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【感想】NHK 歴史探偵「江戸の大ヒットメーカー 歌川広重」を視聴しました

2024年6月26日(水)22:00~22:45 歴史探偵「江戸の大ヒットメーカー 歌川広重」を視聴しました。

<NHKのあらすじ>
浮世絵史上最大のヒットシリーズとされる「東海道五十三次」を描いた歌川広重。
東海道を旅して人気の秘密を調べると、天才エンターテイナー・広重のマジックが見えてきた!


■プロローグ

●スタジオで
東海道五十三次の絵をすべてスタジオに
あべのハルカス美術館で広重の展覧会が開かれます。
ある人物が広重の絵を模写した絵です。
ゴッホです。
佐藤所長「マジで!」
浮世絵市場最高部数、50万枚以上の大ヒットです。

■日本橋からスタート

・浅野秀剛さん
「現実の風景と広重の絵を比べるとわかります」

●「日本橋朝ノ景」
案内板に江戸時代の様子が記されていました。
高札場
幕府がお触れ書きなどを掲示していた場所です。
擬宝珠、魚を運ぶ姿も広重の絵にしっかり描かれています。
当時のリアルな日本橋が描かれていることが分かりました。

●「箱根湖水図」
・高橋秀和さん
描いた場所をめざします。
標高700m以上、芦ノ湖です。
絵の中央の山はどこにもありません。
リアルとは違う風景を描いた広重、一体なぜなのか?
浅野さん「広重のデフォルメです」
デフォルメは、現実にあるものを意図的に変形し強調する手法です。
その狙いは?
「苦しくてドングリほどの涙がこぼれる」
これは現実にある山の姿ではなく、心の中にある山のすがたを描いたのです。

●「蒲原夜ノ雪」
・小西亮衛さん
蒲原は温暖であれほどの雪は降らないといいます。
どんな意図があったのか?
浅野さん「逆に価値がある」
『絵本手引草』ありのままの描写に創意工夫を加えたとき、まさにそれが作品になるのだ。

●「大津走井茶店」
・木津勝さん
広重は茶店で売られる走井餅を描いたのです。
極上の旅の楽しみでした。
びわ湖よりもお餅、旅のガイドブックとしても楽しめる作品でした。

●「京師三条大橋」
中央の茶色い山に注目すると、現実には存在しない山です。
比叡山に似ています。
絵の構図に入り切らない比叡山を大移動、観光名所の大定番が描きこまれています。
浅野さん「京都のイメージを大凝縮する」
『豊年武都英』
「この絵をそろえると東海道を江戸にいながらにして見られる。わざわざ行くには及ばない」

●スタジオで
佐藤所長「至れり尽くせりの作品がヒットするのが分かってきました」
河合先生「旅するには約30万円、簡単に行くことはできませんでした」
シチュエーションの違いに気づくこはありませんか?
天気がポイントなんです。
大磯は雨、三島は霧、蒲原の雪
「東海道五十三次 四日市」
人の動きにこそ広重の魅力が凝縮されています。

■広重の魅力

●「東海道五十三次 四日市」
大阪公立大学
・林佑樹さん、瀬田和久さん
アイトラッカーで視線の動きを計測、絵のどの部分に視線が行くかを計測します。
広重の四日市ともう一つは葛飾北斎の「富嶽三十六景 駿州江尻」を比較します。

●実験開始
傘を追いかける人物に視線が行き、再び人物を追いかけています。
広重の絵の特徴が見えてきました。
広重は、人物に注意が局所化・集中している。
北斎は背景とかさまざまなところに散在しています。
人物への共感です。
・大久保純一さん(国立歴史民俗博物館)
「日常の旅先でのドラマを非常にうまく切り取った、あるあるで人の心を動かす、感情移入したのでは」

●ドラマ
魅力的な人物を描くことができたのでしょうか?
・しりあがり寿さん
描き手の目線
「人間観察の目を感じます。人のダメなところを自然に観察する懐の深さを感じます」

●広重の人柄
『甲州日記』
ある宿で一人のご隠居と意気投合し、恋の話しで盛り上がります。
「好いたおなごに男がいて、悔しいんじゃ」
「そのおなごに贈る歌を作って差し上げましょう」
広重は、初対面の恋愛相談に乗った上に、歌まで作ってしまいます。
好奇心で人びとの営みを書き残す広重の姿がうかがえます。
しりあがり寿さん「傘を追う人は今でもギャグマンガに主役はれるかもしれない」

●スタジオで
佐藤所長「まなざしが温かいですね」
河合先生「13歳のときに両親が亡くなり、人恋しいことが観察力に関与しているのでは」
人生最後の作品『名所江戸百景』
河合先生「60歳を過ぎてから描いています」

■広重のメッセージ

名所江戸百景を目録順に並べてみました。
「浅草金龍山」雷門のむこうに美しい雪景色が広がっています。
「両国花火」花火で梅林の花が夜空を彩ります。
不思議な構図の絵があります。

●「深川萬年橋」
亀がアップで描かれていて、橋がわかりません。
なぜこの絵を描いたのか?

●萬年橋
・松木伸也さん(富岡八幡宮)
境内図です。
放生会御祈祷所とあります。
「松亭漫筆」放生会とは、魚や鳥などを放して善行をつむ風習です。
松木さん「亀が最も売られていたと思われます」
謎かけを次々と仕掛けた広重、江戸の人々を楽しまそうとしました。

●場所
川口、江戸を飛び出し、10か所以上描かれていました。
「堀江ねこざね」
なぜ浦安市の絵が江戸の名所絵になるのか?

●浦安を選んだ理由
・尾上一明さん
旧大塚家住宅
大量の貝殻が敷いてあり、踏むとバリバリ言います。
浦安は、魚や貝を出荷する有数の漁港でした。
江戸の食には欠かせなかった場所です。
井の頭池や利根川が選ばれていました。
「江戸に長く生きる江戸の人たちを特に強く意識して画作りがなされている江戸の自画像行っていいと思います」

●人生のエール
回向院
安政地震
大地震が起こり、倒壊や出火による死者の数は数えきることができない
そのわずか半年後、江戸は復興の最中にありました。
浅野さん「江戸が大好きで、懐かしい江戸の姿を再現し、復興、復活させる気持ちを込めたシリーズを出したかった」
絵師人生のすべてをかけて送ったエールだったのかもしれません。

●スタジオで
佐藤所長「恩返しじゃないけど、自分の役割と感じていたのかもしれません」
広重の絵と、別の絵師の明治初期の東京の姿です。
10数年しか違いません。

ーーーおわりーーー

次回は「甲子園100年」7月3日(水)22時放送です。

■感想

葛飾北斎は宝暦10年(1760年)~ 嘉永2年(1849年)に生きた人物で、江戸後期に活躍したと言われています。
謎に包まれた人物としても有名です。
一方、安藤広重は、寛政9年(1797年)~安政5年(1858年)に生きた人物で歌川広重とも呼ばれました。
どちらも江戸後期で同じ時代の人だったんですね。
定火消の同心だった父親が安藤家の養子に入って安藤広重となったとのこと。
歌川豊国の門下生に入ろうとしたけど一杯で入れず、歌川豊広に弟子入したそうです。
疫病(コレラ?)で1858年に亡くなっています。
北斎が1779年に絵画デビュー、広重は1812年頃に弟子入りですから、少し北斎の方が早いかも。
1670年頃に菱川師宣によって浮世絵が創作され、100年経っています。
広重も北斎も、浮世絵が一番花開いた時代のヒットメーカーだということでしょう。
NHKが主催する展示会の宣伝でしたが、楽しめました。


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