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『暁に還る』5.

“たそがれに還る  光瀬龍
不思議に美しい夕映えだった。毎日きまったように、夜のおとずれる直前にやってくるあの砂嵐も、今日はやってこないようだった。シロウズはなぜかそのとき、これまで新しい任務につくときは、つねに雨が降っていたような気がした。グラス・ファイバーのコートのえりにあごを埋めて、暗い空からしぶいてくる雨に顔を向けていたような気がする。ひさしをはしるみぞれの音に、けもののように耳をたてていたものだったーー
「いや、ちがう」
シロウズは胸の中でつぶやいた。それは何かの思い違いなのだった。広漠たる砂漠の中央に位置をしめるこの宇宙空港では、雨はほとんど降ることなどなかったし、それにだいいち、彼はグラス・ファイバーのコートなど持っていもしなかった。どこかで何かの記憶が混乱してしまっているものとみえた。しかしその暗い雨の夕方の想いは、シロウズの削いだように鋭い頬の線を、ほんのわずかの間、気の弱いごく平凡な一人の青年の顔にかえてしまっていた。それは触れれば切れるような鋭角の鋼の柱が、その時だけ突然融けて丸味をおびた円柱に変わってしまったような、思いがけない、隙だらけの変貌だった。”


1945年終戦を光瀬龍は18歳で迎えている。大震災、空襲を少年期に経験している。圧倒的な物理的破壊とそのまま宇宙に抜けるような原初的な青空が深層意識に焼き付いていたはずだ。その虚無感と焼跡からのエネルギーが“たそがれに還る”の宇宙的空漠感につながっている。私たち世代もまた、大消滅という特異な世界崩壊を生き抜き、今ほそぼそと、中世に逆戻りした文明にすがりついて記録と分析に明け暮れている。

∞『暁に還る』 天使部隊篇                                           私たちの施設は瀬戸内海と山一つ隔てた、葉脈状の盆地の山裾にありました。大消滅が来なくてもすでに産業的歴史的に役割を終えた地域の中でもさらに忘れ去られた土地です。だからこそ重度の身体障害者・精神障害者の受け入れに特化していたのです。そのようなある意味、閉じられた世界だからか、不思議にもコンパクトながら理想的なユートピアを思い描く人材が日本中から集まっていました。世界でも突出していた日本の遺伝子異常がまだ身体的な障害で済んでいる子ども達は青年期、壮年期を私たちの施設が形成する農畜産水産複合自給センターに捧げてくれています。経済的に観光的に誰にも相手にされないからこそ、そこには非常に有効かつ汎用性の高い地域通貨が確立されたのです。エネルギー資源的にも外部に頼らない地熱・バイオマス・風力・太陽光発電がミニチュアながら完備していました。さらには理解ある周辺の限界集落の住民と連携した農畜水産業と食品加工が邪魔されることなく循環維持されたのです。私たちは大消滅からの破滅的影響をほとんど受けないでスルーしたのです。壊滅したのは山の向こうでした。百年前も百年後も変わらない清流のような時間が流れ続けるはずでした。しかしながら私たちにもまた大消滅後の“ジョーカー宇宙”は情け容赦なく顕現し、私たちは私たちならではの試練と受難の時を迎えました。世界的にも特異な重症心身障害児、超重症児(人工呼吸器、カニューレ設置による呼吸管理、経管経口、静脈点滴などによる栄養補給なしには生存できない)が集まり、健常者10%、障害者90%のチームが彼らの命を支えていました。特にダウン症の子ども、成年者によるチームの日夜の献身は“天使部隊”と呼ばれる精鋭チームでした。そしてまさにこの“天使部隊”の子ども達と、ベッドから起き上がったことの無い超重症児たちに“ジョーカー宇宙”が顕現したのです。大消滅以後、一切の法則性を越えてしまった電離層と地磁気の協奏はまず、生と死の境界にある超重症児に奇妙な生気を与え、彼らは意思とイメージをダウン症児達に“テレパシー”で伝え始めました。このおそらく脳内磁場エネルギーを受けたダウン症児達にもまた、未熟ながら強力なテレパシー能力が備わり始めたのです。言葉どおりの“天使部隊”の誕生でした。“ジョーカー宇宙”の毎夜の顕現に、超重症児の(まさのり)が気づきました。“大きな重い羽のお兄さん”が遊びに来るというのです。

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