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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第45回「二人のプリンス」

2023年11月26日(日)20時『どうする家康』第45回「二人のプリンス」を視聴しました。

<始まる前に>
秀頼・茶々と豊臣残党勢力掃討作戦の開始です。
「二人のプリンス」とかいっているけど、完全にレームダック状態の秀頼くん、生き延びたほうがいいんじゃね、と思います。

<NHKのあらすじ>
関ヶ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣のもとに集結した。
憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。
しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。
脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。
そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が、大きな火種になる!


■プロローグ
秀頼の「代わり」を茶々に託された家康、19歳になった秀頼が舞を披露しています。

●茶々
茶々(北川景子)は、千姫に艱難辛苦を一つにまとめたのは秀吉だと問い詰めます。
天下を返す約束、その約束を破るなら、その時は戦になっても仕方ないと脅しています。
欲しいものは力で手に入れるというのが武士の習わしだと語りました。

●駿府
家康は、昔のことばかり思い出す、そろそろかのうと阿茶局(松本若菜)に吐露します。

---曲---
稲本響

また、元に戻りました。前回1回のみの特別バージョンだったようです。

■豊臣対策

大坂は牢人が戦に備えていて、民衆は徳川と豊臣がまたぶつかると本多正信(松山ケンイチ)が説明しています。
秀忠は、安寧な世のためはっきりさせるべきだと言います。
本多正純(井上祐貴)は、秀頼には二条城に参上してもらうという方針を述べます。
太閤秀吉は今も多くの者の心のなかにいる、うまくやらないと危ないと述べます。
本多正信は、秀頼に二条城に来てもらい、上段に座ってもらい崇め奉るという策を提言します。
豊臣は公家ならば武力を持つべきでないということです。
寧々に間に立ってもらうことになりました。


(感想)
家康は本当に豊臣を潰したくなかったけど、仕方なく潰さざるをえなかったということですかね。
この心の中については、よくわからない部分ではあります。

●秀頼側
寧々(和久井映見)は秀頼を二条城に招きたいと茶々・秀頼に伝えます。
大野治長(玉山鉄二)は情けないと述べています。
千姫(原 菜乃華)は、申し訳ないと謝りますが、それを秀頼は慰めています。
寧々は、徳川の庇護にあることを忘れてはならないと衷心します。
加藤清正(淵上泰史)は、命に変えても秀頼を守るつもりだと意気込みを述べました。
茶々はそろそろ世にお披露目するということになりました。


(感想)
加藤清正はこの後不審死(暗殺?)するようです。

■京

(ナレ)「慶長16年3月28日、この日豊臣秀頼は大坂城に移っている初めてその姿を民の前に現したのでございます」

●二条城
二条城では、豊臣人気に家康や秀忠は警戒しています。
秀頼が二条城にやって来ました。
親しそうに話しかける秀頼に対し、家康はうやうやしく振る舞い上座を秀頼に譲ります。
寧々は取り決め通りだといい、家康は豊臣は関白で公家であり、上段に座るのはしきたりだと譲りません。
寧々にいわれ、二人とも上段に座るよう促します。
秀頼は家康の手を取って二人揃って上段に座りました。
しかし、秀頼は下座に戻ってしまいました。


(感想)
なかなか緊迫感のあるシーンでした。
秀頼はうつけではないと印象付けるシーンですね。
家康には秀頼が危険人物だと映ってしまいました。

●秀忠
秀忠が秀頼を跪かせたと喜ぶ姿を、江(マイコ)は憂慮しています。
民にも、秀頼がひざまずいたという情報が広がりました。
秀頼は立派、徳川は無礼で恥知らず、大坂には牢人が集まっているようです。
真田信繁(日向 亘)はその様子を修験者に変装してうかがっています。
家康は、秀頼について秀吉(ムロツヨシ)を思い出していました。
それに対し、征夷大将軍になった秀忠はどう感じていたのか。


(感想)
世論が秀頼びいきに傾いたのも大きいでしょう。
関西圏では秀吉人気が今でも高いです。

■慶長17年(1612年)

三浦按針・ウィリアム・アダムス(村雨辰剛)が時計を調べていました。
家康はイギリスには大砲があると聞き、それをもってくるよう命じました。
二度と戦乱の世に戻さないために必要だと言います。


(感想)
大砲は、関ヶ原の戦いですでに使われていたとも。

●今川宗誾(氏真)
石田三成(中村七之助)の戦なき世など成せぬ、まやかしの夢を語るなと言う言葉が蘇ります。
今川氏真(溝端淳平)が家康の元を尋ねてきました。
(ナレ)「今川氏真、没落後は神の君の庇護のもと、妻と悠々自適に過ごす日々でございます」
まだ降りるな、まだまだ苦しめ、という言葉を思い出し、戦無き世を作り王道の治世を成してくれという氏真の言葉に抗い慰められました。


(感想)
戦国時代の武将が、そんなに戦無き世を叫ぶとは思えない。
簡単に人を亡き者にするのが武将ですからねえ。
歴史ドラマにこんな現代ドラマのようなお涙頂戴シーンは似合わないです。
徹底的に弱い家康を描くとこうなるのかな。

■慶長19年(1614年)・京

(ナレ)「二条城会見以降、秀頼の活躍めざましく、豊臣の威光を復活させる大事業を進めておりました」
秀頼は京大仏を拝んでいます。
徳川も招いて供養を行うことになりました。
70歳を超える老木とその後の凡庸なる二代目、時が勝負をつけるだろうと大野治長は茶々に語ります。

●秀忠
豊臣の威光が蘇る、秀忠は強硬に大仏供養をやめるよう主張しています。
秀忠は、取るに足らぬという世間の評判を気にしています。
家康が死に秀頼との戦いとなったら、負ける自信があるとも。
それに対し家康は、すでに才能を受け継いでいる、弱いところがと、そしてその弱いところを素直に認めるところが、と評価しているのです。
王道で天下を治める、それを為すものが秀忠だと信じていると家康の志を受け継げてくれと願いました。


(感想)
武将たるもの、そこでは泣かないでね。

●秀頼
秀頼は大野治長と槍で対決していました。
茶々が鐘の銘について妙案を思いつきました。
それを考えた茶々は、面白いとほくそ笑んでいます。

■方広寺事件

鐘の銘について「国家安康 君臣豊楽」とありました。
それを見た家康は、金地院崇伝(田山涼成)と林羅山(哲夫)を呼び寄せ、意見を言わせます。
「とうとう戦か・・・」(家康)

----つづく----

次回はどうする家康 第46回「大阪の陣」12月3日放送です。

■感想

音楽も元に戻りました。前回は特別バージョンだったようです。
さて、今回は秀頼と秀忠のプリンス対比が描かれました。
たしかに、秀頼の方が秀忠より武勇では優れていたけど、知略の点では逆だったということでしょう。
秀頼が家康と対面した時、その優秀さを示した時点で、秀吉の足元に及ばないことが露見されてしまいました。
秀吉ならうつけを演じていたでしょう。
家康や秀吉は、信長のうつけ演技を見習っていた。
逆に、家康はそれを見抜いていたともとれますね。深読みだけど。
秀忠についての家康の評価はよく分からないけど、結果的には秀頼を自分の寿命が尽きる前に滅ぼしたことで分かるのでしょうね。
叩ける時に叩いておけと。


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