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【感想と解説】NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第14回「都の義仲」

2022年4月10日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第14回「都の義仲」を視聴しました。

<始まる前に>

1181年~82年までは比較的戦争もなく安定していたのが、木曽義仲の登場で一気に戦乱モード突入です。
悲劇の御子、安徳天皇は登場するのかな?
それとも、やっぱり平家は省略??

<NHKのあらすじ>

嫡男・義高(市川染五郎)を鎌倉へと送った木曽義仲(青木崇高)は、平家の追討軍を撃退して上洛。
敗れた平宗盛(小泉孝太郎)は、三種の神器とともに都を落ち延びる。
義仲の活躍に焦る源頼朝(大泉洋)であったが、義仲と後白河法皇(西田敏行)との関係が悪化すると、弟・義経(菅田将暉)を大将とし派兵することを決断。しかし、利益のない戦に御家人たちが不満を募らせる。
そんな中、義時(小栗旬)は……

■プロローグ

八重(新垣結衣)と義時の新婚生活が始まりました。
木曽義仲の息子・源義高(市川染五郎)が大姫との許嫁の名目で鎌倉にやってきました。
しかし、実態は人質として義仲に命じられてやってきたのです。
最初は猿のような野蛮な許嫁に反対していた政子ですが、おもったより美男子の義高を見て気が変わったようです。

---曲---

エバン・コール

■ナレーション(長澤まさみ)

頼朝の最大のライバル、木曽義仲は、北陸に勢力を伸ばしていた。
その義仲を討つべく、平家の追討軍が迫っている。

■寿永二年(1183年)5月

義は我らにあり!を宣言し、木曽義仲は倶利伽羅峠で平家軍を撃退、京に向かいます。
平家は、後白河法皇を連れて都を逃れようと、宗盛は法皇を探します。
安徳天皇は三種の神器とともに都を落ち延びていきました。
三善康信(小林隆)が文で伝えてきたのです。
義仲と法皇が合うわけがない、と大江広元(栗原英雄)は予想します。

■義仲

義仲は法皇に三種の神器の奪還を命じられます。
「サンシュ?」
神代の昔より帝が受け継いてきた宝だということを義仲は知りません。
三種の神器の代わりに義仲の使っている刀をお使いください、と無礼にも法皇に手渡そうとします。
不躾な態度を見せる義仲を九条兼実(田中直樹)は失笑して見ています。

■人質・義高

義経は義高に、戦になったら殺されるのだぞ、本音を話します。
義高は頼朝と戦いになることはないと父が話していることを信じているようです。
義高はセミの抜け殻を集めるのが趣味で512種集めたと。

■恩賞

頼朝は勲功第一をもらいます。
第二は義仲、第三は行家です。
頼朝は法皇に密かに文を出し、西は平家、東は源氏が収めてはどうかと進言したのです。

■義仲

義仲は、平家を滅ぼすことができればそれでいい、恩賞など不要という考えです。
貴族の装束を身につけた義仲、その姿を貴族に笑われます。
行家は頼朝より下という恩賞に不満を訴え、兵たちが収まらないと、法皇は頼朝への恩賞を取り消します。

■頼家

万寿(頼家)が道(堀内敬子)に連れられて政子のもとにやってきました。

■三善康信による京の情勢

京では木曽軍の乱暴狼藉が目立っていますが、義仲は自身の勢力外が暴れているといいます。
法皇は都が物騒で叶わぬと言うのに、行家は自分の勢力ではないと。
法皇は、ゆっくりせよといわれてそれを本気にするやつがおるかと行家を信じていないようです。
丹後局(鈴木京香)は三種の神器を取り戻すことが大切と法皇にささやきます。

■後鳥羽天皇即位

法皇は、安徳天皇を諦め、後鳥羽天皇をわずか4歳で即位させます。
西国へ出陣し平家を討伐せよ、法皇は命令を出します。
頼朝を待ってからという義仲に対し、法皇は今すぐ起てと強制します。
備中では苦戦を強いられています。
頼朝はこのときとばかり、空白地帯となった京の後白河法皇に接近し莫大な貢物を送ります。
後白河法皇は、頼朝の流罪をとき、従五位下に復帰させ、東海道、東山道の軍事支配権を認めるという宣旨を発します。

■義仲軍

信濃は頼朝の手に渡っと同じということ。
京へ戻るという義仲に、行家は信を失ったので先はないといいます。
平知康(矢柴俊博)は、義仲に暴力を振るわれたと、法皇にそれを訴え、法皇は義仲の面会を拒絶します。
法皇に代わってやってきた丹後局は、義仲に都の何たるかを知ることが先だと冷たく対応します。

■鎌倉殿では

義仲が平家と通じているらしいという文が届き、出陣を急ぎます。
頼朝が鎌倉を離れると藤原秀衡が攻めてくるので危険です。
秀衡の呪詛する権限を文覚(市川猿之助)は全成(新納慎也)に取られました。
御家人たちは鎌倉殿の駒ではないと反感を持っています。
まずは先陣を向かわせ、その間に御家人を説き伏せることになりました。
先陣の大将は義経に命じられました。
大役を命じられ、うれしそうな九郎義経です。
義高は、戦になることを案じます。
儀に悖ることを決して許さない父義仲、この戦に義はあるのか?と義時に問います。
大姫のために、政子は首をはねるようなことをしないように訴えます。

■三浦館

千葉常胤(岡本信人)、土肥実平(阿南健治)、岡崎義実(たかお鷹)が三浦館にやってきました。
鎌倉殿についていくつもりはない、我々の手で坂東を納めるといいます。
三浦義澄(佐藤B作)は反対だときっぱりいいます。
双方、一触即発状態になります。
北条だけは助けてやってくれ、それが条件で味方になる、ということでこの場は収まりました。

■八重と義時

このままでは鎌倉がバラバラになってしまうと義時は案じます。
八重のお腹には子供が宿っているようです。

■伊豆の時政

奪った土地をやるといえば喜んで戦う。要は米の撮れ高よ、と時政(坂東彌十郎)は述べます。
戻ってきてくれという義時に、りく(宮沢りえ)は絶対だめと反対します。

■10月8日

義経の先発隊が鎌倉を発ちました。
セミの抜け殻を義高にプレゼントする義経です。
義高は不安な表情をみせますがその心は、九郎殿が不憫だ、父に勝てるわけがないということでした。
梶原景時(中村獅童)が偵察のため、御家人勢に加わります。
文覚は頼朝を許すわけにはゆかないと、御家人側に加わります。
好き勝手述べるだけで話が進まないが、皆をまとめる力があるものが加わると、勝ち目はない。
つまり、上総介広常が加わると。
大江広元は義時に広常のことで、ある依頼をします。

■義時と広常

御家人たちの不穏な動きに対し、それらの方々から誘われたら乗ってやってほしいと依頼します。
その言葉に従い、広常(佐藤浩市)は御家人側に加わりました。
その夜、鎌倉が2つに割れた。(長澤まさみ)

----つづく----

次回は第15回「足固めの儀式」4月17日放送です。

■感想

悲劇の義高が鎌倉にやってきました。
ちなみに史実では11歳だそうです。
ドラマの義高、すこし大人?ですかね。
もう一人、悲劇の安徳天皇もちら見せです。
母親・建礼門院徳子は出てきませんでした。
そして、分かりづらかったけど、九条兼実もちら見せ。
さて、義高、広常の今後、どう描くのか?乞うご期待!楽しみです。

■勝手に解説(少しフライング)

ドラマ内でも描かれたように、寿永ニ年(1183年)5月、越中と加賀の国境・倶利伽羅峠の戦いで平家軍を壊滅させた木曽義仲が、安徳天皇と三種の神器を奉じた平氏を都落ちに追い込み京都に入ります。

8月、義仲は、皇位継承問題で次期天皇に自らが擁立した以仁王の子・北陸宮を据えることを主張しますが、あっさり拒否されます。

そして、寿永二年10月、後白河院が義仲の頭越しに北陸を除く東海・東山道の国衙領、荘園の年貢は国司・本所のもとに進上せよ、という寿永二年十月宣旨を頼朝に下したことで、頼朝は「朝敵」の汚名を挽回し、義仲との対立は決定的となりました。

頼朝は、義経と中原親能(ドラマでは?)を指揮官として都へ送ります。

木曾義仲は、法皇がたてこもる法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉し、寿永三年(1184年)1月15日、自らを征東大将軍に任命させました。

義仲は京都の防備を固めるものの、法皇幽閉などにより既に世間の不評を買っていたため、義仲に追従する兵はほとんど無く、北国に逃げる途中、宇治川や瀬田での戦いに惨敗し(宇治川の戦い)、源頼朝が送った源義経とその兄・範頼の軍勢により、粟津の戦いで討伐されました。

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