人生結局どうすれば良いんだ? 「受け容れる」、そして「前に進む」ことだ。
今日は、兼近さんの『むき出し』を読んで、進撃の巨人の『兄弟』を観た。
そこから感じたこと。
人より大変な思いをしている人たちだが、それでも前を向いて進む姿に惹かれる
つまり、私が戦争ものの作品が好きなのは、自分と同じように、「恵まれていない」と感じられる人が頑張っている姿を見たいからだ。
そして
自分も、人と比べずに、自分自身を受け容れ、前進しようと改めて思ったのだ。
エレンのように、リヴァイのように、兼近さんのように、徳曼のように、
人はこれをサクセスストーリーと言うのだろう。
きっと実現が難しいからだ。そして応援したくなるからだ。そして前に進む勇気をもらえるからだ。
どれだけひどい環境だったとしても、人と比べず自分を「受け容れる」
親の愛情を受けていないリヴァイ<親の愛情を受けたエレンたち
進撃の「戦争」の世界<日本に住んでいること
日本でご飯にも困る生活をすること(兼近さん)<普通に高校に行くこと(大多数)
比較っていくらでもできるのだ。
確かに、「年収750万以上は幸福感に影響しない」というデータもある。
しかしだ。結局は、現状を諦めず、突っぱねず、妬まず、恨まず、とにかく受け容れるしかないのだ。
比べるのを止めよう。
自分を受け容れよう。
ひどい環境だったら生まれてこない方が良かったのか
人生を楽にできる一番の方法は、「死」だと思う。
短絡的にはそうかもしれない。ただ死ぬ勇気がないだけで、死ねるもんなら死んでも良いなと私も思っていた。
だから、最初に、進撃の巨人で「安楽死計画」について語られたとき、何も反論が出てこなかった。
そういう人も意外と多いのではないか。「地球なんて爆発しちぇばいいのに」(梨泰院クラス:イソ)なんて思うこともあっただろう。
哲学的な問。
しかしだ。
みんな生きるのに苦労している。
せっかく生まれてきたなら、精一杯面白く楽しくしてやろうじゃないか。そう私は思う。それを目標にして前に進み続けている。
「生まれてしまった運命を嘆くな 僕らはみんな自由なんだから」(Higuchi Aiさん:悪魔の子)
「居てくれてありがとう」(藤井風より)
上が自分自身に対して、下が他者に対してだ。
どんな生き方をしても、「怠惰」でも良いが、「前進する」
怠惰でもいい。
どういうことか。
例えば私は今周りと比べるとかなり怠惰な生活をしている。
大学3年生の秋だが、就活を全くしていない、授業も1つしか受けず週に3時間くらいしか学校の勉強をしていない。
それでも前に進んでいると断言できる。なぜなら
「思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない」(『思考の整理学』外山さん)
からだ。
人ってなんだかんだ頭を使ってしまうものだと思う。一見怠けていても何かしら前に進んでいるのでは無いだろうか。
確かにいつまでも悩み続け動かないのがいいとは言えない。
例えば自分は、自分を受容できるようになるまでは、もう少し社会に出るのを遅らさせてもらいたいと思っている。私は、現状恋愛をできる状況に無い。自分のことをきちんと管理できないからだ。モヤモヤすること、自分で納得できないことには精を出せないと言うこともあるので、このまま親の脛をかじらせてもらう。
少し脱線したが、つまりは、怠惰な生活も、私は「前に進んでいる」と捉えているのだ。
最後に、なぜそもそも「前に進む」ことが良いことなのか。
それは「美しい」からだ。
なんてテキトーな、なんてダサい、と思われる人もいるかもしれない。
しかし、あなたが好きな人、あなたが惹かれる人はどんな生き方をしているのか。少し考えてみてほしい。
人は自然と美しいものに惹かれる。
あなたの好きな人の生き方は何が美しかっただろうか。
私は怠惰などいろんな意味を含めて、「前に進む」気概を持っている人が好きだ。
自分もそうなりたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?