第4話 コミュニティに最適なコミュニケーションの距離感

ここでいう「コミュニティ」って何?という話については、第2話 いろいろな「コミュニティ」書いています。

最近 2つの興味深い記事を読みました。

ひとつめは、重大事故の時、緊急事態における対応について書かれた記事です。

重大事故の時にどうするか?|miyasaka|note

重大事故、緊急事態といっても、様々なレベルがあると思いますが、例えば、東日本大震災は、それに含めて良いのではないかと思います。

そこまではいかないレベルでも、重大事故、緊急事態といえる事態は、いろいろなレベルで日々発生しているのではないかと思います。

社会の中で大きな問題が発生したとき、それが、一人で解決することが出来ないほど大きな問題であれば、複数の人が力を合わせて解決しなければならない、という状況が発生します。

そのとき、どのようなことに注意して進める必要があるか、といった点について、前述の記事は、わかりやすく実践的にまとめられていて、とても参考になる記事でした。


では、次に、もう一つの記事を紹介します。

感謝の気持ちのない人たち。 | 植松努のブログ

こちらの記事では、ピラミッド構造の組織の問題点について述べられています。

確かに、階層構造の組織は、構成する一人一人の人間(特に下層の人)を使い捨てしてしまうようなところがあったり、構成する一人一人の人間(特に下層の人)は手足としての機能のみが期待され、自分で考えることを抑制され続け、結果として、考える能力を失ってしまうようなケースもあるのではないかと思います。

しかし、最初の記事にあるような緊急事態では、やはり指揮系統が重要になるため、「誰が決定するのか」を明確にする必要があるケースも多いのではないかと思います。


これら2つの記事から僕が思うのは、その時の状況によって、最適な組織の形は随時変化し続けている、ということです。


そして、タイトルにある「コミュニティに最適なコミュニケーションの距離感」について、よく考えています。


僕の印象としては、植松さんの記事にあるように、これまでの日本の経験からある「年齢による上下関係」「学生時代の部活動による上下関係」というものは、緊急事態のような危険度の高い状態が日常であった時代に必要であったものであり、今(2019年)の平常時には、有害であることが少なくないのではないか、と感じています。


ここまで上下の関係性について書いてきましたが、横?の関係、例えば「友達」についても、これまでは、近い距離感であることで仲間意識を高めることが重要、という感じでしたが、これからの時代は、もう少し距離がある形での「友達」という、ある意味「新しい友達像」、といえるようなものが考えられるのではないかと思ったりしています。


そして、この新しい友達との距離感が、コミュニティに最適なコミュニケーションの距離感とイコールなのではないか、と考えています。


コミュニティでは、時々「内輪ノリ」の問題が議論されることがありますが、僕は、これは、オキシトシンの性質による部分もあるのではないか、と感じています。

「愛情ホルモン」オキシトシンのダークサイド|WIRED.jp


人が集まり、ある程度以上の密度になると、外部の人への抵抗感が増えたり、人間関係の中で嫉妬心が生まれたり、例外的な個体を排除しようとしたりするようになってきてしまうのではないかと思います。

「内輪ノリ問題」と表現されるものも、このような流れの中で発生する問題の一部分 といえるのでは無いかと思います。

なので、密度が、そこまで高くならないように、うまくコントロールできると良い、といえるのでは無いかと思います。

とはいえ、容易にコントロールできるものでもないと思いますので、あくまで考え方、というお話になってしまいますが。

コミュニティのメンバーで、こういった意識を共有しておくことで、問題の発生をある程度抑制することができるのではないでしょうか。


最後に、このような距離感を保つために、日常的に僕が意識している行動を、以下にいくつかピックアップして書いてみたいと思います。

・「〜さん」と呼ぶ
・圧をかけたり、かけられたり、というスタイルのコミュニケーションを避ける
(面白いことを言ったり人を笑わせることが重要という考え方の人の一部に、こういった傾向がある気がします。程度の問題というところもありますが・・)
・隙のあるキャラ(「この人の面倒を私が見てあげなきゃ」と思わせるような行動をする人、オキシトシン分泌させ上手(?)な人)と一定の距離を保つ
・主体的であることを大事にする(他人に対しても、自分自身としても)


というわけで、僕が考える、豊かな社会における日常的なコミュニティの場でのコミュニケーションの距離感のお話をしました。ある程度仲良くしつつ、でも仲良くし過ぎない、というのはなかなか難しく、僕もさじ加減をみながら日々試行錯誤しているところです。

とはいえ、これが絶対的に正しい、というつもりもなく、その時、時代、場所、状況によって常に変わるものだと思いますので、今後も変わり続ける、という前提でのイマココのお話でした。




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