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一流になれる人、一流で居続ける人

どんな業界であっても、一流と呼ばれる人は"自分を否定"できる人。

そして、一流で居続ける人は"自分を否定し続ける"ことができる人。


人はとても弱い生き物。
人は他の生命体と比較して頭脳が発達している分、ツラいとか、寂しいとか、あらゆるネガティブな感情を持つことによって、このままにしておくと『自分が壊れるよ』と危険信号を自分に向けて発する。
学者に言わせれば、人は生存本能から"エネルギーを消費すること"自体に嫌悪感を抱くようにできているそうだ。

だから、人は自分を甘やかして自分を守ろうとする。それが人の本能。
ツラい事があると分かっているなら進みたくないし、意識することがなければ、身体や心は自然と拒否の体制を取る。


飢餓に備えるために食欲があり、子孫を遺すために性欲があり、身体を休めるために睡眠欲がある。

自分を甘やかすということは"自分を認める"こと、"自分の言動を認める"こと。自分の欲に抗うことなく受け入れること。

自分を律する。自分を否定する。
それは簡単なことではない。
だから人は長く生きていても、全員が一流と呼ばれる域まで行けるわけではない。

本心を言えば、誰だって自分を甘やかしたいし、自分を否定したり自分の本能を抑え続けることはツラいこと。
誰にでもできることではない。


よく『人生には目標が必要だ』と言われることがあるが、これは"目標に到達するために自分を否定しろ"という自分へのメッセージを持つことが必要だという解釈ができる。
つまり、何もなくても自分を否定できる人は目標を持たなくても良いが、そうでない人は自分を否定し、自分を律するための理由作りとして"目標を持つ"必要があるということだ。

だから【目標を持つこと】自体にはあまり意味がなく、あくまでも自分を否定するための大義名分だ。
『いつまで頑張ればいい?』『どれくらい頑張ればいい?』
そのような目安を決められるのも目標を定めることで得られるメリットだろう。


本物の天才とはどんな人を指すのか考えたことがある。

何もしていない、何も教わらず、何も考えずにタスクをこなしてしまう人のことか。
それとも、今まで誰も考えたことの無いようなものを閃く人のことか。

私は仕事柄沢山の人と出会うが、そのような天才が【社会的な成功者】である例を見たことがない。

どの分野でも成功を修めているのは、【ある程度の才能を持つ人】が【然るべき努力を積んだ結果】であり、本物の天才ではない。
成功者と言われている人達は自分を"本物の天才"だとは認めないし、自分は然るべき努力をしてきただけだと言う。


そして、その【然るべき努力】をするために必要なのが【自分の否定】だ。

このままじゃダメだ。
自分の力不足でこのやり方では通用しない。
上手くできないな。自分の力不足だ。
自分は何て無力なんだ。もっと時間を費やさなくちゃ。
もっと勉強しなくちゃ。


上手く回らないことを【自分の能力不足】或いは【自分の立ち回りが下手なせい】と捉えるのか、それとも【環境のせい、誰かのせい、時代のせい】と捉えるのか、それだけで自分が生きる未来は大きく違う。


文章や言葉にすれば、物凄く簡単なことのような印象を受けるが、本能に逆らうのは実際にはとても難しいことだ。

しかし、失敗したとき、ツラいとき、環境や他人の否定ではなく、まず最初に自分自身を否定することを厭わなければ、人は必ず成長するチャンスを掴める。

私たち人は常に"自己責任"で成り立っている。
成長して【一流と呼ばれる領域に立てる】ようになることも、成長せずして【その他大勢の立場】で幕を閉じることも、一番割りを食うのは自分自身である。

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