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【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第32回「誰がために書く」

2024年8月25日(日)20時『光る君へ』第32回「誰がために書く」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
道長(柄本佑)の思惑通り、一条天皇(塩野瑛久)はまひろ(吉高由里子)が書いた物語に興味を示す。
そこで道長は、まひろに道長の娘・彰子(見上愛)が暮らす藤壺へあがり、女房として働きながら執筆することを提案。
狙いは、一条天皇が物語の続きを読むため、藤壺へ来ることを増やし、彰子との仲を深めるきっかけにすることだ。
まひろは道長の提案に戸惑うが、父・為時(岸谷五朗)に背中を押され…


■プロローグ

■寛弘2年(1005年)

●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「一条天皇と亡き皇后、定子の遺児・脩子内親王の裳着が行われた。一条天皇の亡き定子への執着は強く、いまだ公卿に復帰していない伊周を、大臣の下、大納言の上に座らせるよう命じた」

伊周(三浦翔平)は席を譲らせ、道綱(上地雄輔)の隣に座りました。

(ナレ)
「一条天皇は表向き、伊周の昇殿は、脩子内親王の裳着に参列させるためとしたが、真の目的は道長への牽制であった」

道長は天皇の前で、脩子(井上明香里)に裳着の儀式を行いました。

---音楽---
冬野ユミ

---テーマピアノ演奏---
反田恭平

■うぐいす鳴く春

きぬ(蔵下穂波)が乙丸(矢部太郎)に、紅を買おうとしたらそんな余計なものを買うなと言われ、もう越前に帰ると訴えます。
乙丸は他の男の目に留まるのが怖いからと弁明します。
そういえばいいのにと、きぬと乙丸の仲が復活しました。
いと(信川清順)は、まひろと亡き宣孝の喧嘩を思い出しています。
まひろは、あれがきっかけで、帝のためではなく自分のために書いているそうです。

●漢詩の会

(ナレ)
「脩子内親王の裳着から数日後、道長は土御門殿で漢詩の会を催し伊周と隆家を招いた」

儀同三司 藤原伊周殿。
「春帰りて駐まらず 禁え難きを惜しみ・・・」

(伊周)
「枝は花を落とし、峰は視界を遮るように聳え、霞は色を失う。春の装いはもろくも崩れて、谷は静かに鳥のさえずりも消える。年月は移ろい、わが年齢も次第に老けてゆく。残りの人生、天子の恩顧を思う気持ちばかりが募る」

春帰不駐惜難禁 花落紛々雲路深 委地正応随景去
任風便是趁蹤尋 枝空嶺徼霞消色 粧脆渓閑鳥入音
年月推遷齢漸老 余生只有憶恩心
道長の日記「御堂関白記」によれば、寛弘2年(1005年)3月29日に伊周が土御門第を訪れ、一緒に漢詩を作ったことが記録されています。

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斉信(金田哲)は伊周のことをけなげな振る舞いだと評し、公任(町田啓太)と行成(渡辺大知)は心の内とは裏腹だと評しています。
三人は、道長は大したもの、全く焦っていないと敵を広い心で受け止めた器が大きいと思っていました。

(感想)
伊周は若くしてこの世を去りますが、漢詩の才能は抜群だったとか。
道長に首根っこを抑えられて冷遇されたのか、それとも花山天皇に弓矢を放つような愚鈍だったのか、漢詩の才能を見ると前者にように思えます。

●伊周の処遇
道長は、伊周を陣定に参加させたい、帝にたっての願いだと頼まれました。
道長が帝に物語の感想を聞くと、忘れていたとはぐらかされました。

■直談判

道長は帝に献上した物語が心に叶わなかったとまひろに報告します。
帝のために書き始めたが、もはやどうでも良くなった、書きたいものを書こうと思っている、道長には感謝していると述べました。

(まひろ)
「源氏の君はお上が常におそばにお召しなさるので、心安く里住まいもできません。心の中ではただ藤壺のお姿を類なきものなしとお思い申し上げ、このような人こそ妻にしたい。この人に似ている人など・・・」

(道長)
「俺がほれた女はこういう女だったのか・・・」

(ナレ)
「辞表を出した公任に翻意を促すため、一条天皇は公任を従二位に昇進させた。この辞表作戦を指南したのは実資だった」

●辞表作戦
実資(秋山竜次)に昇進のお礼をいう公任です。
ただのゴネ得だと斉信は言います。

(実資)
「従二位、従二位、正二位」

(感想)
実資面白い、というか、秋山さんが面白いのか!
毎回楽しみになってきました。

■突然のお渡り

彰子と敦康親王(池田旭陽)のまえで遊びを指導する道長がいます。
突然、帝がお渡りになりました。
帝は帰ろうとする道長を引き止め、物語を読んだ、自分への当てつけかと問いかけます。
唐の故事や仏の教え、我が国の歴史をさり気なく取り入れているなど、書き手の博学ぶりは無双だと感想を述べました。
その女にまたあってみたいと帝は願います。
会うなら、続きを読んでからにしようと暗に続きを要求しました。

●中宮の女房
道長はまひろに、中宮の女房にならないかと打診します。
しかし、まひろは、乗り気ではありません。
お前を目当てに藤壺にお渡りになるのだ、娘と離れたくなければ女の童として召し抱えるとも言います。

(感想)
なかなか興味深く、リアリティのある展開ですね。
脚本のなせる技です。

●倫子

倫子(黒木華)はなぜ道長がまひろのことを知っているのか問います。
道長は公任に聞いたのだと答えます。
藤壺においておけば、帝もお渡りになる。
これが最後の賭けだ。

(感想)
倫子は、源氏物語を読んでまひろと道長との関係を認識するのでしょうかね。

●賢子とまひろ

まひろは、自分が藤壺に上がり書くしかないと考えています。
悪いことではないと為時も乗り気です。
賢子のことが心配です。
賢子のような幼子が暮らすようなところではない、為時は自分に任せるように言いました。
賢子(福元愛悠)が母上は私が嫌いなのかと尋ねます。
一緒に内裏に行くか、問いますが、行きたくないと賢子は答えました。

■初対面

まひろが挨拶のため彰子と対面しています。
彰子はまひろに、帝のお望み?と念をおして問います。
倫子もにっこり微笑んでいます。
赤染衛門(凰稀かなめ)が内裏を案内します。
赤染衛門は、夫があちこちに子を作りそれを皆自分が育てていると打ち明けます。
帰ってこない夫を待つのも飽きたので、土御門殿に上がったとも。
人の運不運はどうにもならない、倫子は類まれなご運の持ち主羨ましい。
まひろが中宮のことを聞きますが、それが謎だとわからないと返答しました。

■安倍晴明危篤

(ナレ)
「道長のもとに安倍晴明危篤の知らせが来た」

須麻流(DAIKI)が祈祷しているところに、道長が見舞いにやってきました。
晴明(ユースケ・サンタマリア)は床に伏せ、ようやく光を手に入れられましたな、中宮様も盤石と話します。
父がなし得なかったことを成し遂げた、光が強ければ闇も濃くなります。
そのことだけはお忘れなく。
「思いのままにおやりなさいませ」(晴明)
目を閉じて動かなくなった晴明を見ながら、長い間、世話になった、とお礼を述べました。
そして、須麻流も同時に目を閉じて動かなくなりました。

(ナレ)
「その夜、自らの予言どおり晴明は世を去った」

■伊周復活

(ナレ)
「一条天皇は伊周を再び陣定に召し出す宣旨を下した」

「言葉もない、全く言葉もない・・・」(実資)
藤原顕光(宮川一朗太)は左大臣は何をしていたのかと批判します。
道綱が、右大臣がお諌めしてもいいのではないかと反論すると顕光は黙ってしまいました。
実資は不吉なことが起こらなければよいのだがと思っています。

(ナレ)
「その夜、皆既月食が起きた。闇を恐れ内裏は静まり返った」

■火災

内裏で悲鳴が聞こえました。

(ナレ)
「月食が終わる頃、温明殿と綾綺殿の間から火の手が上がり、瞬く間に内裏に燃え広がった」

混乱の中、一条天皇は彰子の手を取り、逃げようとします。

■居貞親王

居貞親王(木村達成)は、昨夜の火事で八咫鏡が消失したことを問いています。
道長は賢所まで火がまわり消失したことを認めました。
居貞親王は、これはたたりだ、伊周を陣定に戻したのが悪いと考えます。
帝をお諌めになさらないようにと道長は言いますが、居貞親王は月食といい火災といい、祟でなくして何であろうか。
退位するしかない、帝の御代は長くは続くまいと考えています。

●伊周
伊周は放火に違いない、火をつけたものが内裏にいると帝に訴えます。

●隆家
隆家(竜星涼)が強引に入ってきました。
行成は隆家を信用していません。
道長は行成を下がらせ、隆家と一対一で話します。

■まひろ出仕
惟規(高杉真宙)は内記に居るから遊びに来てと言うと、まひろは中務省まで行っても良いのかと返します。
まひろは賢子をよろしくといって出かけていきました。
為時はすばらしい物語を書き、帝と中宮の役に立てるよう祈っている、と叱咤激励しました。
「お前が女子であってよかった」(為時)

■藤壺に初出仕

初出仕で藤壺に入ると女房たちが一斉にまひろに視線を向けています。
宮の宣旨(小林きな子)を筆頭に、宰相の君(瀬戸さおり)、左衛門の内侍(菅野莉央)
大納言の君(真下玲奈)、小少将の君(福井夏)、馬中将の君(羽惟)が控えます。
まひろが挨拶すると、女房たちは一堂頭を下げて出迎えました。

----終わり----

次回は 第33回「式部誕生」9月1日放送です。

■感想

安倍晴明の最期が描かれました。
享年84歳だったとか。
最期まで年齢を感じさせない不思議な人物像を描いたのでしょう。
そして、須麻流は本当は存在しない晴明にしか見えない一心同体だったのだろうと言われます。
式神といわれる鬼神を操ったということですから、そうなのかも。
今では平安時代の超有名な陰陽師ですが、名前が知られることになったのは晴明を説話の登場人物として扱った『大鏡』や『今昔物語集』が出た12世紀前半、晴明の死から100年ほど後の時代のことです。
しかし、これらの作品の少し後の作品である『江談抄』や『中外抄』には、晴明の名前は登場していません。
11世紀から12世紀後半にかけて陰陽道といえば賀茂氏と認識される時代が長く続き、一方で安倍氏の者の中にも陰陽道にその才を示すものがいたものの、早世や内紛などが多くて不遇の時代でした。
そこで、晴明を出した安倍氏が自らの立場の復権のために、祖先である晴明の顕彰活動を行ったと推測されています。
後の時代の脚色も相当有って謎の人物に仕立て上げられた安倍晴明、実は単なるフィクサーだったということかも知れません。


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