「片桐健策」の回 〜料理人になったワケと大切にしていること〜
Haus St.Anton(ハウスサンアントン)のシェフをしている片桐 健策です。
今回は僕の自己紹介と、シェフとして大事にしていることをお話ししようと思います。
よく聞かれる、「スキー選手からなぜシェフに?」にも答えていけばと思います。
料理人になった理由
サンアントンで生まれ育った僕は物心ついたときから、ホテルのキッチンが遊び場でした。
保育園の時には、お客様が食事をしている時、勝手に人参を切ってお客様へサーブする、なんてこともよくあったそうです(笑)。←覚えてない。
この経験が僕の料理人としての根底にあると今では思っていますが、当時はなんとなく「いつかは家業を継ぐんだろう」と思っていましたが、その前に僕は他の夢がありました。
それはアルペンスキーヤーとしてオリンピックでメダルを獲得する事。
スキーの村として有名な「野沢温泉村」では、村人ほぼ皆スキーができます。そんな環境なので多くの人がスキー選手を目指すのです。そして、僕の身内には5名ものオリンピック選手がいます(父、叔父、叔母、義従兄弟、親戚)。
一般的にはとても特殊な家系で育っていますが、ある意味野沢温泉らしいとも言えます。そんな僕がアルペンスキーヤーを目指したのは、ごく自然なことだったと思います。
17歳の時にアルペンスキー選手としてオーストリアに留学をします。ホテル学校に通い、トレーニングと学業に励みます。スキーが国技でもあるオーストリアらしく、スキー科のあるホテル学校で、クラス全員がスキー選手という環境でした。(後輩には、史上最高のスキー選手になった奴もいます。)
本場で必死に取り組んだ事もあり、全日本選手権で2回優勝することができましたがオリンピック出場が叶わず、23歳でセカンドキャリアを考え始めました。
選手を引退しコーチとして生きる道など、スキー産業に残ることも考えたのですが、どこかスキーしかできない自分が嫌で、全く違う分野に挑戦したいと思うようになりました。
無限の選択肢がある中で、Haus St.Antonのキッチンでの思い出や、アスリート時代にコンディション維持のための食事の大切さなど、「料理」というものが自分に密接に関わってきたことを実感し、それを仕事にしたいと思うようになりました。
とはいっても長く険しい料理の道、当時24歳だった自分自身に焦りも感じ、すぐに料理人として修行できる働き口を探しました。幸運にも出会いやタイミングに恵まれ、フランス料理修行の為大阪へ。
「デビッド・セニア」や「ザ・リッツ・カールトン大阪 ラ・ベ」で研鑽を積み、さらなる修行の為にヨーロッパに行くつもりでいた矢先の、2010年にハウスサンアントンの前任のシェフが高齢で体調を崩した事もあり、野沢温泉に戻る事に。
こうして、今Haus St.Antonのシェフとして15年目を迎えようとしています。
料理の理想形
そんな僕が今、料理人として大切にしていることがあります。
・その料理は美味しいか
・その料理は身体が喜ぶか
・その料理は野沢温泉村の食文化に根ざしているか
1つ目は料理人として当たり前の事。
2つ目はスキー時代の経験があったからこそです。
当時はオーストリアに本拠地をおいていて、選手時代の後半は自分や周りの選手のコンディションを整える意味で料理を振る舞ったりしていました。この経験が料理人を志すきっかけになったと思います。
そして3つ目は、野沢温泉村の食に関わる環境・文化があって初めて成立すること。
極めて良質な湧水や雪解け水が育む旬の産物、それらを引き立てる先人の知恵など、本当に食を全力で楽しめる環境にあります。
この大切にしていること3つが上手く掛け合わさり表現したのが「循環のサラダ」。
旬の野菜を野沢温泉村の源泉で茹でたサラダです。
極めてシンプル。でも、源泉で調理を施す事で、引き出せる野菜のうまみが、とても奥深く、滋味深いんです。
野沢温泉村の豊かな自然の恵みと、唯一無二な源泉調理の文化を最大限に生かしながら、心も身体も喜ぶ料理を提供する。これからも、Haus St.Antonとしてこの輪をさらに広げてゆき、野沢温泉村を盛り上げていきたいと思っています。
今回も少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。Haus St.Antonはとにかく人に恵まれているんです。スタッフもお客様も本当に魅力的なメンバーがたくさんいます。今後、何回かに分けて私達のメンバーをご紹介していきますので、ぜひお楽しみに!