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藍と祖母と待つということ。

どちらかといえば短気で粗雑。丁寧とは無縁の、やりっぱなし人間。構いすぎたり、ほっときすぎたり。心配で手を加えて、すべてを台無しにしたり。へたくそだなと、己でも思う。

  〇

ベランダに、鉢植えが三つ、プランターが一つ。鉢植えはそれぞれ、種類の違うラベンダー。四月の中頃、スーパーの片隅で安売りされていた子達。いまは紫色のちいさな花弁を付けて、華やかな香りを風に任せるまま揺れている。
プランターは、藍。三月ごろ、種を頂き、播いた。藍の生葉は、空色に染まるらしい。何を染めようか考えながら、毎日水を遣る。小さな双葉がぽこぽこと顔を出すまで、十日程。それからは、ぐんぐんと伸びて、元気な緑の若葉が太陽を仰いでいる。

ところが、ここ数日、様子がおかしいのだ。

毎朝、起きぬけに水を一杯。それから、湯を沸かし珈琲を淹れる間に、ジョウロに水を汲みベランダへ。土の乾き具合をみながら、水を遣る。しかしどうにも、藍がしおれている。新しく出てくるはずの葉が、しおしおと、力なさげにうなだれている。水は、十分。よくよく見ると、新芽のさきに、ちいさな緑のアブラムシ。すぐさま祖母に薬を貰い、吹き付ける。元気に育てよと、祈りながら。

翌日、改めて確認。アブラムシは、だいぶ減ったよう。引き続き薬。天然由来の米酢の香り。しかしどうにも、まだ様子がおかしい。水は足りているはずなのに、しおしおと、うなだれてへたっている。

水を遣りすぎたのだろうか。根腐れさせてしまったのか。
それか、病気かもしれない。
あるいは、入れるプランターが小さすぎたのかも。
少し間引いた方がよかったか。

強い植物と聞いていたのに、立派に育て上げることが出来ないのかな。
悲しくなりながら、しおれているものを何本か抜く。

染めようと思っていたワンピースも、作ろうと思っていたスカートも、全部台無しになってしまったのかも。

朝のベランダに座り込みながら、言い知れない無力感に苛まれていた。

庭から、水を撒く音がする。草木が、朝一番の水を嬉しそうに受けている。
祖母が日課の手入れをしていた。

ええい、駆け込み寺。ならぬ駆け込みばあちゃん。
プランターを抱えて、庭へと降りた。

  〇

「こういうときはねえ、陰にでも置いて、ほかっとくのが一番やよ」

いつもと変わらぬ朗らかさで、祖母が言った。ばあちゃん、本当ですかそれ。だいぶしおしおなんだけど、大丈夫かな。

「あんまり構いすぎてもあかんの。人間と一緒。そこのほら、アジサイの影においときゃ。ベランダが暑かったんかもしれんしね」

構いすぎちゃいけないの、そりゃそうか。確かに。でも心配じゃない?
疑い半分、アジサイの影へとプランターを置く。

「待つのも大事やからねえ。なんもせんでもよかったりするんやよ」

そういって、祖母が笑う。祖母が笑うと、確かにそうかも、と思えるから不思議だ。庭の植え込みに引っ越した藍のプランターに、頑張れと心の中で小さく告げた。

  〇

「藍、元気になっとるよ」
祖母がそう言いに来たのは、昼下がりの三時頃だった。

  〇

どちらかといえば、短気で粗雑。構いすぎたり、ほっときすぎたり。焦ってあれこれ手を加え、台無しにしてしまうなんてことも多々。

立ち止まって、ちょっと置いてみる。
それは、気にかけないこととは違う。信頼するということ。待つと言うこと。

植物も、人も。あるいは自分自身に対しても。

すこししおれて、根腐れをしてしまったのかと心配して。間引いたり、薬をまいたり、肥料を与えたり。

でも意外と、ほっときゃええんかもしれんなあ。

少しだけ得意げに藍の復活を教えてくれた、祖母の顔を見ながらそんなことを考えていた。



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