「左右の手に違うものを握ること。」ということについて

一田憲子さんの書かれる文章が好きです。
おっしゃる事が明快に伝わってくるし、「そうそう、そういうことある!」と思うことも多々あります。親しみやすくて、読み手にそっと寄り添ってくれるような文章を書かれる方です。彼女の文章を読んでいると、一旦立ち止まって、今の自分を見つめてみようかな、とも思う事もよくあります。

例えば、昨日1月1日のブログの記事には、こう記されています。

ひとつのことで頭がいっぱいになると、それしか考えられなくなります。
原稿の締切が迫っていると、その間映画に行ったり、友達との集まりに顔を出したり……と他のことはいっさいパス。ひとつのことを終えてからでないと、次の扉を開けることができません。

https://ichidanoriko.com/daily/post/26825

この記述、とてもよくわかります。今、目の前に一田さんがいらしたら、ものすごい力を込めてハグをしていると思います。「私もそうなんです! 自分が言葉にできなかった事を、こうして書いてくださって本当にありがとうございます。」という気持ちで。

私はシアトルで、フルタイムの会社員と大学生という二足の草鞋を履いている上、A以外は成績として認めない(父親からの影響大)という刷り込み(どんな刷り込みだ)があるため、学校がある時期は、仕事が終わるやいなや、講義、リサーチ、レポートにどっぷりとつかってしまい、他のことに目がいかない、できなくなるという事態に陥ります。食事もすっとばすことも、しばしばです。理解のありすぎる夫が、自分の仕事に加え、料理以外の一切の家事をしてくれているから、なんとか成り立っているものの、ひとりで暮らしていたらと思うと、想像するのも恐ろしい...。きっと汚い家、Uberで頼んだ食事を毎日するとか、そういう事態になるのが、目に見えています。『大事な』事をしなくちゃいけないから、他の事は後回しにしてしまう。でも、一田さんの記事を読んで、その『大事な』って、ほんとに大事なのかなと思ったのです。

原稿でいっぱいいっぱいであったって、
ちょっと抜け出して、2時間ほどの映画を見てきても、
気分転換になるはずだし、締切に間に合わないなんて、ないはずなのです。

https://ichidanoriko.com/daily/post/26825

そうなんです。レポート課題が一本終われば、ヨガのクラスにも行ったり、本を何章かよんだり、散歩に出たり、映画を観に行ったりもできるはず。

彼女の記事を読んで、さっそく試してみた事があります。マッサージの施術を受けに行ったのですが、いつもなら、仕事でのTo-doリストを頭の中で整理したり、次にリサーチしなければならない案件の段取りを考えたりして、時間がすぐ経ってしまうのですが、今日はそれらをお休みして、自分の身体や心に注目してみました。今更ながら、こうすると本当にリラックスできるのですね(って本当に今更ですが)。

左の手に忙しさ、右の手には、自分の心がふっと軽くなるような事。その両方を持って日々を生きてもいいのかな、と一田さんが教えてくださったような気がします。忙しい日にこそ、5分でも10分でもいいから、そこから離れてみる。目を閉じてみる。音楽を聴く。ヨガのポーズを一つする。雪の中を散歩する。お茶を淹れて、あったまる。そんな日々を過ごしていこうと思います。


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