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【感想】NHK大河ドラマ『どうする家康』第16回「信玄を怒らせるな」

2023年4月30日(日)20時『どうする家康』第16回「信玄を怒らせるな」を視聴しました。

<始まる前に>
さて、今回は甲斐の名門武田氏から出た稀代の名将武田信玄の戦いがテーマになります。
家康は勝てそうにない戦を強いられます。

<NHKのあらすじ>
浜松に居城を移した家康(松本潤)だが、城下で虎松(板垣李光人)と名乗る少年に襲われる。
遠江の民は徳川を恨んでいるという虎松の言葉に、家康は傷つく。
一方、信玄(阿部寛)に対抗し、家康は上杉謙信との同盟を探るが、それが武田方に漏れ、信玄を激怒させてしまう。
武田との決戦を避けられないと覚悟を決めた家康は、人質として武田に送っている義弟・源三郎(長尾謙杜)を救い出すが、そこには信玄の思惑があり・・・。

■プロローグ

一人の少年が甲斐から逃走しようとして捕らえられようとしています。
その頃、信玄が富士山の見える所で、腹を押さえて悶絶しています。
■ナレーション(寺島しのぶ)
「我らが神の君の大活躍により、姉川合戦で織田・徳川軍は浅井・朝倉軍を見事撃破」
「かくて我らが神の君は新天地、遠江浜松へとお移りに」
遠江・浜松
1人の女装した刺客が家康に襲いかかり逃げていきました。
家臣にその少年が捕らえられ、家康の前に引き立てられました。
あるじはいないと話す少年は、今川を裏切り遠江をかすめ取った家康を恨んでいました。
武田がわが国の国主にふさわしい、武田が国を治めればいいと話します。
しかし、家康は放免するよう命じます。
少年は、井伊虎松/後の直政(板垣李光人)と名乗りました。
家臣たちは、民の心まで浸透させる武田の調略は深く入り込んでいると、苛立ちます。
甲州金をばらまき、地侍を取り込み、民の暮らしを助けているとも。
家康は、信玄の方が領主にふさわしいという虎松のことが気になっています。
信玄だけは怒らせるなと言うことで、家臣の意見が一致しました。


(感想)
まさかの井伊直政と家康の初対面でしたね。
直政の一族は、今川の家臣だったということなのでありえないことではないけど、家康を討とうとした可能性は低そうです。

---曲---
稲本響

■三河・上ノ郷城

於大(松嶋菜々子)に服部半蔵(山田孝之)が呼ばれ、源三郎勝俊に何かあったらしく、救出してほしいと依頼します。
久松俊勝(リリー・フランキー)は二男の源三郎勝俊が甲斐で人質になっていると話します。

■甲斐

捕らえられている牢獄に忍びが侵入、勝俊(長尾謙杜)を確認すると、虐待され弱っていることを半蔵は家康に報告しました。
しかし、家康は半蔵に、勝俊は息災だったと報告するように命じました。
家康は人質として甲斐に行くよう命じたことを思い出しています。

■武田信玄
千代(古川琴音)と信玄は、三河を如何に攻めるか策略を思案中です。

■家康
奥三河が武田方に通じていることを夏目広次(甲本雅裕)と大久保忠世(小手伸也)が報告します。
家康は信玄の宿敵である越後の上杉謙信に内密に書状を送ることに。

■信濃

密書を持った僧侶姿の忍びが歩き巫女に、栗に仕込んであった毒によって殺害され、書状が盗み取られます。
その密書が千代から信玄にわたり、これで関係を徳川から断ったということになり、信玄はかわいいものだと言われてしまいます。
つまり、信玄を怒らせたのです。
家康は信玄が遠江を初めから切り取ろうとしたと考え、いつかは戦になると考えていました。


(感想)
歩き巫女の存在は重要だったらしいです。
このころから諜報活動、情報インテリジェンスが戦争で勝つのに必須だったんでしょう。

■奪還作戦開始

信玄は勝俊の元を訪ねると、今宵奪いに来ると話します。
服部半蔵と大鼠(松本まりか)が勝俊を奪いにやって来ました。
連れ出そうとしますが、格闘になり、結局千代によって阻まれますが、勝俊は救出されました。
源三郎勝俊は救い出されましたが足の指が凍傷で壊死、泣き出す久松長家(リリー・フランキー)気丈に振る舞う於大でした。
ひどい仕打ちを受けたわけではなく同じ鍛錬を受けただけ、息子・武田勝頼(眞栄田郷敦)は鍛えられており、化け物だと甲斐の侍に勝てないと話します。
国に帰ったら、ここでのことを話せ、そしてこう伝えよ「・・・・」
千代と戦った大鼠は生きていて半蔵に助けられました。


(感想)
信玄に虐待され家康は恨みに思い、信玄と戦ったというストーリーにしたいのでしょう。
千代、強いですね。まさか、歩き巫女がこんなに強いとは!

■どうする家康

家臣一堂が集まったところで家康は、信玄の伝言を話します。
「弱き主君は害悪なり、滅ぶが民の為なり、生きのびたければわが家臣となり手を差し伸べるは一度きり」
家康は従うかどうか、各々で決めて良いと言います。
情けない殿より、武田信玄の家臣のほうがマシだといいます。
苦労して手に入れた、遠江や三河は信玄にくれてやりましょう。
「戦っても十に九つは負ける、十に一つを信長は桶狭間でやった」(本多忠勝)/山田裕貴
「わしは信玄に何一つ及ばぬ」(家康)
「家臣一堂がおります力を出し合えばきっと信玄に及ぶものと存じます」(夏目広次)

■信玄出陣

信玄、仏像の前で病で苦しんでいます。
信玄は息子の勝頼に「田畑があれば港があれば富があれば世を平かにしたものを」
「それをソナタに残す、我が生涯最大の戦となろう、天下を沈め世に安寧をもたらす」
「時は今、この信玄、都へ向かう、敵は織田信長まずはその路上に転がる小石を除くため徳川家康を討つ」
信玄は全軍の前で戦闘開始を宣言しました。

■決戦のとき

家臣の前で、家康は「この地を守り抜き、武田信玄に勝つ、今こそ桶狭間を成すときぞ」

----つづく----

次回はどうする家康 第17回「三方ヶ原合戦」5月7日放送です。

■感想

信長は最強の武田軍と敵対しますが、信長本人は元亀2年(1571年)5月長島の一向一揆に手こずり、9月には比叡山焼き討ちを行ないました
さらに、元亀3年(1572年)3月、三好義継・松永久秀らが共謀して信長に敵対するなどしていました。
このように戦火が方々であがり、信長軍は武田軍に兵を集中することはありませんでした。
このような状況を見ると、信玄の病気は信長に知れ渡っていたのではないかと勘ぐりたくなります。
絶えず間者を送り合う戦国の世、病気を隠すのは大変ではないでしょうか。
そして信玄の息子でありキーマンとなる前田郷敦演じる勝頼が登場しました。
確かに、この頃の家康、実力も備わっていなかったのは明らかです。
それに対し、信長と勝頼の対決、見ごたえありそうです。

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