっています。
家康は信長を討つことにやる気満々です。

■天正10年(1582年)6月2日

本能寺が炎上しました。
民衆は徳川がやった、徳川家康の首を取ったものに褒美が出るという話をしています。


(感想)
徳川がやったと言いふらすのって、なにかの伏線でしょうか。

----つづく----

次回はどうする家康 第28回「本能寺の変」7月23日放送です。

■感想

ミステリー劇場、面白くなってきました。謎解きが。
結果は見えているだけに、そこまでの展開とか、原因が何なのか、どうして家康首謀説が消えたのか?
どう描くのか、面白くなってきました。
家康が信長を討ちに本能寺に向かおうとしたら明智光秀に先を越されたという展開でしょうか。
それなら家康が伊賀越えで必死に逃げ延びるという流れも理解できます。
それだとイマイチなので、もうひと工夫あると面白いです。

私はイエズス会首謀説を支持しています。


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