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【感想】NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」を視聴しました

2022年8月13日(土)22時 新・ドキュメント太平洋戦争 「1942 大日本帝国の分岐点(前編)」を視聴しました

<NHKのあらすじ>

80年前の1942年、明から暗へと一変した「大日本帝国」の分岐点を見つめる。
真珠湾攻撃の後、連戦連勝を重ね、アジアで占領地を拡大していった日本。
市民の日記には、明るい気分が満ち、愛国心の高まりがみられた。
しかし4月、アメリカ軍から予期せぬ本土空襲を受けると、軍部に動揺が走り、戦争の行く末を左右するミッドウェー海戦につながっていく。
大敗北を喫した軍は、真相を隠し、メディアも偽りの戦果を伝えていく。

■プロローグ

80年前太平洋戦争の時代、死に直面した人は最期の言葉を残します。
個人の視点から振り返るエゴドキュメントに本音が記されています。

■1942年1月1日

東京四谷に暮らしていた金原まさ子が日記を綴っていた。
「皇軍連戦連勝、日本人に生まれたことをしみじみ感謝する」
・新聞記者・森正蔵
「12月8日が一大転機を与えた、この戦争は希望の持てる戦争である」
日本ニュース
12月8日真珠湾奇襲攻撃のニュース映像は大ヒットした。
番組では250人以上の14万日分の日記を調査、単語ごとに分解、630万語に達した。
1941年戦争に対する単語が真珠湾奇襲攻撃で最高潮に達し、グラフは一旦下がるが再び上昇。

■マニラ陥落

・女学生和田恭子の日記「マニラ完全占領、待ちに待ったニュース、心が踊った」
日本軍はシンガポールなど占領地を拡大していった。
・井上重太郎「ゴムの原料、スズの鉱石、将来の南洋の有望を思わせるものがある」
2月18日東條英機の演説
「一路邁進せんことを誓う」
民族意識の高まりを刺激したのはインフルエンサー、思想家、学者たちだった。
1942年、最も多く使われた単語が日本だった。
大本営発表は戦果だけでなく日本側の損害も報じるなど、戦況をほぼ正確に報じていた。
ラジオが人気を集め全国の半分の世帯に行き渡った。
日本放送協会が軍との結びつきを強めていた。
日本放送協会会長・小森七郎
「全国5千の職員はこの重大なる使命に感激しつつ、職域奉公の誓いを固くし懸命の努力をしている」
この頃、新聞も大本営発表を掲載、メディアの状況も変質していた。
新聞記者・森正蔵は軍部とメディアの接近に危機感を抱いていた。

■4月18日ドーリットル空襲

高射砲の轟、敵機襲来、ドーリットル本土空襲
アメリカ大統領ルーズベルトは一矢報いる機会を伺っていた。
「日本をできる限り早く攻撃することはアメリカ国民の戦意のために必要だ」
アメリカの空母ホーネットの部隊がB25で奇襲する決死の作戦だった。
死者87名、初の民間人の犠牲者となった。
・井上重太郎の日記
九機を撃墜したと発表、しかし作家の伊東整はどこにもその残骸はないと記している。
山本周五郎は軍のあやふやな発表に怒りを表した。
実際にはすべてのアメリカ機は国外に飛び去っていた。
東條英機は、「大変興奮の面持ちで9機撃墜したというのはでたらめな報道ではと、立腹であった」
査問報告
空襲被害状況は新聞、ラジオは今後一切不可、大本営発表一本に統一する。

■ミッドウェー海戦

山本五十六は、真珠湾奇襲攻撃で敵の空母を取り逃がしたから空襲につながったと考えた。
山本五十六が目を向けたのは空母艦隊によるミッドウェー攻略だった。
・大橋丈夫中佐
大橋は空母赤城に乗り込んでいた。
1942年6月5日ミッドウェーを奇襲攻撃、我島を攻撃するが、事態を一変させる報告が入る。
「敵空母らしきものあり」アメリカ空母が待ち伏せしていたのだ。
作戦を指揮したのはミニッツ大将。
真珠湾で奇襲されたことから敵の情報を正確に掴むことを重視、暗号を徹底的に解読する。
AF日本軍独自に定めた符号だった。
AFとはどこなのか?あるメッセージを平文で遅れと命令した。
ミッドウェー島で真水が不足していると打電
日本軍の攻撃地点AFがミッドウェーであることが確認された
決定的ミスを犯していた。
敵の空母が近くにいることを山本五十六は参謀に尋ねたところ参謀は赤城がつかんでいるから伝える必要はないと判断、山本も了承する。
貴重な情報は生かされることはなかった。
魚雷に付け替えられ、格納庫に無造作に置かれた爆弾が大火災を起こした。

■壮絶な戦場

アメリカ軍の容赦のない攻撃が、重巡洋艦に爆弾が直撃、航行不能に陥った。
大橋丈夫は日本の敗北を目の当たり似した。
攻撃開始から22時間、山本五十六は作戦の中止を命令した。
日本が失ったのは空母4隻、死者3057人
結果を報じる新聞、空母4隻の損失は報じられず、日本側の戦果が強調された。

■なぜ真相が隠蔽されたのか

1942年6月5日大本営にミッドウェー海戦の敗北が届いた。
・軍報道局・冨永謙吾
「作戦局の強行な反対にあい、軍務局も賛成しなかった」
軍令部第一部作戦課は、公表することは戦争遂行を危うくすると考えた。
天皇はどんな反応を示したのか
・侍従長・百武三郎の日記
事態を憂慮していた、しかし、軍部は根本の対応策を取ろうとしなかった。
箝口令が敷かれ、責任をとることはなく真相は封印された。
戦局は悪化の一途を辿ったが報道は事実を伝えることはしなかった。
情報の隠蔽や改ざんが当たり前のようになってきた。

-----おわり-----

次回は2022年8月14日(日)「1942 大日本帝国の分岐点(後編)」です。

■感想

皮肉にも、プロパガンダの王様NHK様がメディアと戦争の問題を語っていました。
軍部の隠蔽工作が悪いんだもん、自分たちは悪くないよー、ということのようです。
まあ、当時アメリカでも報道管制は敷かれているので戦争では当たり前だったようです。
そして、これを何の反省もなく現代でもやっているから、たちが悪い。
代表的なのがウクとロの戦争で、ウクは善、ロは悪という報道に徹しています。
作戦成功、ロはもうすぐ敗退だったはずが、なぜだかほぼ制圧されているという現状。
なにか似た匂いを感じます。
そんなことより、興味深いのは、ドーリットル空襲と山本五十六。
ドーリットル空襲はアメリカが日本を西に向かわせず、東におびき寄せる撒き餌だったのではないかという疑惑です。
資源確保のために西に向かうのは日本の作戦でしたし、ヨーロッパは日本に西に侵攻されると戦局不利になりますから、それをさせないため、南東の島々におびき寄せるための罠だったのではないでしょうか。
それを実行させるために山本五十六を利用したと。

中華民国の国民革命軍の支援を受けており、日本本土爆撃を終えたB-25のうち15機は中国大陸に不時着して放棄された

ドーリットル空襲 Wikipedia

日本本土を空爆したアメリカ爆撃機が作戦終了後、どこへ飛んでいったのか?
番組では、飛行機が西の方に消えていく動画でしたが、実際は中国に降りていたのを描きませんでしたね、これもアメリカ・中国への配慮かな。

疑ったらキリがないのですが、ミッドウェイ海戦も仕組まれていたのかもしれませんね。
暗号解読に成功したから待ち伏せすることができたといいますが、真珠湾攻撃もアメリカは事前にわかっていた可能性があるのですから、この説は信ぴょう性が低いですし、それを番組で言うのもなんだか勘ぐりたくなりますね。

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