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猫と駆け抜けた人生

 ゴールデンウィークが明けてぐんぐんと気温はあがり、もう梅雨がそこまで近づいてきている5月の末。病院の帰りに近くの公園に来てみた。ここしばらくは体調がよくなかったり忙しかったりでゆっくりと来られてなかったのだけど、相変わらず野良猫たちは元気そうにしている。ただ猫たちのご飯があちこちに置かれていたり、容器もバラバラで、ネコおばさん(いつも公園の野良猫たちにご飯をあげている人)が夕方になっても来ないことが少し気になっていた。その方もいろいろと忙しいみたいだし、たまに遅くなったりすることがあると聞いていたのでそこまで心配はしていなかったのだけれど、今日顔見知りの近所の人と話をしていて、そのネコおばさんが先週の土曜日に亡くなったと聞いた。少し前に会った時はいつもみたいに「疲れが取れないのよー」なんて笑って話していたのに。声が出なかった。なんでも血栓ができてそれが原因で脳梗塞を起こしたらしい。記憶が正しければ、まだ還暦を少し過ぎたあたりだったはず。早すぎる。
 毎朝3時半に起きて新聞配達に出かけ、公園で猫たちにご飯をあげる。その後帰宅して家族に食事を作り、仕事へ出かける。夕方に仕事を終えると、今度は数十匹の野良猫を保護している家(10kmほど離れたところに一軒家を借りてそこで世話をしていた)へ向かう。それからまた帰ってきて公園へ行き、野良猫たちへご飯をあげる。そして帰宅し家事をこなす。その間を縫うように公園の猫を病院に連れていったり動物虐待をする人のことで話し合いに出かけたり、年老いた父の世話に実家に帰るとも聞いていた。そんな生活をずっと続けていたのだ。若くして身体を壊してもおかしくはない。
 突然電話が掛かってきて創価学会の集まりに誘われたり、選挙で投票のお願いをされたりと、そんな一面もあったけれど、猫に関してはなにひとつ譲ることなく自分の身を削ってまで世話をしてくれていて、去年うちのパームが亡くなった時も一緒に涙を流してくれた。そんな人だった。

 少し前にここのNOTEにも書いたけれど、これほどお世話になってる人に何にもしてあげられないオイラはささやかながらクリスマスのプレゼントをしていたのだけれど、もうその必要もなくなってしまうのかな。
 公園の猫たちは近所の方たちがそれぞれご飯をもちよってくれているみたいで、今のところは心配はない様子。ただ、公園は広く、他の野良猫たちまでエサが行き渡っているかまではわからない。それにネコおばさんが保護していた数十匹の猫たちはどうなってしまうのだろう。新たな引き取り手が見るかるといいのだけれども。ネコおばさんと知り合って数年。オイラはなんにも力になれなかったけれど「今まで何をしてあげられたか」よりも「これから何をしてあげられるか」を大事にしたい。少しでも何か力になれれば。

 今日病院に行ったという話を冒頭にも書いたけれど、特にどこかが悪いわけではなく、いつもの薬をもらいに行っただけなのだけれど、その時に先生から「タバコの匂いがきつい。もう少し減らしなさい。」と言われた。その言葉をネコおばさんからの最後と言葉として胸に刻んでおこうと思う。

 ネコおばさんは、きっと頑張り過ぎたんだろうね。神様がもうあなたはこれ以上働かなくていいよ。って言われたんだろう。あなたは間違いなく天国で猫たちに囲まれて幸せに暮らせるはず。どうかゆっくり休んでください。今までありがとう。

 トップの写真はネコおばさんが亡くなる3日前に撮ったもの。猫たちは知っていたのだろうか。ネコおばさんの体調を。