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【感想】NHK 歴史探偵「首里城と琉球王国」を視聴しました

2024年5月22日(水)22:00~22:45 歴史探偵「首里城と琉球王国」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
沖縄のシンボル・首里城。
焼失から復元が進み、かつての琉球王国の姿がよみがえろうとしている。
復元の現場を徹底調査、450年繁栄を維持した海洋王国の外交戦略に迫る。


■プロローグ

●スタジオで

佐藤所長「最初に言ったのが首里城です」
首里城は、1429年~1879年まで、450年以上続いたものです。
2019年に火災があり、再び復元中です。
平成の復元よりちょっと違った姿になるようです。

■首里城復元 最前線 よみがえる琉球王国

赤く輝く正殿、国王が政治や儀式を行うものです。

●復元工事
・勝見直光さん(国営沖縄公園)
現れたのは正殿の巨大な屋根、骨組みまで出来上がっています。
漆塗りの塗装に向けた下地の作業を進めています。
実は、平成の復元の時とは別の色になっていきます。
平成より、令和は茶色がかっています。
琉球王国と同じ、沖縄の材料で弁柄を使っています。
「尚家文書」琉球王家に伝わる資料です。
弁柄は、久志間切(名護市久志)でとれた材料で作ったと特定されました。
王国時代のオリジナルに近い正殿の復元につながっていくと考えています。
心臓部といえる部屋も一新されると言います。

■繁栄を支えた中国

●額の復元
・安里進さん(沖縄県立芸術大学)
大きな文字があしらわれた板、試作中の額の一部です。
平成の赤に対し、令和は黄色になっています。
「鏡黄色塗」と尚家文書に記されていました。
「清朝では身分によって違いがあり、それ以外のものは黄色を使ってはならない」
黄色は中国の色だと言います。
なぜ琉球王国の玉座の上に、中国皇帝の色を使っていたのでしょうか?
実は琉球王国は中国と密接な関係で結ばれていました。
冊封という関係です。
「冊封使」中国皇帝から送られる使者で皇帝に代わって国王承認を行うもの
安里さん「中国から来た使者がこの『皇帝へん額』を拝して中国との君臣関係を守っていることを確認する部屋です」
中国との関係を大切にしてきた最大の理由が貿易です。
冊封関係がなければ成り立たなかったのです。

●漆器
夜光貝の螺鈿は中国で珍重されました。
タイ・ミャンマー産の漆が使われていることがわかりました。
輸入した原料を自国の工芸技術と組み合わせて輸出する貿易は琉球に大きな富をもたらしました。

●冊封使への接待
ただの接待ではなく、500人、半年間滞在するのです。
「冊封全図」
演劇、踊り、手漕ぎ船のレース、中でも料理に力をいれました。
フカヒレの蒸し料理、鹿のアキレスけんの煮込みなど、一度に49品も提供、さらに、驚きの仕掛けが。

●花火
・茂木仁史さん(国立劇場おきなわ」
高さ3mの花火のし掛けです。
「火花方日記」
茂木さん「儒教の先生が琉球の隅々まで行き渡らせている、中国のおかげとアピールする」

●スタジオで

・上里隆史さん(琉球歴史研究家)
「朝貢という行為で貿易が認められ、ビジネスチャンスが増えるというメリットがあります」
「大きな利益を得たのが中継貿易で、陶磁器が777万個入り、そのうち477万個が転売されたと言います」
琉球がとても深く関わっていた国が日本です。
琉球ブームが起こっていました。

■琉球ブームの背景

●手がかり
・麻生伸一さん(琉球大学)
「琉球人行列絵巻」
日本人はひげを生やさない文化なので、琉球人独特でした。
琉球が江戸幕府に送った外交使節です。
琉球装束に身を包んだ使節の衣装は、中国風です。
片道2000kmを旅しました。
その姿に日本中が大興奮。
「琉球恩謝使畧」
琉球人が通る際、ガイドブック的にこれを買っていました。

■両属外交の秘策

●薩摩藩による軍事侵攻(1609年)
薩摩を通じて江戸幕府に従うようになり、使節を送るようになりました。
両属の体制をとることで国を維持することになっていきます。
しかし大きな問題が。
冊封は一人の皇帝を頂点とした君主関係でした。
中国に知られたら外交問題になりかねません。
驚きの秘策がありました。

・鈴木耕太さん
隠蔽政策で、日本のものをひたすら隠します。
中国の冊封使が来た時、日本のものを徹底的に隠すよう命令していました。

●琉球士族の家へ
当時の日常を再現しました。
アナウンサーが日本を隠すことに挑戦です。
書籍に江戸って書いてあります。
お椀、三線も隠します。
しかし、正解したのは、書物だけでした。
他に何を隠さなければならなかったのでしょうか。
掛け軸には日本の年号「天保」が書かれていました。
着物、編み笠も、升、お金、焼き物などなどあらゆる品々が制限されました。
家の中だけでなく、墓は土で一回埋めるよう指示されました。
戻った後、堀戻しました。
これらを継続することで良好な関係、安定した外交をする知恵を絞ったのです。

●スタジオで
佐藤所長「ルールを破るとどうなったのですか?」
「日本の書物を見せた場合はむち打ちが5回、編み笠はむち打ち2回」、
日本との関係がバレていたことを物語る資料があります。
冊封使が皇帝に書いた報告書
ひらがなを使っていましたよと。
「外交問題になっていません。これが日本の文字だと言う人もいる、と控えめな書き方をしています」
冊封使も見た以上は報告しないといけないけど、あえて突っ込まない、見て見ぬふりをする努力で両立していました」
「東アジアの安定が250年以上もたらされました」
そんな琉球王国ですが、19世紀後半に姿を消します。

■黒船来航から滅亡へ

●那覇港
外国人墓地へ
ペリー来航を示す碑です。
日付は1853年6月6日、日本に来航する1か月前のことだったのです。
日本に来る前に沖縄に来ていたのでした。
そこで、日本との交渉の拠点とするため、琉球にやってきたのでした。
しかし、王国の予想しない方向へ動きます。
ぺりーが再び戻ってきて、琉球との条約締結を求めてきたのです。
幕府に那覇の開港も求めますが琉球は遠方の国議論することはできないと返答。
ペリーは直接条約を求めてきたのです。
何としても条約締結を拒否するこれが琉球王国を守る道でした。
尚宏勲(本名:金武按司朝昌)

●アメリカとの交渉
1854年7月7日アメリカとの交渉が始まります。
条約に応じる国力はない、中国の藩国で中国の指図を得なければ条約は締結できない。
しかし、アメリカ側に一蹴されてしまいます。
・上原兼善さん(岡山大学)
「中国はすでにアメリカの条約を受け入れている。中国の藩国である琉球がアメリカの要求を断ることはできない」
中国は、10年前清王朝はアヘン戦争にやぶれ不平等な条約を結ばされていました。
では、なぜ日本との関係を持ち出さなかったのか?
「隠蔽政策をとることで、中国との関係を維持していく、日本との関係が表に出てこない大きな背景です」
アメリカとの交渉は琉球が単独で交渉するしかありません。

●1854年7月11日琉米条約を締結
アメリカ、フランス、オランダとも同様の条約を結ぶことを余儀なくされました。
それから20年後、さらなる悲劇へ
日本は琉球併合へと動き出しました。
琉球はアメリカに王国存続への支援を求めますが、新政府と水面下で交渉、琉球は日本が引き継ぐことになっていたのです。
上原さん「条約を中国ではなく、日本が引き継ぐ、両属体制から日本の領土として位置付けられていきます」

●1879年3月、明治政府は沖縄県設置
尚泰王は首里城を明け渡しました。
450年続いた琉球王国は滅亡したのです。

■よみがえる琉球王国の輝き

●沖縄県立博物館・美術館
今年4月、玉城デニー知事「沖縄由来の流出文化財が返還されました」
「御後絵」歴代の琉球国王を描いた肖像画です。
沖縄戦で失われ、モノクロの写真しかありませんでしたが、4点が変換されたのです。
13代尚敬王、18代尚育王
実像に迫る新たな手がかりになると注目されています。
・濱地龍磨さん(沖縄県教育庁)
「自分たちの歴史、沖縄の人々の歴史を取り戻す一歩になりました」
失われた琉球王国の輝きは蘇ろうとしています。

●スタジオで
佐藤所長「琉球王国が輝きを取り戻そうとしていて是非行きたいです」
上里さん「幕末は父母の国というほど根付いていました」
上里さん「ペリーとしては両属というものは理解し難かったものと思います」
沖縄県設置後中国とはどんな関係になったのですか?
上里さん「対立が起こりましたが、ただ、中国に助けを求めたのは王国の復活を求めるため、日本についた人も、王家を世襲の知事にして特別の自治を獲得しようということも起こっています」
「まず大事なのは琉球という沖縄という主体を確保するという運動の流れになったと思います」

ーーーおわりーーー

次回は「戊辰戦争と会津」5月29日(水)22時放送です。

■感想

沖縄に旅行とかで行ったことはありますが、首里城の朱が印象的でした。
その赤色の首里城、本来はもっと茶色がかっていたというのは意外でした。
今でもそうですが、沖縄は昔から両属体制だったというのも納得です。
中国の力の強弱で、冊封体制が強固になったり、日本へなびいたりという微妙な関係。
今でもそうですよね。中国が大国になったので、冊封体制が強まる。
最近中国も弱まっているので、冊封体制がゆらいでいる。
そして、日本政府も強硬策を取れないでいるのも面白いです。
小さな地域である沖縄なので、ビジネスによって興隆するかどうかが決まるというのはよく理解できます。
日本政府=アメリカのいいなりになるより、中国との関係を強化したいと考えるのもよく理解できます。
まあ、どちらにせよ、日本語を話す日本人であることは、DNA・Y染色体ハプログループからも間違いなく、中国に編入されるというのではなく、どっちよりの経済方針をとるかどうかで揉めているということのようです。
まあ、私としては琉球の独自文化を守っていただきたいというそれだけです。


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