明日を楽しみにする方法。
小学生の頃、いつも明日が楽しみだった気がする。
明日、学校に行ったらなにしよう。明日はどんな本を読んで、どんな勉強して、だれと話して、遊んで、おやつを食べて。
明日を楽しみだと、ごく当たり前にそう思っていた。
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大人になると、なんてことを言って間口を広くして、全員がそうであるように語ってしまう癖がある。もちろんいつまでも幼いころの気持ちのまま、明日を常に楽しみに出来る人もいるだろう。
だけれども、やっぱり大人になると、長期的な視点みたいなものを持ってしまう。将来への不安だったり、一寸先が闇であるという事実に押しつぶされて、明日を楽しみだとは思えなくなってしまう。
最近思うのだが、きっと人生を楽しく生きるために必要なのは、幼さだ。いつだってなんだって、新鮮な気持ち受け止められるのであれば、本当に些細なことも楽しくなってしまうんじゃないだろうか。
たとえば、今日お散歩をした。
れんげ畑にはミツバチが飛んでいて、れんげはちみつってこうやってできるんだな、なんて。そんなことを発見する。
車で通りすぎたり、道草を食わなければ見過ごしてしまう小さなことだって、十分たのしみたりえる。
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今日、お友達に会った。夜の森を駆けまわって一緒に月を見たり、星にお願い事をしたり、それから水族館でリュウグウノツカイを見て、瓢箪型の水槽の前に座っていろんなことをお話した。
もちろん、実際はそんなことは無くて、これは全部『どうぶつの森』でのお話だ。実は初めてどうぶつの森シリーズをやっていて、とても楽しい。でも今日はそういうお話じゃないから、この話題はまた今度。
水族館に座って、スマホと連携させたチャットで色々とお話をした。大学の事、最近の事。でもやっぱり一番は、次会う時の事。
みんなでスイッチを持ち寄って、それから温泉旅館の布団の上に寝転がってやりたいね。そんなお話をした。
まるで小学生の夏休みの計画見たいでしょ?
でもなんだか、その約束がすごく幸せなことだなと思った。
会って、話して、遊んで。
今はインターネットの回線を介してしかやり取りができないけれど、この騒動が終わった頃には、きちんと一緒にご飯を食べられる距離で会いたい。
森で遊んだ友達だけに限らず、そういう方たちがいっぱいいる。
この何もできない一ヵ月、あるいは数カ月、あるいはもっと長いかもしれないけれど。
でも、この何もできない間に、色んな人と色んな約束をしよう。
何を食べるか、どこへ行くか、何を着ていくか。
どんなことを話して、どんな表情をして、どんなしぐさをしているのか。
明日も明後日も、どうなるかはわからない。
それでも、明日も明後日も、必ず来る。それが来ないことはない。
これは、恐ろしく残酷な希望だ。
だからこそ、この暗い夜を落とし込んだような海原を、荒れ狂う波の中を、それでも航海していくために、灯台のともしびのような約束をしよう。
その約束がきっと、明日を楽しみにさせてくれる。
私はそう信じています。
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森日記。
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