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noteを始めて1年が経ったという話とソラニン。

こんにちは。

大学院に復学して、明日は研究室での発表が控えている中、準備も全くできてないくせにnoteとか書いてます。

昨日、5月13日に25歳になりました。

そして昨年のこの日に僕はnoteを始めたので、丸1年経ったことになります。

▼最初のnote

簡単に1年間のnote活動を振り返ると、こんな感じでした。

・記事数…40本
・PV数…16814
※TOP3は、
 「スポーツを悪者にする大人たちへ。」(3017PV)
 「教育実習に行っただけの学生が体育教師論を語った結果」(1824PV)
 「サッカースタジアムは、みんなのもの。‐FC今治の最終節を観戦して-」(1187PV)


・・・

最初の記事でも書いたことだけど、

相変わらず、「特別な存在」であることについて考えてみる。


仮に、特別=「自分にしかできないことがある」と定義する。

わかりやすく価値がある、その界隈にとって欠かせない人であり、特別な存在だ。

情報が差異であるのと同様に、価値とは「替えが利かないかどうか」だと思っている。


ここで、「自分にしかできないことがある人はほんとに優秀なのか?価値があるのか?」と一石を投じてみる。


例えばある組織で、その人にしかできないことのある「特別な人」がいるとする。
その人が病気で仕事を回せなくなった時、組織のパフォーマンスは低下する。誰もその人の代わりができないからだ。

この状況を生み出しているのは、一方は代わりになれない周囲で、そしてもう一方は「自分にしかできないこと」を「自分にしかできないこと」のままにしているその人である。


組織のパフォーマンスのことを考えて動ける真の優秀な人は、「自分にしかできないこと」を「みんなができることにする力」を持っている。

それがソースの公開なのか、教育によるものなのかはそれぞれだと思うが、

簡単に言うと、自分がいなくても回るチームをつくれるリーダーこそ価値があるということに近い。



ただし、ここには一つのジレンマがある。

「自分にしかできないこと」を「みんなができること」にした特別な人は、その希少性を失い、特別ではなくなってしまう。

「替えの利かなさ=価値」と置いた前提からいうと、その人の価値は相対的に下がってしまう。


なぜなら「その人じゃなくてもいい」からだ。


その献身的な働きで、組織のパフォーマンスは上がっているはず

しかし、その瞬間における特別度、替えの利かなさは以前より小さくなっている。


この時、すべきことはシンプルで、
「もう一つ先へ行く」ことしかないのかもしれない。

自分が作り上げたものを、後進や周囲の仲間に広め、組織のパフォーマンスを上げるのに時間と労力を割きながら、

それでも自分を磨いて、常に「もう一つ先へ」進んでいる状態を作り続ける。

そういう人が組織のパフォーマンスを高めながら、自分の価値も高めていける唯一無二で「特別な人」なんじゃないかと思う。


何が言いたいかというと、そういう人に僕はなりたいという話だ。


・・・

今日久々に、浅野いにお先生の『ソラニン」を読んだ。

※以下ネタバレあります!


種田も芽衣子さんも、大学を卒業して「大人」になることを強要されて、

凡庸な自分に心のどこかで嫌気がさしながらもそれを受け入れた風に生活をしている。


でも芽衣子さんの退職を機に、2人とも自分は何者なのか、大人って何なのかという問いに「緩やかに」ぶつかっている物語だなあと思った。(メインのテーマではないと思うし、あくまで個人的見解。)


さっき上の方で「特別」「特別」と連呼したが、大それたことをするのがエライというわけじゃなくて、

誰のために、とか

何のために、とか

本当にやりたいことをやって、とか

そういう風に生きている人は輝いていて、それはそれだけで「自分」という替えの利かない存在になっている。


そして、これにはそれぞれに相応の、覚悟が要る。


ソラニンは『過去の自分との別れの曲』なのかもしれない。

種田が死んでからその曲を歌うようになった芽衣子が思う。



事故にあう直前の種田は、その覚悟で原付を飛ばしたのではないか。

やりたいことに全力で挑み、でもそれよりも「誰かのために」生きることを選んだ決意。

涙ながらに赤信号の交差点に突っ込む種田。


あれは、もしかしたら何かの願掛けだったのではないか。

例えば、「渡り切れたら、大丈夫。芽衣子さんと幸せに生きていける。」とか。


そして、種田の死後にギターを弾き始める芽衣子さん。

これも、「いまは、種田のために生きよう」という覚悟の表れかもしれない。

誰かにとって特別な存在になるには、覚悟が要るのだ。

そして彼女は種田のギターを弾き、ソラニンを歌う。


今日知ったのだけど、新装版が2年前くらいに出ていて、そこに数年後の芽衣子たちを描いたスピンオフがあるらしい。

これは、読まねば。



・・・

誕生部を迎えるにあたって、Amazonのほしいものを公開したところ、いくつかプレゼントをいただきました!

加えて各SNSなどでもたくさんお祝いメッセージをいただけて感激でした!


おかげさまで健康に頑張っております!

25歳の板谷もどうぞよろしくお願いします!!






いつもサポートありがとうございます…! いつかお会いしてお礼を伝えたい! いただいたお金でジュースで乾杯したり、一緒にコーヒーを飲んだり、お酒と一緒に熱く語り合うことを思い浮かべてます。ぜひお付き合いください(笑) そして、コメント付のシェアも最高です!なんと無料です!