フラクタル


鶏の親子

画像の雌鳥は 以前 私の家の前によくきていた。
最初は ムスコビダック(鳴き声のでないアヒルの種)が 庭に来るようになり
大家の意向で 時々 餌を与えていたのだが その餌に来るようになったのが この雌鳥だ。
最初は 三羽姉妹だったのが いつしか 彼女だけになり そうこうしているうちに ひよこたちを連れてくるようになった。
鶏の観察は 私が好きな時間の過ごし方の一つだ。
特に ひよこのいる雌鳥の観察には 学ぶことが多い。雌鳥は自分が食べなくても ひよこに与える餌を見つけなくてはいけない。土や砂利を爪で引っ掻いて 虫を見つけては それをひよこたちのいる足元に落とす。
何度も何度も 繰り返す。そしてひよこの数が多ければ多いほど 必要な餌の量も多くなる。それでも 雌鳥は忍耐強く あちこち歩き回り 地面を引っ掻いては 餌を探し続けるのだ。
疲れないのかな?と思うけれど 雌鳥は 自分のひよこを育てることが 優先順位の一番にあるようで そのことにだけ 徹する。こんな状態だから 狭いケージで飼われている ホルモン剤を投与された まるまる太った鶏の肉の方が 人間には美味しく 感じられるのだろう。野生の鶏たちは 運動量が多く また
食べ物も 野生のものなので どちらかというと しまっていて 身が硬そうだ。
ちなみに 鶏が来ることには 徳なことがあって、餌を 雑草の上に置いておくと その雑草が 鶏の爪で根こそぎされるから 私は草むしりから 解放される。また ゴキブリやムカデなども食べてくれる。
ラウンドアップを使用したい人は 鶏を放し飼いにするといいのにと思う。
そして 雨が降ったり 日が西に傾き 涼しくなると 上の画像にあるように 雌鳥は ひよこたちを温めるのだった。
たかが鶏 されど鶏、鶏の子育ては 真剣だ。
以前は こんなことがなかったのだが 新しく越してきた 近所の男性が 雄鶏を空気銃などで 撃つようになった。弾に込めた圧力が大きいほど スピードと殺傷力も高い。また弾には プラスチックと鉛のものがあり 鉛なら当たれば
怪我をするだろう。
確かに 雄鶏によっては まだ4時前だというのに コケコッコーと 高らかに
歌うものもいて 迷惑だなと思うことはあるけれど 鶏が庭を歩けるほど 平和な証拠だと私は捉え あえて問題視しなかった。それに 野生の鶏の寿命は 
それほど長くないのか しばらくすると それらの鶏たちは 自然と姿を消していく。そのつかの間の出来事に 人間はイライラさせられる。
少し待てば 現状は 変わっていくのだ。諸行無常なのだ。
が 世の中には 迷惑ではないものを迷惑だと決めつけて それを理由に 相手の命を奪うものたちがいる。
鶏の鳴き声が 迷惑だと捉える人とは逆に 私には近所の人たちの銃声が
迷惑だった。
流れ弾が 私の住む建物にあたったときは 流石に 大家に 話すことにした。
それだけではなく 仕事から帰ってくると 家の玄関前に 弾が落ちている
こともあった。
それは 本物の拳銃や弾薬ではないにしろ うちの猫たちを ターゲットに
しているのではないか?と思うこともあった。
大家の返答は 鶏には ダニやシラミがついていて 敷地にダニを持って来るから できれば 銃で脅して 来ないようにしたいというものだった。
そんなの Bullshit!!! だ。
要は 近所の人たちに 銃を撃ってもOKだと言ったのは 彼のようだった。
というか 彼がやらせているようだった。
ダックには まめに餌を与えたり 果ては子供用プールに水まで入れて
ダック用プールまで作った人なので なぜ ダックは大丈夫で 鶏はダメなのか
不思議で仕方なかった。
ダックは いつしか 仲間を連れてきて 四羽になった。
その糞の量は 鶏の比ではなかった。鶏は 草むしりの役に立つけど ダックは
食べて 歩き回って 糞をするだけ。
そんなある日 ひよこたちだけで 迷うかのように 庭を歩いているのを見かけた。
雌鳥が一緒にいないのだ。いつもとは違う様子に 私は 庭を少し歩いて 雌鳥が どこかで 油を売っていないかどうか 確かめようと思った。
少しだけ行った先に 何か黒いものが動かずに 横たわっていた。
近づいてみると 例の雌鳥だった。
彼女の体は すでに冷たく硬直していた。
にも関わらず 地面にうつ伏せになっている彼女を 起こすように動かすと 
頬が 涙で濡れていた。
彼女が 悲しんだと思うのは 私の頭の中のことだけで 事実ではないのかも知れない。けれでも 確かに 彼女の頬は濡れていた。
私は ひよこたちが 彼女の姿を見なくて済むように 彼女を竹の植わった根元の近くにそっと置いた。
弾は 彼女の頭にヒットしたようだった。その正確さから 二人のうちの
どちらが 撃ったのか 見当がついた。
その男性の奥さんは その時 妊娠中だった。
雌鳥が ひよこを育てているように その人の奥さんも やがては 赤ちゃんの面倒を見ることになるのだろう。
その時 誰かが 奥さんを撃ったとしたら?
私には なぜその人が この雌鳥を撃たなくてはいけなかったのか 理由が
わからなかった。そして ひよこたちの世話をするこの雌鳥に 自分の母親や
奥さんの姿を 重ねてみる事のできない脳を持っていることも 理解できなかった。
食べ物を得るための狩り以外の目的で どのようにしたら まだ小さな子供たち
のいる 母を殺すことができるのだろう?
この雌鳥が 殺されるに値する 何をしたというのだろう?
こうした感覚は 日本人特有のものなのだろうか?あるいは アジア人の?
私はここで アヒンサーを説いているのではない。
が この一羽を 殺しても 塀も柵もないこの広い敷地に 鶏たちは どこから
ともなく餌を探しながら やってくる。土地を区画し所有するのは 人間だけだ。野生の動物たちにとって そんなことは意味がない。
ひよこたちは 少しの間 これまでのように 餌を探し歩いて 近くまで来ていたが その後は 見かけなくなった。どこか 別の場所に 移動したのかも知れない。

世界はフラクタルだ。それを知っている人たちには この鶏の親子の命と
自分たちの命は 等しいだろう。
が 半分機械化してしまったものたちは プログラムによって 感情を揺らすことなく 機械的に殺傷できるのかも知れない。
しかも 撃った後の死体は そのまま放置されていた。
誰かが 片付けなくてはいけないことも あり得るということを 考えないのだろうか?
注入事業が 人間機械化につながっているように思え 銀河鉄道999の話しをしたら 1000年女王という物語が 同じ作者によって作られたというので 
動画で探して 見てみた。
ヒデとロザンナ(知る人ぞ知る!)みたいな人が たくさん出てきた。
侵略側に対し 地球は地球人たちのためにといった 1000年女王の言葉が
印象的だった。
ネット上では この広い宇宙、地球のような惑星は 他にもあるはずですと
いう人たちがいる。が 誰も それを 発見していない。
宇宙は広いといえど 地球のような惑星は 地球だけかも知れない。

ある日 海で泳いでいたら 遠くから イルカのソナーが聞こえてきた。
それは 少しずつ近づいてきて イルカたちは やがて 私の泳いでいる
湾に入ってきた。その時 一頭のイルカが 私のすぐ横を通ったので 目を見ていたら そのイルカも 私の目を見ていた。
私たちが 数秒間 見つめあっていた。
うちの猫たちとも そんなことはあるが 別の生き物と見つめ合うというのは 言葉にしたくても 言葉にならない感覚だ。
私たちは 壁を作って 建物の中に住み始めたが その建物は自然の中に立っている。都会にどれだけ コンクリートのビルが 立てられようがそれらも 自然の中に存在している。
人間だけが 膨大なお金と時間をかけて 不自然なことをしている。
人間は どこかでひねくれてしまったようだ。
だから 素直に 美しいものを美しいと 評価できなくなるばかりか 朝焼けや夕焼けに嫉妬して 体や顔を改造したりする。
どんなに 頑張っても 自然や 自然の中にいる生き物たちの方が 美しい。
人間とは なんとも 可哀想な生き物なのだ。
それで 今度は 自然に勝てっこないから 機械化することで 自然と対立
することを考えた。自分から生まれてきた人間に 手こずるレベルなのだから 
自然を越えることなど 到底無理だ。自分たちのラヴ ライフでさえ カウンセリングのお世話にならなければ 生き延びれないほど 病んでいる。
可笑しな生き物である。
が フラクタルの法則で言うならば 機械化する人たちは 機械化した環境で
作られていることになる。
そうだとするなら この地球には 地球人ではないものたちが すでに橋を
渡って 移り住んでいることになる。
詳しくは 1000年女王を ご覧ください。

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