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『暁に還る』6.

“たそがれに還る  光瀬龍

果しもなくひろがる宇宙空間に身を置くとき、そこには前後も左右もない。周囲はことごとく星また星だ。その微細な光点は暗黒の背景に撒かれた千億の銀の砂、そしてさらに遠い星々はかすかな光の翳りを曳いて、煙霧のように茫漠とたなびいていた。それら遠い星々は、いかに高性能な望遠鏡をもってしても決して一つ一つに分離して見えることはない。それは永劫ときそう果にかけられた光の幕だ。そしてその星くずの海のあちこちに、暗黒星雲が微塵でそこだけ濃い暗黒を描き出していた。

マイナス二百度C。置き忘れられた水素原子だけが星々の間の空間にひとりただよっている。かつて、そこに航跡を印した宇宙船もなく、呼び交う電波も交錯しなかった。

そこには生命もなく、ましてや死もない。百億年の時の流れだけが一切を包含してすでに去っていっただけだ。

太陽系からはるかにはずれたそこ。星図の上、《青の魚座β》から《石の花座21》へ軌跡を曳いて、三十九隻の宇宙船よりなる船団AD七は流星のように暗黒の空間をななめにきっていた。

《船団AD七ヨリ航路管制局へ。船団AD七ヨリ航路管制局へ。ワレ針路を失ウ。動力部航法装置に異状ナキモ操船不能。原因調査中ナルモ事態、極メテ危急。コチラ船団AD七。コチラ船団AD七》”


私の父親もまた終戦前に、和歌山の田舎でグラマン戦闘機の機銃射撃を受けて、橋の下に飛び込み助かった経験を持つ。その世代の父親がある日、私の勉強机の上に置いていた“たそがれに還る”を、いつの間にか読んでおり、難しい文章だがおもしろかったと言った。やはり同じ時代を生きた父親にも光瀬龍の虚無と壮大な空間の物語が何よりも心に突き刺さったのだろう。都市が灰燼に帰し、青空と飢えしか無かった日々を生き抜いた中から光瀬龍、小松左京、半村良などが現れた。彼らも読者も、虚脱した人生をやり直す神話を無意識に探し求め紡ぎ出したのだ。だからこそ普段、小説など読まない父親が惹きつけられたと思う。今私が大消滅から再び立ち上がる残存人類の為に、残された記録から物語を紡ぎ出す為に、光瀬龍の、シロウズの時を越えたエネルギーを書き写す理由だ。

∞『暁に還る』

アメリカ海軍攻撃型原子力潜水艦サウスダコタ従軍司祭マイケル・ダートムーア大尉の日誌から。

主イエスよ。あなたは至聖なる聖体のうちにおられ、あなたの司祭を通して私たちの間で永遠に生きておられます……私たちの艦は大消滅以降、賢明なるバーナードソン艦長の指導のもとに誠に不可思議なる航海を続けています。おそらく数万発の核ミサイルが地球上また成層圏に至るまでに炸裂し、地表のすべての文明社会は消滅沈黙し、私たちはまるで宇宙の孤児のように海を放浪しています。地球上すべての陸地からの電波は絶え、私たち同様の任務を帯びていた原子力潜水艦との遭遇もありません。艦長のはからいで一日一度は乗組員全員で甲板上でワインを飲み、世界と主イエスに必死の祈りを捧げています。そして大消滅以後ちょうど一年を経過した頃から、ようやくというか、原因不明かつ神秘的な2つの現象が私たちのサウスダコタを不意に訪問しました。

一つは夜間或いは、凄まじいかつての数十倍クラスの雷鳴と稲妻に支配される昼間に現れる正体不明のいわゆるUAP(未確認航空現象)です。レーダー探知機には消えない稲妻の塊、一種のプラズマ現象のように現れ、肉眼にはそれは翼を広げると100mに及ぶ何かに見えました。目撃しUAPを撮影した乗組員達からの報告を受けた艦長は私を呼び、怖れと奇妙な興奮に見開かれた目でこう言いました。「マイケル、私にはこの写真が、なんと言うか、気が狂いそうだ、そう、天使のように見えるんだが、君はどうだ?目撃者達も副長も否定できないんだが、君の分野なんだろうか?」私はその十数枚の写真と動画を見ながら、身体が震え始めるのを感じていました。「これが翼ならばバランスが悪すぎます。両翼よりもはるかに身体が小さく、人体くらいしかないようだ。生き物と稲妻が融合したみたいな…」今までに3回出現しており、サウスダコタが潜水しても強力な継続する稲妻のかたまりは海上を追尾してきました。乗組員の間で、それは“天使”と呼ばれ、ついに私を加えた観測チームが編成されました。私は、それが現れた時に、必死に観測するチームの横で、真剣に、そう真剣に祈り、そのなにものかに語りかけ呼びかけました。宇宙的な超自然に対峙した私は幾分酩酊したような気分で、聖書を胸に叫んでいました。すぐ横で観測チームの何人かが頭をふりつつ十字をきっていました。「神の怒りに撃たれ天使を外れたものが堕天使、あなたな堕天使か?神の怒りに撃たれたこの世界に現れたあなたはなにものか?」私を含め艦上の十数人が、そのなにものかの応えを脳内に感じました。だいたいこんな内容です。《堕天使から外れたものはなんと呼ばれるのか 私はジョーカー》《神に反乱を起こす天使がいるように悪魔に反乱を起こす悪魔もいるのだ》

私たちは“彼”を“ジョーカー天使”と呼び始めました。大消滅ですべての物理法則が狂っていなければ、私たち全員が狂っていたでしょう。私たちは天使との対話を心待ちするようになっていました。攻撃型原子力潜水艦が教会になろうとは。世界を滅ぼした神は私たちに壮大なユーモアを与え給うたのです。

そしてこの“ジョーカー天使”の声を脳内に受けた乗組員に現れたもう一つの超自然現象は、昼夜を問わない“昏睡状態”でした。彼ら(私も含む)は決まって計測不能の灰色の雲、エクトプラズムのような光に包まれて睡眠に落ち、全員が様々な視野視点を共有する“夢の世界”に入ってはもどりまた入るという、いわば強制的な啓示の旅を始めさせられたのです。

……聖母マリアに祈ります。御子に最後まで従われたように、いつまでもあなたの司祭とともにいてください。アーメン

■画像はナショナルジオグラフィックより。


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