荒地のエンジン21. “実は故・安倍前総理の夢を見ていた”
“ピラニアとロビン・フッド”で書いたように、奇妙な混乱で、日印協会の菅前総理の会長就任式への私の参加が事実上削除されたので、何かの斥力が働いて遠ざけられたと諦めていたが、理事長が協会幹部の方と話した結果、奇妙なバリアは一転、ご参加くださいという連絡がきた。半信半疑で理事長に再確認をお願いしたが、問題は消えていた。新橋の火種の消えたNEXCO東日本社会合のあと、少し反省会をして、二人のイノベーター社長とわかれて、理事長と会場の東京プリンスホテルまで歩き、一階ロビーで待機した。妙に太陽光が強く、眉間にくらくらくる陽射しが感じられたが、屋内ではおさまった。
少しぶっ飛んた【歴代首相殖産興業機構モデル】と【日印循環産業民族構造モデル】は既に協会幹部の方に提出していたが、新会長へのご挨拶は無理でも、ペマ・ギャルポ先生にはぜひお話したく、前夜のJD女史からも有名な葛西のインド人コミュニティ指導者のチャンドラーニ氏を紹介されていた。
会場の周囲はすべてテレビ局取材陣が並び、立食ビュッフェのテーブルには様々な協会関係者が集まり、談論している。政府関係者は舞台側に集まり、最前列テーブルにはVIPの方々が座り始めていた。参加者の中には十数人(数えたわけではなく)のSPが四方に目を配っていた。私は気のせいか何人かのSPからも注視されていたが、不思議にもインド人参加者が次から次に話しかけてくれたので、大分気が楽になった。新会長や森前総理のご入場までの待ち時間には、インド人大学教授や日本在住40年のビジネスマン、さらには公使の方までが集まって頂いた。司会の方がいよいよ菅前総理の入場を知らせ会長就任式が始まった。
ほんとうにラッキーにも、【日印産業・民族循環構造モデル】と【インテグレーテッド・ブッディズム構想】に、世界的な仏教世界の権威たるペマ先生が「良いことです。お手伝いできることはあります。」と賛同頂けた。ここに小さな可能性の火種が灯せたわけだ。私たちが発想して挑戦している事に私たちは十分な力を持たないが、何か目に見えない助けが感じられた。見えざる助けは故安倍前総理からかもしれなかった。
私は数年前から2度、安倍前総理の夢を見ていた。一回目は多分5年くらい前。〘オープンカーを一人運転される安倍前総理が手を振りつつ近づいてくる夢。〙ニ回目は昨年の2月か3月。〘安倍前総理が奥様と岡山駅中央改札を近づいて来られ、深いため息をつかれ、そのため息が私の頬にかかる。安倍前総理が奥様と改札口に入って行かれる。〙岡山駅中央改札は現実は東に向かって入るが、夢ではご夫妻は西に向かう改札❲現実には無い)に入られた。故郷に帰られたのだろう。まさにその夢から多分数ヶ月後頃に惨事は起きた。オープンカーの夢は暗殺される暗示。ため息の夢はまさにそのまま。私は安倍前総理とのご縁は一切無く、友人知人にもこの不思議な夢は話している。偶然、インド向けのアプローチ先として日印協会を選んだのだが、協会幹部の方が最初にお訪ねした時に、インドの食糧自給率は140%だが、約40%は廃棄されており、安倍前総理(日印協会前会長)はこの廃棄されている40%を日本に持ってくる構想を抱かれていたが、凶弾に倒されたと。理事長には安倍前総理暗殺直後には不思議な夢の話しはしていた。
結果、ペマ・ギャルポ先生に直接様々なご提案ができることとなり、日印協会向けの日印プロジェクトや勉強会企画が可能になった。在日インド人の方々からの暖かい交流も頂いた。協会の斉木理事長にもご挨拶が出来た。
会が終了、名刺交換したインドの方々と再会を約し、協会幹部の方々にお礼を述べて引き上げた。
いささか理事長も私も疲れ気味だったが、新橋の炉端焼き店に入り、冷酒を飲んでいると、またまたインスピレーションが降りてきた。(軽く酔っばらった。) ■この炉端焼き店で在日インド人の方々と菅新会長との懇談飲み会を開催して、インドの方々の熱いエネルギーを歴代首相殖産興業機構=日印300年構想のエンジンにするのはどうだろう。森前総理も歴代総理の方々にも駆けつけてくださるだろう。お忍びでアメリカや英国の方々もお招きして、ゆるく監視してもらう。歴代総理チームは国内よりも親日国国民の方々に人気あるブランドだから。
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