【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第16回「華の影」
2024年4月21日(日)20時『光る君へ』第16回「華の影」を視聴しました。
<始まる前に>
藤原隆家が登場ですね。
道長の甥で、伊周、定子の弟なので、番組でもキーマンです。
<NHKのあらすじ>
石山寺からの帰路、まひろ(吉高由里子)は思いかけず、さわ(野村麻純)を傷つけていることを知り落胆する。
宮中では、後宮に伊周(三浦翔平)や弟の隆家(竜星涼)らが集い賑わう中、詮子(吉田羊)が現れる。
一条天皇(塩野瑛久)らが緊張する中、伊周は・・・その頃、都で疫病がまん延していた。
ある日、たね(竹澤咲子)がまひろを訪ね、悲田院に行った父母が帰って来ないと助けを求める。
悲田院でまひろが見たのは・・・
■プロローグ
●正暦4年(993年)
前回の回想からスタート。
さわは、蜻蛉日記の話のとき、自分をのけ者にした、道綱はまひろが欲しかったのだ、味方だと信じていたのに、生きている価値もない人間、どうでもいいと泣いて離れていきました。
家に戻ってきたまひろは、お守りを土産として、いと(信川清順)に渡しました。
石山寺での道綱母の言葉を思い出して、筆をとりました。
---音楽---
冬野ユミ
---テーマピアノ演奏---
反田恭平
■正暦5年(994年)
●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「年が明け、定子のいる登華殿は、華やかさを増し、積極的に若者たちを招いていた」
「弟の隆家も加わり、中関白家は帝との親密さをことさらに見せつけた」
■香炉峰の雪
行成(渡辺大知)が緊張しながら、古今和歌集の写しを一条天皇に献上します。
麗しい文字だと一条天皇と定子に褒められました。
斉信(金田哲)は、中宮に、越前からの鏡を献上しました。
清少納言(ファーストサマーウイカ)に定子は「香炉峰の雪」はいかがであろうかと問いかけます。
すると、清少納言は御簾を上げて、雪の庭を眺めるよう皆に催促しました。
白楽天の詩だと、公任(町田啓太)は博識のところを見せます。
清少納言は見事であったと定子に褒められました。
雪遊びをすることになり、伊周が率先して雪遊びをしています。
そこに道長が現れますが、遊びの光景をみて、帰っていきました。
隆家も何が面白いのかわからないと白けています。
●行成、公任、斉信
行成は帝側に翻ったのかと問われますが、どちら側にもついていないようです。
公任は、伊周のことを批判します。
●倫子と道長
倫子は、彰子(森田音初)を入内させるようなことは考えるなと道長に釘を差します。
倫子は道長のように心の優しい人に育つように願っていました。
●宴
舞を舞う伊周は、お前も舞えと道隆に促します。
すると道隆は、伊周といっしょに歌いながら舞を舞いました。
そこに詮子がやってきました。
帝に、先程の騒々しい舞のことを非難します。
●ナレ
「円融院の死後、詮子は史上初の女院の称号を与えられた」
伊周は、垣根を取り払いだれもが語り合うことが出来る後宮の姿だと詮子に分からせようとしました。
(感想)
詮子は女院にまで昇格しますが、道隆に疎まれていた割には、昇格というのもなぜなのか不思議です。
もちろん、一条天皇の母親であるから強い立場にいるのはわかるのですが、
詮子は非常にやり手の女傑だったのでしょう。
道隆との対立が今後の展開に影響していくのは確かなようです。
●道綱
道綱は、道長に、石山寺でまひろといういい女がいたことを話します。
●まひろ
文を乙丸(矢部太郎)に託し、さわに届けるよう依頼します。
●定子と帝
源俊賢(本田大輔)から、弘徽殿より火が上がったと報告がありました。
高階貴子(板谷由夏)は、先日は後涼殿、昨日は弘徽殿、次は清涼殿かと警戒します。
伊周は、内裏の中に火付け人がいるのではと案じ、帝や中宮を狙ったものではないといいのだがと言います。
隆家は犯人は女院(詮子)だと、でなければ父を恨んでいる人だと直球で話します。
道隆は、光が強くなれば影は濃くなる、動じないのが肝心だと述べました。
●ナレ
「中関白家の栄華が極まるこの頃、公卿たちは都を蝕む疫病の対策をすべきと、道隆に提言した」
「しかし、道隆はそれを無視し続けた」
●安倍晴明
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)は、須麻流(DAIKI)に門を締め、誰も入れてはならない、今宵疫神が通る、都は大変なことになる、と命じました。
■疫病の流行
道隆は、疫病が流行っているが、下々の人しか罹らないので心配ない、比叡山に読経を命じてある、と帝に答えました。
一条天皇は、唐の「貞観政要」によれば、煬帝の随が滅びたのは、兵の備えを怠ったからではなく、民をおろそかにしたからだと書いてある、その様になりたくない、道隆の働きを信じていると言いました。
道隆は、帝に一刻も早く御子を産むようにと言いました。
●ナレ
「疫病の嵐にさらされる都をよそに、道隆は、息子の伊周を内大臣にした」
●伊周の昇進
道兼に疫病について問われると、伊周は、貧しいものに映る病なので心配ないと答えます。
そのような考えでは内大臣は務まらないのでは反論します。
■悲田院
乙丸が帰ってきたのですが、文は受け取らなかったと、そこにたねがやってきました。
父と母が悲田院に行って帰ってこないといいます。
悲田院には、疫病に罹った人たちがたくさんおり、中には亡くなった人も大勢居ました。
たねの父母もすでに亡くなっており、たねも病にかかり危篤になりました。
●道長と道兼
道長は道隆に疫病対策するよう提言しますが、聞く耳を持ちません。
悲田院に道兼、道長がやってきました。
まひろはたねを看病していますが息を引き取りました。
すると、まひろも体調が悪化し始めました。
倒れ込むまひろを支えたのは道長でした。
道長は、まひろを為時の家に連れて行き、自分が看病するので他の人は部屋に入らないよう命じました。
道長は必死に看病します。
いとは、なぜ悲田院に居たのか問いますが、まひろは反応しません。
「生まれてきた意味は見つかったのか?行くな戻ってこい!」(道長)
●必死の看病
道長は、手を握り、様子を心配しています。
為時は、一晩中看病していただき感謝しますが、朝廷でのお役目があるので、お帰りくださいと述べました。
■察する倫子
倫子は、猫を抱きながら、赤染衛門(凰稀かなめ)に、昨夜は高松殿ではなく、もうひとりの誰かがいると話しながら笑いました。
(感想)
猫ちゃん復活、そして赤染衛門も久しぶりの登場ですね。
猫ちゃんは小麻呂なのかな?
----終わり----
次回は 第17回「うつろい」4月28日放送です。
■感想
麗しい文字だと行成が褒められたのは「古今和歌集」の在原元方「年のうちに 春は来にけり ひととせを 去年とやいはむ 今年とやいはむ」だとのことです。
確かに達筆な文字だと感心します。
行成の書の本物の写しなんでしょうかね。
そして、一条天皇が述べた『貞観政要』は、中国唐代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録です。
唐の太宗の政治について言及した記録書で、帝王学の教科書とされ、北条政子、徳川家康も利用していたとか。
主な内容は、太宗とそれを補佐した臣下たちとの政治問答を通して、貞観の治という時代の治世の要旨が語られています。
このエピソードは、一条天皇の時代に惟宗允亮が『政事要略』の中で取り上げ、ほぼ同じ頃に大江匡衡は藤原行成から借り受けて書写し、寛弘3年(1006年)に一条天皇に対して進講している、という史実から取り上げられたものだと思われます。
この時期の疫病流行は、疱瘡、つまり、天然痘だとか。
痘瘡という言葉が一般的ですが、平安時代には疱瘡と呼ばれたようです。
1980年、世界保健機関(WHO)により根絶が宣言された人類史上初にして唯一、根絶に成功した感染症だといいます。(Wikipedia)
アメリカ大陸でインディアンが免疫を持たず、ほぼ全滅したのも、天然痘の影響だったとも言われていますね。
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