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【実況と感想】渋沢栄一 NHK大河『青天を衝け』23回「篤太夫と最後の将軍」

2021年7月18日(日)20時放送、NHK大河ドラマ『青天を衝け』23回「篤太夫と最後の将軍」を視聴しました。
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オリンピックがあって「晴天を衝け」は3週お休み。
第24回は 8月15日(日)に放送です。
その間、日曜の深夜に総集編を放送するとのことです。

オリンピックといえば、私の好きなサッカー、応援しています。
メキシコ以来のメダル獲得してほしいです。
釜本世代としてはメキシコの銅メダル以上狙ってほしいです。
しかし、サッカーだけでも観客いれて応援してほしいんだけどなあ。
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■プロローグ
フォトグラフに写った篤太夫を見る千代/橋本愛と娘のうた
一方パリの篤太夫には、600万ドルの借款が消滅したとの知らせが入ります。
向山一履/岡森諦は薩摩のせいだと怒ります。
田辺太一/山中聡は為替で金を借りるのだと話します。

--曲--
クレジットに徳川家康の名前がありました。
今日は出番があるようです。

■パリでは
一行は諸国への旅に出発しました。
スイスのベルンに一行は到着。
昭武/板垣李光人に挨拶する栗本鋤雲/池内万作はスイスまで来ました。
「幕府の信用を取り戻さねばならない」
「小栗上野介様より預かっていた為替だ」
「旅を続けよ。お主に任せた」と栗本は篤太夫に託します。
日本に戻ることになった杉浦愛蔵/志尊淳は篤太夫と一旦お別れとなりました。

■京都では
原市之進/尾上寛之が暗殺されます。
暗殺の知らせが慶喜の耳にも入ります。
ショックの慶喜。
「なぜ、大事なものを奪うのだ」

■血洗島では
渋沢平九郎/岡田健史が父となった市郎右衛門/小林薫に挨拶しています。
千代は、「立派なお武家様になるのだ、栄一様のために家を守れ」と話します。
平九郎を好きな てい/藤野涼子です。
守り袋を作って渡す てい。
ていを抱きしめる平九郎。
「嫁にほしい。ここに戻ってきたら俺の嫁になってくれ」

■岩倉具視邸
出来たての錦の御旗を見せる岩倉具視/山内圭哉と大久保一蔵/石丸幹二。
大久保「悪逆徳川を打ち払う。一刻も早く」

■伏見では
西郷隆盛/博多華丸は天璋院様ご主命という名目で兵を集めていました。
慶喜は、朝廷に政をお返しすれば、公儀に見込みが出る、と考えています。
「このようなことを、一人で考えねばならぬとはなあ」

■徳川家康登場
さて、慶応三年10月12日
二条城で、政権を帝に返上する事になりました。

家康の顔がどアップで写ります。
政変返上に、感慨深い家康でした。

画像1

邨田丹陵「大政奉還図」(1935年)Wikipedia

■江戸城で
小栗上野介/武田真治は、政を取り戻すのが一刻を急ぐ急務だと主張しています。

死のうとする歌橋とそれを止めに入る天璋院。

松平春嶽と慶喜が対峙しています。
戦となり、天使様のもと、心を一つにするべき、新しき日本を作りましょう。
その言葉が聞きたかった。

■岩倉具視
大政奉還の知らせを聞き、何も変わらないと、大久保利通が言います。

そこに朝廷から手紙が届きました。
「5年ぶりに戻れる!」
朝廷に戻ることになった岩倉具視です。

■パリでは
昭武一行は留学生活に入り、家庭教師のヴィレットに帝王学を学ぶ事に。
髷を落とし、刀を外し、洋服を着ることになりました。
軍人のヴィレットと対等に話すエラールに対し、「フランスの公儀の役人ですか?」と聞く篤太夫。
「私は銀行員です」と答えるエラール。
フランスでは役人も軍人も商人も同じです。
ベルギーでは、王様自ら商人のように商売する。
皆が同じ場に立ち国のために励んでいる。この理りこそ日本に移さねば。
篤太夫は感銘を受けるのでした。

井坂泉太郎とかは、もう日の本に帰りたいと嘆いています。
水戸藩士3名と向山は日本に帰ることになりました。

■京都御所
薩摩の西郷がついに動き出しました。
クーデターの始まりでした。
明治天皇の御前で中山忠能と岩倉具視が王政復古を宣言します。
後醍醐帝以来500年途絶えていた王政復古が宣言されました。

■小御所会議
山内容堂/水上竜士「今までの功績ある慶喜を出席させないのはおかしい」
松平春嶽/要潤も同じ考えです。
尾張徳川慶勝も加勢しますが、徳川の御料地を返還することになりました。
西郷は、やはり戦をしなければならないと考えが固まりました。

■大坂城
江戸城二の丸が放火されました。
さらに薩摩屋敷を攻撃したとの一報が。
薩摩を討つべしという意見が大勢を締めます。
結局薩摩の挑発に乗せられたことになり、慶喜はなんにも言えません。

■パリでは
日本から電報が届きます。
大名が話し合いで、新しい政権の形を決めることになったと。

--つづく--

24回「パリの御一新」

■大河ドラマ紀行
二条城二の丸御殿で大政奉還が表明されました。
この影には岩倉具視の存在がありました。
岩倉は京都北部の岩倉に逃れました。
岩倉具視幽棲旧宅
脇床の襖絵やお手植えの松が当時のまま残ります。

■感想
和装に慣れきっただけでなく意固地になって慣習を捨てきれない幕臣たちとは反対に、篤太夫はあっさり和装を捨て去るところが印象的でした。
この変わり身の速さ、良いものは良いものとして受け入れる覚悟のような強い意志があの渋沢栄一を作ったと言っても過分ではないでしょう。
和を重んじるがために、なかなか進んで行動できない日本人には無い、意思の強さと行動力を見習いたいものです。
しかし、いざとなると簡単に変容するのも日本人の特徴です。
ただし、日本人の良さは、すべてを丸呑みするのではなく、日本に合ったように応用して受け入れるのが得意なことです。
これはもう昔から言われていることですね。
応用できるというのは基礎が土台としてできていて初めてできることです。
基礎ができないで考えもしないで表面だけ真似することを猿真似といいます。
渋沢は血洗島で育んだ基礎を土台にパリでの経験という応用をともなって飛躍し、だれもが成し遂げられない偉大なことを成し遂げたのでしょう。


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