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【感想】NHK大河ドラマ『光る君へ』第29回「母として」

2024年7月28日(日)20時『光る君へ』第29回「母として」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
まひろ(吉高由里子)の娘、賢子は数えの三歳に。
子ぼんのうな宣孝(佐々木蔵之介)に賢子もなつき、家族で幸せなひとときを過ごしていた。
任地に戻った宣孝だったが…。
まひろを案ずる道長(柄本佑)は、越前国守の再任かなわず帰京した為時(岸谷五朗)に子の指南役を依頼するが、為時は断ってしまう。
一方、土御門殿では、詮子(吉田羊)の四十歳を祝う儀式が盛大に執り行われていた。
しかし、詮子の身体は弱っており…


■プロローグ

●ナレーション 伊東敏恵(NHKアナウンサー)
「正月、宮中では天皇に屠蘇などの薬を献じて、一年の無病息災を祈る儀式が行われていた」

■長保3年(1001年)

「宣孝は天皇が飲みきれなかった薬を飲み干す名誉な役割を担っていた」
賢子とまひろは宣孝の帰りを待ち、帝の顔色も悪く、覇気がないと噂になっています。

---音楽---
冬野ユミ

---テーマピアノ演奏---
反田恭平

■受領功過定

(ナレ)
「正月の除目の前に、各国の国司の働きを評定する受領功過定が行われた」
為時は真面目、怠慢は言いすぎだと実資(秋山竜次)から意見が出ます。

●ライバル二人
清少納言がまひろ宅にやって来ました。
皇后・定子と後宮のことを書き残そうと記していた文を見せます。
まひろは皇后の影の部分も知りたいと感想を述べます。
清少納言は皇后に影など無い、書く気もない、華やかな姿のみを残したいと反論しました。
左大臣・道長の強引なやり口にも一矢報いたいという考えです。

(感想)
左大臣道長を恨む清少納言、これで絶交状態になるのかな。

●宣孝
宣孝は為時のことは自分が面倒を見るとまひろに語ります。
宣孝は子煩悩なところを見せ、満月を見て遊びます。

(ナレ)
「翌朝、国司を務める山城国府に出かけた宣孝は、それきり戻ってこなかった」

■訃報

正妻である北の方の使者が、宣孝が4月25日に身罷ったとまひろに報告がありました。
弔いの儀も済ませたとのことです。
呆然とするまひろ、きぬ(蔵下穂波)は乙丸(矢部太郎)に越前の戻ろうかと相談しています。

(感想)
本当に使者の報告だけだったのかは、創作なのでわからない。
事実上の妾だとドラマでは言いたかったのかな。

●宣孝の訃報
道長に宣孝の病死が報告されました。
「父上は?」(賢子)
まひろは何も知らない賢子を抱きながら泣きました。
道長の使者として遣わされた百舌彦(本多力)は、為時の帰京を労い、宣孝の身罷った弔いの言葉を述べました。
大任を後押しできずすまなかったとも。
漢詩の会が開かれるので田鶴の指南役をしてほしいとのことです。
兼家の時に途中で辞したことを恥じており、為時は左大臣家の指南役の役目を辞退したいと返答します。
まひろは、次の除目はあてにならない、次の日に道長に仕事を受けるよう強く話しました。

■彰子と倫子

倫子(黒木華)が彰子の世話をしているとき、道長が帰宅すると、入内する彰子の品を触ろうとして、いつも母がいては帝のお渡りもないから気をつけろと迂闊に話します。
帝のお渡りがないのは私のせいなのかと道長は責め立てられてしまいました。
一条天皇は、憂鬱な表情です。

●詮子
敦康親王を人質にしなさいと道長に指導する詮子です。
敦康親王を彰子に養育させるのだと。
道長は父親と同じことをしたくないと反発します。
これを一条天皇に言上すると認められました。

(ナレ)
「まもなく、敦康親王が道長の後見を受け、中宮彰子と藤壺で暮らし始めた」
彰子の膝の上に座り微笑む敦康親王(高橋誠)です。

(感想)
父・兼家の行いを反発しつつも、しっかり実行する道長と詮子。
藤原氏の思想そのままです。
悪いことだとは微塵も感じていないでしょう。

■伊周
舞の練習をする松(小野桜介)と伊周(三浦翔平)、藤原の筆頭に立つため、スパルタ教育を行います。
隆家(竜星 涼)は左大臣の権勢は揺るがない、ひっそりしている方が利口だと考えています。
清少納言が書いた原稿を持ってきて、伊周に宮中に広めてほしいと願い出ます。

■四十の賀

(ナレ)
「そして10月9日、女院・詮子の40歳を祝う四十の賀が、道長の主催により華やかに行われた」

一条天皇が母・詮子の40歳の祝を述べました。
一方で、伊周は、呪詛を行っています。

●舞
公任(町田啓太)、斉信(金田哲)、俊賢(本田大輔)は舞を踊る人物について話しています。
道長の北の方の田鶴(三浦綺羅)と、高松殿の巌(渡邉斗翔)です。
妻を二人同席させることは無いと話しています。
舞を踊る田鶴と巌、それを見る倫子と道長、明子(瀧内公美)です。
公卿らは見事な舞、さすが道長の子だと褒め称えます。
一条天皇は、巌の舞に従五位下の位を授けられました。
田鶴が泣き出すと、道長は叱りつけました。
すると、詮子が突然倒れました。

(引用)
藤原実資の日記『小右記』、藤原行成の日記『権記』に、「道長の長男・田鶴(母は源倫子)が『陵王』という雅楽に伝わる曲を、道長の次男・巌君(母は源明子)が『納蘇利(なそり)』という雅楽に伝わる曲を、それぞれ舞った」と記されています。
■NHKから
https://www.nhk.jp/p/hikarukimie/ts/1YM111N6KW/blog/bl/ppzGkv7kAZ/bp/pJwZjKLGex/

NHK光る君へ

■病に伏せる詮子

薬を飲もうとしない詮子です。
一方で伊周は呪詛を止めません。
声を振り絞り、道長に語りかけます。
「敦康のために・・・・・道長・・・」息を引き取りました。

●竹取物語
竹取物語を読み聞かせるまひろ、賢子も興味があるのか続きを要求します。

(引用)
春のはじめより、かぐや姫月のおもしろく出たるを見て、常よりも、物思ひたるさま也。
ある人の、「月の顔見るは、忌むこと」と制しけれ共、ともすれば、人間にも月を見ては、
いみじく泣き給ふ。
春のはじめから、かぐや姫は月が明るく美しく出ているのを見て、ふだんよりも物思いに沈んでいる様子でありました。姫の側についている侍女が「月の顔を見るのは不吉な事ですよ」と止めさせようとしましたが、人の見ていない隙にも月を眺めては、ひどくお泣きになるのでした。(岩波書店「新日本古典文学大系 竹取物語 伊勢物語」から)
■美術展ナビ
https://artexhibition.jp/topics/news/20240727-AEJ2235277/

美術展ナビ

(ナレ)
「詮子の望みどおり、伊周の位は元に戻された」
伊周は、清少納言が定子との思いでを綴った書籍原稿を一条天皇に差し出しました。

(ナレ)
「後世に枕草子と呼ばれるこの書物の評判は道長を脅かすこととなる」

物語を書き始めるまひろです。

----終わり----

次回は 第30回「つながる言の葉」8月4日放送です。

■感想

賢子に読み聞かせしたのが『竹取物語』。
作者不詳、平安初期に作られた、現存する日本最古の物語だと言われています。
そして、これは藤原氏の祖・不比等を揶揄するために書かれたとする説もある物語。
車持皇子のモデルは、母親の姓が「庫持」である藤原不比等、石作皇子のモデルは、宣化天皇の四世孫で「石作」氏と同族だった多治比嶋(丹比真人島)だという説もあり、不比等を批判的に書いているのも、頷ける説です。
ドラマではこの説は微塵も感じられず、物語の着想を得たということなんでしょうね。
そして、今回2人が立て続けにこの世を去りました。
宣孝と詮子。
まさか宣孝の別れが使者を通じてだとは予想外の展開でした。
かなりあっけない幕切れでした。
妾だから仕方ないのかな。
詮子については、かなり悲しさを伴う時間をかけた展開でした。
偉大なるお姉ちゃんですからね。


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