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【感想】NHK知恵泉「保元・平治の乱 “武士台頭”の始まり」を視聴しました

昨日2021年9月14日(火)22:00~22:45、NHKのETV「知恵泉」『保元・平治の乱』を視聴しました。
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NHK教育テレビで保元・平治の乱をやる、とあり、しかも武士の台頭とあったので久しぶりにここで取り上げます。
ちょうどブログで武士の台頭を書いているところだったのでグッドタイミングです。
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■プロローグ
武士は貴族の用心棒でした。
12世紀、世の中がガラリと変わります。
武士が時代の主役に躍り出たのです。
武士の時代は明治維新まで700年続きました。
なぜ武士は貴族から主役の座を奪うことができたのでしょうか。

きっかけは保元の乱、平治の乱
主役は平清盛と源義朝

■本日のゲスト
・サッカー女子日本監督の佐々木則夫さん
・3時のヒロイン・福田麻貴さん
・歴史学の佐伯智広先生

「とうぬか」(宮古)
「こが」(鹿児島)
「たがも」(石川)
「たもも」(飛騨)

方言の卵→保元の乱です。
その地域では方言でこう読んでいるということですね。

源頼朝のお父さん義朝の知恵を見ていこうと思います。
法元元年、京の都に重苦しい空気が流れていました。
まさに戦がはじまろうとしていました。
武士の力を世に示すチャンスがきたのです。

■1つ目の知恵:派手な結果で実力を見せつけろ
戦のきっかけは後白河天皇と崇徳上皇でした。
二人の父親、鳥羽上皇が原因を作りました。
当時、皇子、天皇、上皇を影で操る院政が行われていました。
崇徳天皇は、自分が白河上皇の子ではないかと疑っていました。
そして、鳥羽上皇と得子の間に、男子が誕生しました。

鳥羽上皇の暴走が始まります。
3歳の息子・近衛天皇は若くして崩御
崇徳上皇は、院政を出来なくなったことに恨みを持ちました。
突然の出来事が起こります。鳥羽上皇崩御です。
これで後白河天皇の後ろ盾が消えました。
こうして元天皇双方が武士を雇ってぶつかりあう前代未聞の出来事が起こります。
後白河天皇の後ろ盾が平清盛と源義朝です。
義朝は父によって東国に送り込まれたという異色の持ち主です。
東国は荒々しい世界でした。

■歴史家・関幸彦さん
京都から距離があって武士的社会が非常に根付く文化があった。
私的なこと、血で血を争う、野蛮な社会の原形があったのだろう。
義朝は、関東の豪族をまとめるリーダーになり鎌倉に拠点を置きます。
意気揚々と京都に戻ってきたのです。
義朝は、従五位下、下野守に昇格していたのです。
願ってもないチャンス
これまでの合戦では存分に戦えなかったが、今回は天皇の宣旨を頂戴し朝敵を倒そうとしている。
なんと晴れやかな気分だ。

両軍は鴨川を挟んで対峙します。
後白河天皇側は、清盛は300騎、義朝は200騎
崇徳上皇には忠正(清盛の叔父)100騎、為義(義朝の父)100騎、為朝(義朝の弟)です。
崇徳上皇側は、援軍が来ることになっており、望みを抱いていました。
義朝は信西(藤原通憲)に進言、夜襲をかけると。一同を驚かせました。
当時、夜襲は野蛮で卑怯な戦いとされていました。
戦で重要なのは結果だけ。負ければそれまでです。
華々しい成果が必要だとかんがえたのかもしれません。
信西は夜襲作戦を許可しました。

■7月11日未明
為朝が守る門には近づけません。
膠着状態を打開するため義朝は掟破りの戦いを提案します。
「火をかけましょう」
戦は勝たなければ意味がない
崇徳上皇の拠点に火の手が上がると上皇方は総崩れになりました。
崇徳上皇は讃岐に流され、多くが処刑されました。
武士を使って政敵を倒すということが効果的だということを世に示したのです。

■愚管抄の慈円
「鳥羽上皇が崩御された後、乱が起こり、武士の世になってしまった」
実力を派手に見せつけることで、武士という存在を深く記憶に刻み込んだのです。

■佐伯智宏先生
武士同士でトラブルが起きると都から警察として派遣された人が武士になっていく。
都のおえらいさんとの縁故を使って相手より上に立とうとした。
都の有力者同士でトラブルが起こった時に武士で戦わせて決着をつけるか。
武力に頼ると武力の価値が上がってしまう。
信西は敵の武将が降参してきても、軒並み首を切りました。

・3時のヒロイン・福田さん
「インパクトは大事」
ここは勝負だという感じはありました。
ファーストインプレッションを大事にした
・佐々木さん
サッカー女子、周りから評価されないという時代、東日本大震災で大変だった
頑張るという気持ちがすごいパワーになっていった。

■平治の乱
3年後に平治の乱が起こります。
熊野地方を旅する一行の姿がありました、平清盛です。
播磨守という武士として破格の役職を与えられました。
皇族や貴族に人気の熊野詣に行けるまでになりました。
京都では様々な動き
後白河上皇と二条天皇に皇位を譲り上皇になります。
先ほどと同じ感じですね
信西、全幅の信頼を寄せられるようになり、やりたい放題です。
恨まれてもおかしくありませんね。
清盛に都から火急の知らせ、都でクーデターが発生しました。
後白河上皇の御所が襲われ天皇とともに上皇が幽閉されたいうのです。

■2つ目の知恵:「自らの存在意義を明確に示せ」
標的は信西でした。
首謀者は藤原信頼という男、ナンバー2の人間でした。
信頼は義朝を誘いました。
義朝は正当に評価されないと、信西を恨んでいたのです。
二条天皇の側近たちも信西が居なくなれば好都合だからです
最大の障壁が平清盛です。
清盛が都を留守にするという情報を得て、クーデターを企てました。
信西は自害しました。
清盛はどう動くべきか。
クーデター派は天皇を確保

■関幸彦さん
義兵というものが前提となる
天皇や上皇は官軍、清盛が最も恐れたのが逆賊のそしりを受けることでした。
旅の途中ということで軽装で、六波羅の自宅に武器を残しています。
かなり不利です。
ところが信頼は清盛を味方につけたかっただけで戦うつもりはなかったのです。
清盛は京に戻りました。
我々武士はなんのために存在しているのか?
自分たちだけの利益を考えていればいいのか?
武士の使命は、天皇を守り国を支えること
清盛は神妙に信頼の家来になると宣言しますがこれは清盛の策略でした。
こっそり二条天皇の側近と連絡をとっていたのです。
12月25日、清盛はついに動きます。
二条天皇に女性のかっこうをさせて内裏を脱出されることに成功。
後白河上皇も六波羅に入ります。
天皇と上皇を無事救出した清盛。
あとは悪人どもにさばきを下すだけ。
信頼、義朝の追討命令を出します。
逆賊となった彼らは為す術もなく敗れました。
義朝は部下の裏切りで殺されました。
清盛は英雄となり、名声と人気は揺るぎないものになりました。
この事件で力を失ったのが後白河上皇です。
二条天皇の側近たちは上皇をたたくチャンスとばかり、露骨ないじめをします。
清盛は側近たちを流刑にしてしまいます。
源氏と有力貴族はほぼ壊滅状態
清盛の平家一人勝ちとなっていきました。
二条天皇からも後白河上皇からも頼られ、最高権力・太政大臣にまで上り詰めます。

清盛は、武士の時代の先触れだったのです。

■佐伯先生
清盛は天皇を擁立する形で権力を作っていきました。
そこが天皇を護る姿勢は鎌倉幕府とは違っていました。
政治も経済も治安維持の面でも世の中が成り立たないとなっていく。
清盛の娘が生んだ子が天皇になります。
後白河上皇も命を守ってくれたのは清盛だと思っていたでしょう。

■今日の知恵「自らの意義を明確に示せ」
新しい時代への転換点
武士は自分たちの時代を切り開き続けました。

次回・・・承久の乱

ーー終わりーー

■感想など
武士って起源とかよくわかっていないらしいです。
桓武平氏とか清和源氏とか平氏と源氏の祖先はわかるのですが、武士となるといったいいつ頃どのように発生したのか、わからないのです。
歴史学の界隈でもまったく前にすすんでいないみたいです。
歴史本を読んでも、武士の発生とか台頭はいつから始まったのかは曖昧です。
今日の知恵泉は、そんな学者先生たちのお仕事は無視して番組は進みます。
テレビ的には、武士が生まれたのは清盛と義朝の頃からでいいんじゃない。ということですね、明確には言ってませんが。
平将門とか藤原純友とかは武士じゃないのかとか、承平天慶の乱が武士の台頭の起因となったのではないのか、とかいろいろ反論が出てきそうですね。
おそらく、武士=軍人というイメージが強く、戦後の東京裁判史観が流行し、軍国主義排斥の風潮の中で、武士の話がタブー化されたことが現在も後遺症として残っているのでしょう。
この番組は知恵泉というくらいで歴史人物の知恵を探るということなので、歴史学というより、思想・哲学に近いので、「自らの意義を明確に示せ」という学びは、そういうことなんでしょうね。
武士の台頭についての歴史学的コメントはありませんでした。
次回も承久の乱なので視聴するつもりです。


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