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おじいちゃんとわたし

今日はふと思い出したおじいちゃんのことを書いてみたいと思います。


父方の祖父、おじいちゃんとは、2世帯住宅で同居していました。
おじいちゃんは私が小学4年の頃にガンで亡くなりました。

実を言うと、おじいちゃんのことはあまり覚えていません。
しかし、よく母や祖母と大きな声で言い合いをしていたので、”怖い”おじいちゃんという印象だけ残っています。

一緒にお話をした記憶もほとんどありません。おじいちゃんは昔ながらの頑固親父といった雰囲気で、寡黙で融通がまったくきかない人でした。


そんなおじいちゃんとの暮らしで特に記憶に残っていることがあります。
それは、入院していた病院を勝手に抜け出し、一人で家に帰ってきたことです。笑

病院は確かに近所の病院でしたが、子供でも登りがきつい急な坂道の下にある病院でした。
そこから自力で歩いて帰ってきたおじいちゃん。強い。笑


あと思い出せることは、ほとんどお通夜やお葬式の記憶のみです。

遺品整理をしていると、私がおじいちゃんにあげたキティちゃんの大きめのキーホルダーが出てきました。
大切にしていたかどうかはわかりませんでしたが、捨てずにとっておいてくれたようです。


おじいちゃんのお通夜やお葬式は、私の人生の中で初めての経験でした。
おじいちゃんが亡くなったのは、確か土曜日で、その日は、午前中のみ学校だったことを覚えています。

お通夜は夕方からだったので、そのまま学校には行きました。
学校から帰ってくると、家の前に提灯のようなものが立てられていて、「なんだこれ?」とぼーっと眺めたことを覚えています。
いつもは友達とわいわい学校から帰ってくるのですが、この日は一人で帰ってきていました。提灯をみたときに、夢のような、現実離れしているような感覚に襲われました。


最近では、お通夜も葬儀場で行うことが多いと思いますが、おじいちゃんのときは家でお通夜を行いました。
夕方になると親戚はもちろんですが、近所の方も家にきて、家の中があっという間に人だらけになりました。

近所の人もお年寄りの方ばかりだったので、部屋の中に椅子が入りきらず、廊下にも椅子が並べられていました。
お通夜の間はあまり記憶がありません。ただ、おじいちゃんは本当に眠っているようで、もしかしたら突然起きだすんではないかと怖かった記憶があります。


次の日のお葬式は葬儀場で行われました。
お葬式が終わり、火葬に行く際に、火葬場に行くかどうか聞かれました。
このとき、祖母が「私は行かない」と宣言していたので、祖母を一人にしないほうがいいと思い、何より人が火葬されて、骨になってしまうのを見るのが怖くて私も祖母と一緒に葬儀場に残ると母に言いました。
このとき、とってもおばあちゃん子だったというのもあります。

お葬式や、火葬を待っている間の記憶もあまりありません。
とても長い時間拘束されていたので、退屈だったことは覚えています。
また、途中で兄と抜け出し、駐車場で缶蹴りをしていると父に呼び戻され、部屋に戻ると親戚一同に笑われたことも覚えています。笑


あまりおじいちゃんと接点がなかったこともあり、そこまで悲しいとは思っていなかったかもしれません。今ではその時、どんな気持ちだったのかあまり思い出せません。


これはおじいちゃんとの思い出といえるのでしょうか…?
おじいちゃんの思い出というよりお葬式の思い出?笑

今日は、お通夜の日に、家の前に立って提灯を見上げていたときの、『世界にひとりぼっちになったような気持ち』をなぜか思い出したのでこの記事を書いてみました。
今でもたまにあの時の描写を夢に見ます。小学生の私からしてみたら、それだけ現実離れした異様な光景で、脳裏に焼き付いてしまったのだと思います。


今日はおじいちゃんのお話(という名のお葬式のお話)を書いてみました。
また、何かふと思い出したことがあれば書いてみたいと思います!

それでは本日はこの辺で。
また明日お会いしましょう。

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