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公衆衛生のサイエンスとアートを磨くことは、歴史を知ることが一番の近道である

ドイツの鉄血宰相ビスマルクは、「愚者は経験から学ぶが、余は歴史から学ぶ」と言いました。
相当な「上から目線の言葉」ですが、社会保障の世界では「ビスマルクは社会保障三部作を創設した政治家」だとされ、極めて評価が高いので、許してもいいかも。

ビスマルクは、老齢年金、医療保険、労災保険、を創設しています。
医療保険の保険料を事業主と本人が折半することや、労災保険の保険料は事業主が全額負担するという原則は、現在も続いています。

日本の内務省は、ドイツの医療保険を学んで、日本に導入しました。
これが現在も続く「健康保険法」です。

大正11(1922)年に制定されています。およそ100年前にできた法律です。
大久保利通や伊藤博文も目標にしたと言われる大政治家ビスマルクの影響は、半端ないです。

さて、公衆衛生を実践していくためには、その国や地域に住んでいる人の習慣、伝統、宗教、文化、地理などと密接に絡んでいることから、その国や地域の歴史を学ばないと、ことは進みません。

例えば、イスラム教徒に対して、健康増進のために豚肉を食する栄養指導や、衛生のための火葬を奨励したら、大変なことになります。
同じように、ヒンズー教徒に対して、牛肉を食する栄養指導を進めたら、スラムダンクの安西先生でも即「試合終了」です!

公衆衛生のサイエンスと技術(アート)を磨くことは、歴史を知ることが一番の近道です。
元京都大学教授で歴史学者の中西輝政氏は「人の歴史は、本質的には同じことの繰り返し」だと述べています。
つまり、過去の歴史を学べば、未来に歴史が利用できるのです。

新型コロナウイルス感染症が発生した初期の世界各国の対応は、どこも似たようなものでした。
マスクの着用、手洗いの励行、自宅での自粛、感染者の隔離、市街地のロックダウン、国境での検疫強化、等々。

これらの対策は、300年前のペスト流行、100年前のスペイン風邪の流行時で実施されたものです。
先人たちがどのような対応を行ったのかという過去を知ることは、未来の健康への脅威に立ち向かうときのヒントになります。

作詞家のなかにし礼氏が、英語の歌詞を日本語に訳していくときに「過去」という言葉が出てきました。
「かこ」という語感は、それまでの日本の歌で耳にしたことはありませんでした。

気になって歌謡大全集を調べてみると、「過去」をつかった歌は本当になかったのです。
硬い漢語なので、これまでの作詞家たちは誰も使おうとしなかったようでした。

なにかがひらめいて、なかにし氏は誰もつかわなかった「過去」という言葉を使うことを決めました。
こうしてできた曲が、菅原洋一さんが歌った「知りたくないの」でした。

あなたの過去など 知りたくないの
済んでしまったことは 仕方ないじゃないの

この曲は、ヒットして菅原洋一さんの代表曲のひとつとなりました。
小椋佳さんの作詞作曲で、美空ひばりさんが歌った「愛燦々」は、もっとすごいです。

それでも過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね

ドストライクに「過去」を使うのみならず、たくさんの「過去」を集めて「達」を付け足した結果、大ヒットしました!
これまで歌詞に不適とされた「過去」という言葉は、菅原洋一さん&美空ひばりさんによって完全に歌謡界に定着しました。

さてさて、我々も公衆衛生の過去達を研究して、待ち構えている公衆衛生の未来達に微笑むように立ち向かいたいものです。

公衆衛生って、不思議なものですね。

「こら、歌でごまかすな!」
などと、つっこまれそうな不吉な予感がしましたので、初代内閣安全保障室長で危機管理で有名な佐々淳行氏の言葉を紹介します。

ふつうの人は過去のいやなことを忘れてしまう権利があり、また未来を憂うる義務はない。
しかし、人を指導したり組織を管理する立場にある人は、過去を忘れることは許されない。
そして過去の苦い経験から教訓を学び、それを現在や未来のために活用する義務がある。

公衆衛生の過去達を学ぶことが、「既にある未来」に微笑んで対峙できるのです。
水と過去を制するものが、公衆衛生を制する!

恐縮です。「既にある未来」は、ドラッカーのパクリです。
なにかがひらめいた、なかにし礼氏にならって俳句にしてみました。

過去を知り 既にある未来に 微笑み返し

キャンディーズの歌のようになってしまいました。
しかも字余り……。

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