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【感想】NHK 歴史探偵「戦の神 上杉謙信」を視聴しました

2023年10月4日(水)22:00~22:45、歴史探偵「戦の神 上杉謙信」を視聴しました。

<始まる前に>
戦国最強という謳い文句だけど、強くないと生き残れない弱肉強食の世界ですね。
領国は守るけど、あまり、天下を狙うとかの発想はないと思います。

<NHKのあらすじ>
戦国最強の武将の一人、上杉謙信。
その強さの秘密は日本海にあった!
本拠地の新潟を徹底調査。
謙信に巨万の富をもたらした物流の力や知られざる上杉水軍の活躍を紹介する。


■戦の神 上杉謙信

●スタジオで
佐藤所長「武田信玄との川中島の戦い、めちゃくちゃ強いイメージです」
大河ドラマで謙信を演じた俳優は、「天と地と」石坂浩二、「武田信玄」柴田恭兵さん、「風林火山」GACKTさん、「天地人」阿部寛さん

■春日山城の秘密

上越市、上杉謙信の本拠地です。
・花ヶ前盛明さん
春日山城は、中世の代表的な山城です。
二の丸跡に水をたたえた井戸があります。
山城を選ぶ条件は、籠城のために水を選ぶことでした。
本丸跡から眺めると、直江津の城下町が見え、城の北には海も広がっています。
山城に加え、川と海が取り囲み、無敵の城でした。
実は一度も敵に攻められたことは有りませんでした。
春日山城は謙信の強さとは関係なかったのです。
なぜ、城に案内してくれたのか?
その秘密は山の途中にある、青苧(あおそ)という葉っぱでした。
花ヶ前さん「青苧はお金になります」
青苧の茎は丈夫な繊維で、高級な織物、越後上布になります。
しかし京で売るためには敵対する大名の領地を通らなければなりません。
販売ルートは日本海、その浜から船で京の都に送りました。
「廻船大法之巻」8つが日本海に面していました。
日本海は海上交通の中心だったのです。

●羽賀瀬船
越後で作られていた羽賀瀬船には、櫂が描かれています。
北に向かうときは、沖まで出て対馬海流に乗っていき、戻るときは陸伝いに海流を避けていきます。
上杉謙信の力の源は、日本海の交易だったのです。

●佐渡
・小菅徹也さん
謙信は佐渡三郡を平定したのは、ある鉱物を得るための作戦でした。
佐渡では金だけでなく銀も採掘されるようになります。
銀黒という部分に銀が含まれますが、簡単に取り出すことができません。
しかし、灰吹法という朝鮮から伝来した銀の精錬技術によって取り出すことができます。
灰吹法が最初に伝わったのが島根の石見銀山です。
そのため、世界の銀の産出量の3分の1を占めるまでになります。
この技術が日本海ルートで佐渡の沢根港に伝わります。
「謙信公御年譜」佐渡の金銀には限りがないと記されています。
戦国最強への道を突き進んでいきます。

●スタジオで
全国各地の産物の一つが蝦夷の昆布です。
河合先生「昆布だけでなく干しジャケやタラなども大名に贈っていました」
「敵に塩を送る」という諺があります。
謙信が武田信玄に対して塩を送ったと言われています。
河合先生「日本海の塩を信玄に売っていたらしいです。適正価格で売ったのです」

■ライバル・武田信玄

謙信最大のライバル武田信玄と衝突、川中島の戦いです。
5回、12年にわたる激闘が繰り広げられました。
なぜ信玄は強敵信玄と戦ってまで、北に向かったのか?
花ヶ前さん「河川をつかった物流を抑えるため日本海側を確保したかったと思います」
信玄が夢見ていた上洛を狙うために日本海を狙いました。
しかし、信玄は南から京を目指し、その途中病に倒れます。
謙信は、2度にわたり上洛を実現していました。
1559年の2度めの上洛は人生を変えることになります。

●関東管領
国宝・洛中洛外図屏風
大行列の輿に乗る武将が謙信ではないかと言われています。
この時謙信を迎えたのが足利義輝です。
金300両、銀千両を献上します。
義輝は好意を抱きました。
義輝は、室町幕府の重要な役職・関東管領を与えます。
この頃、北条氏康が勢力を拡大、侵略を試みます。
謙信は少ない兵力を補うため、関東の武士を利用します。
彼らを味方につける旗印が関東管領の地位だったのです。
1560年、越後から関東に侵攻します。
関東の武士が次々に合流し最初8000の軍勢が、小田原につく頃には11万に膨れ上がっていました。
関東の大部分を勢力下に置くことに成功します。
またしても日本海ルートでした。

●スタジオで
佐藤所長「北条を攻めて、その後どうしたのですか?」
河合先生「そのまま帰ってしまい、次の戦いに行きました。あまり領土欲はありませんでした」
河合先生「義の武将でした」
河合先生「戦いで活躍して奇特な人と褒められたかった、人のために頑張りました。戦国大名を止めたことも有りました」
佐藤所長「上杉謙信、俺じゃないの」

■秘伝書

「鉄砲薬方並調合次第」
将軍足利義輝から譲られたのは、火薬の調合法が記されていた秘伝書です。
南蛮と交流の会った九州の大友氏が献上したものです。
鉄砲は上杉軍の重要な武器になります。
日本海ルートの親不知に海賊が現れたのです。
「鉄砲15丁を用意させ、船から降りる敵を一斉に撃つように命じた」
越前の朝倉義景が協力者でしたが、その朝倉が滅ばされます。

■謙信と信長の対決

1573年、朝倉氏滅亡
・藤田達生さん(三重大学教授)
敦賀を抑えた信長は琵琶湖の湖畔に安土城を築きます。
「柴田勝家書状」越後に向かう船を止めよと記されています。
日本海ルートを遮断することで謙信に圧力をかける狙いがあったと見られます。
藤田さん「軍事物資が入っていた、必然的な軍事行動であった」

●織田VS上杉
柴田勝家が指揮をとります。

●能登半島
・高井勝己さん
能登半島、山上にある石垣の七尾城、畠山氏の居城です。
当時、七尾城は信長と手を結んでいました。
謙信は後方から襲われる危険があったのです。
七尾城をどう攻めたのでしょうか?
その答えは日本海、謙信は船を使い攻めたのです。
1万あまりの大群が船で能登半島の三崎に上陸したと記されていました。
上杉水軍は、海からも陸からも七尾城を包囲します。
上杉の水軍基地、船だまりです。
大船団で戦意を削ぐという戦略です。
七尾城では、上杉に寝返るものが現れ内紛勃発し七尾城は陥落しました。

●手取川の戦い
石川県の手取川で織田軍とぶつかりました。
完全に不意をつかれる形になり、謙信の大勝利に終わりました。
「歴代古案」織田軍は案外弱かったと記されていました。
信長さえ圧倒する強さを示してました。

●スタジオで
佐藤所長「天下をなぜ取れなかった?」
河合先生「翌年謙信は突然亡くなってしまいます。跡継ぎも決めてなく弱まります」
「朝倉義景書状」琉球と記されています。
琉球と越前の間で交易が行われていたことがわかります。
河合先生「中国・東南アジア⇔琉球⇔越前⇔越後、世界と繋がっていた可能性があります」

ーーーおわりーーー

次回は「江戸の旅ブーム」10月11日(水)放送です。

■感想

北信越は日本海をうまく使って力を活かしていたのがよくわかりました。
古来日本海側の方が勢力強かったですし、新潟はすごく栄えていたそうです。
上杉謙信は天下を狙っていなかったということも再確認出来ました。
戦国最強かどうかは、よくわかりませんが、強いから大名として上杉家が生き残ったことは確かでしょうね。
足利系の名門氏族なので将軍を頼ったことからもわかるとおり、上杉家を守る意識が高い武将だったのかと思います。
だけど人物として少し変わっているし、子どもも無く上杉家を繁栄させたいという意志が見えてこないです。


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