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長い髪への執着。

忘れられない思い出。
小学校低学年くらいの時、毎回母親と美容院に行って髪を切ってもらっていた。
ある時、母親に急な仕事が入り一緒に行けなくなってしまった。
急な仕事だったため美容院をキャンセルするわけにはいかず、たまたま休みだった父親とその時は美容院に行った。
忘れられないというのは、その時無理やりロングヘアーからショートヘアーにさせられたことだ。

その時毛量が多いロングヘアーで、毎回美容院では前回行った時から伸びた前髪と後ろの髪を切ってもらい、髪を軽くするためにすいてもらって、という感じに美容師さんにお願いしていたにも関わらず、美容院についたとたん急に、本当になんの脈絡もなく「短くしろ、短くしないと金は払わない」「家に帰さない」と父親が言い出したのだ。

そもそも私は絶対にショートヘアにはしたくなかった、自分の真っ黒な髪が好きだった。
自分の好きなところは?と聞かれたら長い髪と答えるくらい好きだった。
でもやはり父親が怖かった。
逆らえば帰りの車や家やで叩かれ、怒鳴られるどころじゃすまないと考えてしまった。
最後までなんとか拒否を続けたけれど、どうにもならなかった。父親の強情さには敵わなかった。
結局切られてしまった。いや、切らせられた。
もう何を言っても無駄だということが分かった。
髪切られている間、父親に悟られないように静かに泣いた。
美容師さんに何度も前向いてと言われたけれど、前を見るたびに辛くなり、前を見るたびに涙が溢れて上手く前を見ることができなかった。

私の好きな黒髪が、唯一の好きなところが、ザクザク切られていく様を見ることができなかった。
あっという間にショートヘアーになって、父親の方を振りかえると、いびきをかいて寝ていた。ふんぞり返って、まるでここが家だと言わんばかりに。
散髪が終わったと伝えると、私の髪を見て一言。
「もっと短くしろよ、まだ長いだろ。」
涙がまた、溢れそうになった。
十分短くしたよ。という言葉すら出なかった。

こんなにも短いのに、まだ切れっていうの。お前は私に何を求めているの。頭の中では言葉は次々と浮かぶのに、声に出しては何も言えなかった。
そんな私も嫌になった。
美容院の予約時間の都合上、もう時間がなかったのでそれ以上切られることはなかったけれど、本当に悲しかった。
美容師さんにも申し訳なかった。
泣いてしまったことが恥ずかしくて、申し訳なくて、翌月からその美容院には行かなかった。

美容院をでる時に、数十分前までは私の髪だったものが塵として箒で掃かれ、片付けられているのを見るのが辛かった。なぜこんなに辛くて悲しいのか。

家に帰ったあとも気持ちが沈んだままだった。

今日あった出来事と気持ちを母親に伝えると、父親の行動はあり得ないといいながらも、本人にはになにも言ってはくれなかった。
できれば慰めてほしかった。辛かったね、と、
それはお父さんが悪い、と言ってほしかった。

鏡を見るたびに、髪に櫛をとおす度に悲しくなった。
結ぶことも出来なくなった短い髪。
髪なんてすぐ伸びるだろと言われたらそれまでだが、
私にとってはその短い期間が長く辛かった。

子供の頃はたしかに髪は短い方がお金がかからない、と思う。
だが、長い髪であることを母親に指摘されることや、金銭面の理由やその他の理由で髪を短くしなさいとは言われたことがなかった。そもそもその時の美容院代は母親が父親に渡していたのを見ていたし、父親側の金銭面的負担はなかったはずなのに。
美容院では自分が金を出すんだとばりの態度。
思えば常日頃から父親は私にお金を出さない人だった。
食費も衣料品代も誕生日もお年玉も、すべて母親が出してくれていた。
今更ながら本当に神経を疑う。

だから私はあの時から、誰がなんと言おうとショートヘアーにはしないと決めている。

あの時嫌だと逃げ出せなかった自分を上書きするために。あの時の自分を肯定するために。


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