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西加奈子『サラバ!』(読書感想文)

西加奈子は饒舌な作家である。
ひとが隠しておきたいと思うような、みっともない、みじめだ、格好悪い、そういった感覚を呼び起こすようなものを、無残にも克明に描いてしまう。たとえば本作『サラバ!』では、「映画や音楽に精通している僕の誇らしさ」「美しい女性を恋人にしている僕の自尊心」といったようなものがそれだ。それらは、そう正直に告白してしまうことが憚られるような——つまり、ひとをいたって「きまりの悪い」気持ちにさせてしまうような告発であり、ときに読者は「やめてくれ!」と耳を塞ぎたくなるだろう(実際には目を塞ぐのであるが)。

にもかかわらず西加奈子の文章はつねに優しい。たとえば本作では、「僕」が彼の姉に対して抱き続けていた軽蔑や疎ましさが繰り返し描写されるが、そこには敬意とも言うべきものがなぜか見て取れる。うわべの言葉遣いにかかわらない穏やかさがいつもある。そうした細やかな配慮のようなものの真骨頂がこの作品なのではないだろうか。

西加奈子の小説は決してドラマティックではない。ここでも彼女の文章の穏やかさは徹底されている。たとえば3行であらすじを書き表わせるようなわかりやすい起承転結があるではないし、3冊にも分冊された本作の文庫版の帯には「迫力」「魂」といった力強い言葉が踊るが、それに反して疾風怒濤の展開が待っているではない。全能のヒーローはいないし、主人公は命を賭すことはないし、ヒロインの悲劇的な死もない。
にもかかわらず、この小説にはそんな風な感想を漏らさずにはおれないような、思わず気押されるような大波が存在するのだ。

家族というのは大なり小なりどこもいびつなものだと思う。円満なチャーミーグリーン的家庭(例えが古いだろうか)など幻想に過ぎない。我が家も例に漏れないし、まわりを見回してもそうだ。万事が万事無事平穏な家庭など、狭い交友関係の中だってひとつも知らない。
だから実は、特殊に見える「僕」の家庭的な境遇は誰にとっても他人事ではないし、というよりも、西加奈子が描く「きまりの悪い」主人公やそれを取り巻く環境や人々がそもそも読者の映し鏡なのだろう。誰もが「僕」であり、「姉」であり、「父」であり、「母」である。私たちはそれを、黙っておきたい。もっと言えば騙しておきたい。自らを、あるいはそれを語り聞かせる誰かを。それは私たちを惨めな気持ちにさせるから。
だが西加奈子作品は暴いてしまう。あなたが「きまりが悪い」からと見て見ぬ振りをしているのはこれでしょう、と。

だから我々読み手は圧倒されてしまうのだ。そのことを、改めて認識させてくれるような強さを、この作品は持っている。

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