最近の記事
拝啓。お父さん。
2年前の今日。一人で静かに旅立って行かれましたね。誰にも知られることなく。母と孫の隣で。 あれから時は過ぎて今日はもう三回忌です。 あの日のことは今でもよく覚えています。 穏やかな秋の日に突然の訃報。 覚悟はしていたものの、胸をなにか鋭いもので突き抜かれたような、そんな衝撃でした。 多才で博識だったお父さん。 こんなできそこないの子供をとても可愛がってくれましたね。いろんなことを教えてくれましたね。 どこへ行くにも末っ子の僕を連れて行ってくれたおかげで、僕にはお父さんとの思い出がたくさん残ってます。 昔から顔や声、雰囲気がお父さんにそっくりと言われた僕ですが、中身は正反対でした。お父さんのように真面目でも勤勉でも子煩悩でもありません。 こんな愚息を遺して、さぞ心配なことかと思われますが、質素ながらもなんとか暮らしています。一匹の猫とともに。 たくさん愛してくれてありがとう。 たくさん遊んでくれてありがとう。 たくさん思い出を残してくれてありがとう。 近いうちに挨拶に行きます。 また泣いてしまったらごめんなさい。 出来の悪い三男坊より。 大好きなお父さんへ 2022.10.20 ♪「見上げてごらん夜の星を」坂本九
Dear My Father
2020年10月20日夕刻。 父がこの世を去った。 83歳。 苦しむこともなく眠るように息を引き取った。 住み慣れた家のベッドで。 母や子供、孫たちの声を聞きながら。 戦時中に生まれ、3人の弟や妹の面倒を見て、長男として、父としてその人生を全うした。 真面目な性格で仕事もきっちりこなし、大阪支店に栄転。その後支店長になる話が出た頃、年老いた父の面倒を見るために退職し帰省。50歳を過ぎてから転職。再び営業マンとして働き家族を養ってくれた。 少しのタバコと少しのお酒。 愚痴を言うこともなく怒ることもめったにない、優しくて明るい父だった。 2003年、脳出血で倒れ半身麻痺になるも、懸命なリハビリで後遺症もほぼなくなった。 数年前、再び脳出血を起こし、それから自宅で療養していたが、今年に入り心臓が悪くなり、8月の終わりに母から覚悟しとくようにと連絡があった。 それから2ヶ月足らず。 あっと言う間に逝ってしまった。 大阪に住んでいた頃、よく僕を京都に連れて行ってくれた父。二人で見た東寺の紅葉は今でも目に焼き付いて離れない。 昨日、12月5日に四十九日の法要も終わり納骨も済んだけれど、実感はわかないし、なにも終わってはいない。今でも実家に帰れば笑顔で迎えてくれそうな気さえする。 これからもずっと僕の心の中で生き続けてくれる。そう信じてる。 ありがとう。 そして、ひとまずさようなら。 大好きだよ。今までも。これからも。 ※写真はたまたま訃報の前に撮った、亡くなった日の夕景。 ♪Father / The Yellow Monkey
2020年・お盆
暦の上では立秋を過ぎ、陽もだいぶ西へと傾きはじめた。長かった梅雨が終わると、待ってましたとばかりに灼熱の太陽はギラギラと容赦なく照りつけ、出遅れたのを取り戻すかのように連日猛暑の日々が続いている。そんななか今年もお盆を迎えた。今年は新型コロナウイルスのせいで、帰省を自粛する人たちも多く、あらかじめ録画しておいたテープを繰り返すような道路の渋滞や混雑する駅の映像は流れることはなかった。 今日知人と話をしていたのだけれど、市内のホテルへランチを食べに行ったら、いつもは30〜40代の女性がほとんどなのに、おじいちゃんおばあちゃん達と子供や孫といった家族連れがたくさんいたそうだ。これも新型コロナの影響なのか、帰省も様変わりしている。 本当に今年は希有な一年だと思う。たったひとつのウイルスのせいで、店は休業し、人出は減り、イベントも軒並み中止、会社は規模を縮小したり、廃業したり、卒業式も入学式もなし、学校はオンライン授業。いったいいつまで続くのか。自然災害みたいなものだから仕方ないのかもしれないけれど、だからといって指をくわえてじっとしているわけにはいかない。働かなければお金もない。食べていけないのだ。 それからこれは身内の話なのだけれど、今日実家に電話を掛けたら、80を過ぎた父が完全寝たきりではないのだけれど、ほぼ1日中寝ているらしい。実家にやってくるケアマネージャーさんは一生懸命にリハビリしなさい、と父を諭すらしいのだけれど、父はもうそんな気力はないらしい。寂しいことではあるけれど、今まで80年以上もがんばって生きてきたのだ。もうこれ以上自分の身体に鞭は打って欲しくない。少しでも長く楽で平和な日々が続けばそれで十分。長生きだけがすべてではないのだから。 目の前にあるささやかな幸せを祈ってます。 ※写真は先月雨上がりに見えた虹 ※曲は坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」です
Feel like still drowning
運命ならば抗うことなく従おう。 過去の報いならば甘んじて罰を受けよう。 そう開き直るほど苦しい時を どれほど過ごしてきただろう。 見えない何かに怯え 眠れぬ夜をいくつ過ごしてきただろう。 まだ終わりは見えない。 深く心の奥底に根付いた氷は 溶けているのか。 さらに根を張っているのか。 それすら分からない。 もういっそのこと 何もかも投げ出したい。 そう思っても 生を捨てることは決して許されることではない。 どれほど苦しくても どれほど辛くても 生が果てるまでは 生きなければならない。 先に逝ったあいつの分まで生きろ。 そう教えてくれたのは父だった。 電話越しにたどたどしい口調で 聞こえてるくるのは、自分の近況ではなく オイラを気遣う言葉だった。 たった数十秒の会話だったけれど 元気な声が聞けて とりあえずは胸を撫で下ろす。 次はいつ会えるかわからない。 次に会うときは今とは違う形かもしれない。 いつの間にかもうそんな歳。 オイラをこの世に繫ぎ止める 2本のロープのうち 1本は今年の夏に切れてしまった。 残る最後の1本は大事にしたい。 心から尊敬してやまない父へ。 出来の悪い息子より。 誕生日おめでとう。 これからも いつまでも I’m very proud of you.