見出し画像

2018年1月13日午前8時7分

著:かまる

普段はハワイの食のことを書いているのですが、杏ワイルダーさんが前の投稿の最後で、「ところでブログ仲間のみんなは、どんな38分間を過ごしたのかしら」と尋ねていらしたので、今日はその件について書いてみたいと思います。

「ハワイに向けて弾道ミサイルが発射されました。すぐに避難してください。これは訓練ではありません」という警報が発令されたのは、2018年1月13日(土)午前8時7分のことでした。

もうかれこれ5年以上も前のことですが、あの瞬間のことは、今でも脳裏に焼きついています。

あの頃の私の土曜日の朝は、ジムでのスピンクラスで始まっていました。いつも通り午前7時30分からクラスが始まり、ノリノリの音楽をBGMに汗びっしょりで自転車を漕いでいました。そして、クラスも中盤となった頃、みんなの携帯が一斉に鳴り響いたのです。

サラ先生が、警報を読み上げてくれ、クラスは一旦停止。ジム全体が、ザワザワとしていました。私も、家に帰ろうかどうしようかと迷っていました。

瞬時に、ここで、みんなと一緒に? いや、それは嫌だな。家に残した2匹の愛猫が心配だけど、帰る途中にミサイルが飛来したらどうする? それとも、島を脱出する術はないのかしら? 日本にいる老母にお別れの挨拶は? この辺りは黒焦げになるのかしら?

などと、いろんなことが頭の中をよぎります。

とりあえず、階下のロッカールームのロッカーの中に置いてきた携帯を取りに行くことにしました。

携帯を見ると、家族や友人知人からテキストが山ほど入っています。とは言え、何もできないので、クラスに戻ることに。

すると、いつも隣にいるマークさんが「大丈夫だよ、誤報だったよ」と言って笑っています。「え、どうしてわかったの?」と聞くと、サラ先生のご主人が空港専属警察官で、すぐに調べてくれて、連絡をくれたそうです。

急いで、テキストをくれた家族や友人知人に「誤報だったよ〜」とテキストし、すぐに再開したクラスに参加。何もなかったように自転車を漕ぎ始めました。

結局、私の弾道ミサイル恐怖は10~15分ほどで終わりました。ジムで周りに人がいたせいか、パニックになることもありませんでした。でも、あれが、一人で家にいたらと思うと恐怖です。きっと、愛猫2匹と一緒にバスタブに潜んで、夜中過ぎの日本に電話をして、涙ながらに母に最後の言葉を述べていたのではないかと思います。

人生には、まるで写真のように、脳裏にしっかりと焼きつけられた瞬間ってありますよね。それは、なんてことはない日常生活の一片だったり、とんでもない事故や事件が起こった瞬間だったり。

覚えておかなかきゃいけないことはすぐ忘れるのに、どうやっても忘れられない瞬間。2018年1月13日(土)午前8時7分は、私にとってそんな瞬間でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?